山本夏彦著『私の岩波物語』を読む | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうの偏愛的読書【24】

山本夏彦著『私の岩波物語』(文春文庫)

1997年(1994年初刊/文藝春秋)

 

(画像の一部はネットより拝借いたしました)

※個人的備忘録です。しばらくこんな感じ。しゃーないね。

 

こんばんは。ひつぞうです。禍いの沈静化の兆しが見えてきましたね。長い間積読していた蔵書もこの機会に少し片づきました。二度と本なんか読まんだろうと思ってましたが。

 

今回は辛口で鳴らした名コラムニストのエッセイ集。いつか読もうと思いながら二十年あまりが経過。夏彦翁も鬼籍に入られてしまった。コラムというのは時代を写す鑑。鮮度が落ちると感動も薄くなる。だが良書は時代を選ばない。良いものは良い。そう思うことにする。『岩波』の文字と三岸節子のカバー絵に惹かれてのジャケ買いだった。だが相手は夏彦翁。想像した内容とは大きな隔たりがあった。

 

★ ★ ★

 

僕らの時代にも『学生のための読書案内』なんてものがあった。大学生ならこれくらいは読むべきだというお節介極まる迷惑案内である。そもそも本なんて人に薦められて読むものではない。その中に西田幾多郎『善の研究』カント『純粋理性批判』があった。単位をとるために頁をくった。そしてそこには意味不明な言語が平然と並んでいた。これ理解できるヤツなんているのか?

 

★ ★ ★

 

 

山本夏彦(1915-2002)。東京都出身のコラムニスト。「工作社」社主兼編集長。建築専門誌「木工界」(のちの「室内」)を主宰。自らもコラムを執筆。幅広い分野において辛口の批評を展開。一時代を築く。

 

“私の「社史」は工作社を語るふりをして他社を語りまた工作社にもどることを繰返して、結局この百年の言論界の一端を語ろうとするものである。”(192ページ)

 

本書は工作社創立35周年を記念して「室内」に連載された文章を纏めたもので、謂わば出版界および建築界の通史。タイトルとなった「私の岩波物語」はその巻頭を飾る。読み始めて驚いた。徹底的に岩波がディスられているではないか。

 

=岩波書店の罪=

 

創設者岩波茂雄夏目漱石の門下生の一人で、帝大哲学科を卒業したのち古書店を開業した。転機は漱石の『こゝろ』の単行本出版。それまで漱石といえば春陽堂博文館と並ぶ明治の大出版社だ。その後も『漱石全集』『哲学講座』で当たりをとり、インテリ御用達の出版社に成長する。そんな岩波書店が責められる訳とはなにか。

 

“岩波の難解な言葉は哲学科の教師の「翻訳語」であって日本語ではない。それを進歩的文化人なるものがありがたがったものだから、猶更駄目になった。岩波が日本語を駄目にした。”

 

しつこいほど繰り返すから、さすがに覚えてしまった。

 

冒頭に紹介したカントの著作はその代表例。もともとドイツ語という言語は、逐語的に翻訳すると日本語の修辞とリズムになじまない。文法と配列に忠実すぎるとトンデモないことになる。それを有難がって、自著に応用したのが西田幾多郎であり九鬼周造である。サブテキストなしには、まず理解できない。例えばこんなふう。

 

“絶対矛盾的自己同一的世界の自己限定” 

 

西田幾多郎

(西洋からの借り物ではない哲学構築の意義は大きいのだが)

 

判りますか?僕には全く判らない。こんなことを書けば「そりゃひつぞうさんが酒ばかり飲んでアタマがボケてしまったからでしょう」とツッコミが入るかもしれない。見当違いではないが、まだ日本語が読めないほど耄碌していないつもりだ。「そもそも哲学というのは日常の言葉ではないから、岩波の書物が駄目というのはお門違い」という意見もある。ある意味正しい。でもね。デカルトの『方法序説』は、高校生程度の読解力があれば読みこなせるし、ギリシャ哲学の泰斗田中美知太郎が、日常の言葉で深淵な哲学を語り尽くしたのは有名な話。

 

「日本語を駄目にしたというわけにゃ?」サル

 

そういうこと。うちはおサルが日本語壊しまくっているけどね。

 

「サルが悪いっていうのち?」サル

 

いいよ。もう慣れたから…。

 

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実はもう一つ責められるかどがある。

 

出版は「稼業」であって読者を「教導」するものではない。

 

岩波書店朝日新聞は教養の代名詞だった。そこに連載を持つ、或いは、書籍を出版するのは一流知識人の証しとされた。だから両社への批判はタブーとなり、岩波と朝日は世間を教え導く存在と自任するようになる。左傾化を煽動したというわけ。

 

レアな作家は岩波が頼りだっただけに悪く云うつもりはない。ただ難解な翻訳調の文体には泣かされた。そこは共感できる。

 

=出版業界の栄枯盛衰=

 

岩波と並ぶ老舗出版社は幾つもある。講談社中央公論社筑摩書房などがその類だ。その栄枯盛衰には個性的な経営者の存在が関わっている。ところで、講談社の旧社名は大日本雄弁会講談社と言うんだよ。長いね。

 

「弁論大会のような名前だにゃ」サル

 

そう。時は大正デモクラシー。活字に起こした名演説や講談本で創業者の野間清治はひと財産築いた。しかも演説者に謝礼なんて払わないから丸儲け。その後雑誌「キング」の成功で一躍出版界のドンになっちゃうんだ。

 

中央公論社はやや出発が早く、当初仏教系の機関誌として出発。名編集長・滝田樗陰のとことん褒める営業で多くの著名作家が小説を書いた。バックには民本主義吉野作造をつけた。文芸と評論からなる総合雑誌「中央公論」がこうして生まれた。

 

これに対抗したのが後発の改造社だ。社名がすごいね。民主主義なんて穏健。ずばり“社会改造”するぜってことらしい。創業者・山本実彦は高邁な理想とは無縁な生粋の商売人だった。出版は商売と考えたんだ。そして破格の原稿料で執筆者を揃えた。決定打は円本ブーム。人生を賭けた大博打だった。

 

今の出版物って大量販売が普通だけど、当時は少量生産の時代。そのぶん一冊の値段は高くなる。山本はそこに目をつけた。名作全集を一冊一円で買える。画期的な出来事だった。中産階級は応接室のインテリアとして見栄で買った。一円でも分売しないから売れれば大きい。

 

この流れに慌てて他社も追随する。

 

後塵を拝した岩波は知恵を絞った。こうして生まれたのが岩波文庫である。安い。分売可。しかし出来上がった翻訳書がいけなかった(と夏彦翁はいう)。

 

こうして俯瞰するとそれぞれ功罪ある。悪いことばかりではない。

 

講談社の野間清治は大衆に訴えて成功した。だから一流に憧れた。忠君愛国を謳った“戦犯”からの脱却は文芸誌「群像」の成功にある。その後も中興の祖・野間省一はとても売れるとは思えない講談社学術文庫を発足。その後も同社は文芸文庫も立ち上げる。大衆誌から文芸誌まで、オールラウンダーとしての礎は意外に古かった。

 

改造社は戦犯問題で経営が傾き、出版社としては存在していない。功利的な円本だったが、名著を後代に託すという叢書の雛型を作ったと言える。原稿料を渋らない経営はいい作家を育てる一助となった。新人が使い捨ての現代、作家を育てた中央公論、キップのいいところを見せた改造社に見習う処があるかもしれない。

 

最後に筑摩書房について。

 

筑摩書房は塩尻出身の古田晃の創業。帝大卒業後に書肆を開業したのは岩波茂雄と同じだが、古田は根っからの本好き。良書美本に拘った。戦時中も戦争と無縁の文芸書を美しい装幀で出版している。ただ(中央公論、河出書房しかり)文芸不況の荒波は避けられず、経営破綻したのが惜しまれる。後継会社が従来と“ほぼ”同じスタイルの出版を続けていることだけが救いかもしれない。

 

「おサルは読めればそれでよい」サル

 

=読後閑話=

 

出版社にとって「良い本」とは売れる本である。タレント本でも売れればそうなのだ。まあ判る。世間でいう「良書」はまず売れない。だからこそ、売れない良書を扱ってきた岩波書店、講談社を悪く云えない。岩波だって、平成以降は新訳に力を注ぎ、活字ポイントも大きくするなど、読者への配慮があった。そういう意味では、飽くまで“私=山本夏彦の”岩波物語なのである。

 

建築(出版)業界の話題はちょっと退屈。だから触れなかった。かなり力の入った広告業界の批評についても字数の関係で紹介しなかった。ただ電通の(あの事件の遠因といえる)社風に対する鋭い指摘が、既に記されていたことを添えておこう。

 

(終わり)

 

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