川内山塊の盟主を目指す/矢筈岳(マイナー12名山)③ | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

日程:2019年5月3日~5日

天気:(2日目)快晴

行程:(2日目)幕営地:4:30→7:30(1096m地点)→8:35青里岳→12:58矢筈岳13:13→17:05青里の肩17:10→18:00(1096m地点)→20:47幕営地

 

≪1096m地点から仰ぐ青里岳山頂≫

 

こんばんは。ひつぞうです。今回の登山の疲労が癒えず、この週末は雨でもいいぞと思ったけれど、そんなときに限って好天の予報。どうしたものかね。早速「矢筈岳②」の続きです。

 

★ ★ ★

 

食欲はなかったが酒への希求は強く、グレンフェディックをソーダで割って一気にあおる。なぜこんなに旨いのだろう。僕らにとっては僅かに許された至福の滴だった。

 

四時間は爆睡していたようだ。ふと喉の渇きで眼が覚めた。午前零時。あと二時間ほどで起きねば。二日目は往復12時間のロング。休憩を考慮すれば午前4時出発がマスト。フライを捲ると五泉市内の夜景が遠く煌めいていた。

 

隣りのテントの身支度の音でハッと眼が覚めた。二度寝してしまった。時計は三時半を示している。慌てて朝食の準備を始める。抜きで出かけようかと思ったが毛猛山の時はこれで失敗している。焦る気持ちを抑えて、握り飯を湯で戻して雑炊にして掻きこむ。やはり食欲は全くなかったが、バテ防止と言い聞かせて喉に押し込んだ。

 

(未明の粟ヶ岳)

 

アイゼンを装着する。つい二週間前と異なり、紐・ベルト類は氷結してなかった。ワカンは不要と判断。置いていくことにした。(結局一度も使わなかった。毛猛山でもそうだったから判っているのだが、国師ヶ岳周回で痛い目にあっているのでつい持ってきてしまう)

 

既にマジックアワーは終わり、日の出の兆候が表れている。肩の上に一張りのテントがあり、身支度する男性から「どこまで?」と訊かれる。素人然として見えるのだろう。「矢筈です」と答えると、一瞬の間をおいて「気をつけて」と見送られた。

 

 

眼の前に割岩山に分岐するジャンクションピークが迫る。北東に大きな雪庇が発達しているが、それ以外は藪化している。

 

 

急な雪尾根を一気にくだると、すぐに撓りのあるアオダモマンサクの籔に突入した。ご存知のようにアオダモは和カンジキの材料に使われるくらい丈夫な木で、多少押したくらいではビクともしない。

 

 

暫くして脱出。ご来光があり、粟ヶ岳と青里岳を結ぶ長い尾根が見えた。この尾根、三年前に粟ヶ岳から見たよね。

 

「知らん」サル

 

こんなだったんだよ。

 

(2016年5月29日/粟ヶ岳山頂より)

 

★ ★ ★

 

幕営地からの計画行程は以下の通り。

 

五剣谷岳~(3時間)~青里岳~(3時間)~矢筈岳【往復ともに同じ】=12時間

 

 

雪稜さえ拾えれば早い。後から出発したお二人の速いこと!

 

 

五剣谷岳を見返す。大きな山だ。

 

 

朝靄が谷底に沈んでいる。抜群の天気になりそうだよ。ただ暑さにやられないかが心配だ。ジャンクションピークの外側に大きな雪庇が形成されているようだが、足跡は内側の急な斜面をトラバースしていた。二度この地を経験している二人の足跡に迷いはない。理由がある筈だ。通過して理由が判った。雪庇は途中で落ちていた。

 

 

北側斜面の雪が尽きたので籔尾根を越す。旨い具合に南側に雪庇が発達していた。だがそれも長くは続かなかった…。その先は籔漕ぎが延々と続きそうだ。今のところおサルが泣き言を洩らしそうな様子はない。

 

 

越後のお二人が先行しているという安心感があるのだろう。つまり僕だけだと全然信用ならないということである。

 

 

矢筈岳も残雪があるようで無い場所もある。前日二人がこう口にしていた。「青里岳山頂周辺、矢筈岳までの鞍部、そして矢筈岳の山頂周辺が籔がひどそうです」と。

 

確かに山頂周辺は手強そうだ…。

 

 

青里岳への最低コルまでは激籔。観念して雪庇から飛び降りて、アオダモの籔を掻き分けて稜線に取りつく。

 

 

男性たちの声は近いが、反対側の雪のついた急斜面をトラバースしているようだ。「こっちに来ないでくださ~い!」と声が谺する。かなりシビアな状況らしい。

 

ずっと感じていたのだが、お二人は僕らのような半人前が、国内最難関とも言われる雪と籔の秘境に居ることの違和感を、敢えて口にせず、逆に気遣ってくれた。「こんな奴がくるから事故が起きるんだ」とか「男のほうが悪い。何にも判らない女なんか連れてきやがって」とか、特に夏場の北アルプスや妙義の岩場で、いかにも「俺はやってるぜ」的なオッサンたちに、あからさまに揶揄されたことがある。

 

気にするつもりもないが、それに比して、この二人の余裕というか、心の広さというか、なんとも心休まるものがあった。本物の山ヤは奢らないものなのだ。

 

★ ★ ★

 

「…」サル

 

籔を漕ぐという試練に、おサルは次第に疲労を表すようになる。既に予定の三時間が経過。まだ青里岳の登りにすら入っていない。頭の中で「敗退」の二文字が渦巻き始める。ここで腹を決めた。

 

おサルさ。申し訳ないけどここで待てる?僕独りで行ってくるよ。

 

一瞬の間があったが…

 

「判った。どれくらいで戻る?」サル

 

6時間ちょっとで戻る。(時計を見るとちょうど午前7時半だった)

 

ここから絶対動かないでね。見える所まで戻ったら、ホイッスルを吹くから。

 

納得したのか静かに頷いた。2リットルのアミノ酸入りのドリンクと行動食を残して日蔭のある場所で別れた。籔に覆われた痩せ尾根に、そして、誰も来ないであろうそんな場所に、自分の妻を置き去りにする不手際は、二人で山頂を踏みたいという、僕のエゴが招いたひとつの“事故”だった。ざわつく心を抑えて先行する二人の跡を追う。

 

 

おサルは僕の進む先をずっと眼で追っていたそうだ。

 

 

写真で見る以上に傾斜はきつく、喘ぎながら山頂に達した。

 

 

振りかえると、初日に越えてきた稜線が視野に入った。

 

 

山頂は細長い尾根状になっている。最高点を踏んでも、矢筈岳への尾根は少し戻らないといけない。更に顕著な尾根は谷底に誘う別の尾根。濃霧での縦走はGPSなしでは不可能かも知れない。

 

 

粟ヶ岳が一層際立ってきた。

 

 

この雪庇の最高点が山頂なのだろう。

 

 

浅草岳守門岳方面。下田山塊はどれもが似たような標高と浸蝕地形をなすため、中の又山光明山など今の僕には同定できない。

 

 

籔を越して左の雪稜を拾って、再度斜めに雪を繋ぐのが正解。だが藪を嫌う僕は(急斜面だが)南側の雪渓をくだり、途中からトラバースするルートを選んだ。

 

 

結論から云えば、雪崩・滑落のリスクが増すだけで掛かる時間は変わらない。

 

 

ま、とにかく雪稜に復帰してホッとした。あとはあの右肩まで雪を拾うだけだ。

 

 

ワカンは不要だった。小気味好く登っていく。しかし暑い。ザックには2リットルしか入っていない。節約して雪を頬張りながら登る。1000mの丘陵地形を通過。この先は五剣谷岳の肩から見えていた雪庇崩落地帯だ。時間が早いので、直下や直上を足早に過ぎ去る。帰りに苦労しそうだ。

 

 

いよいよ籔だ。蔓植物が足を取る。ここで最大の失敗を犯してしまう。ここさえパスすれば長い雪原になるので、アイゼンを着けたまま漕いでいった。アオダモや笹だけの場合は別だが、蔓植物があると捌きが格段に悪くなる。悪戦苦闘していると、ふとカメラから意識が逸れていることに気づく。レンズキャップが枝先に弾かれて無くなっていた。何度も犯している凡ミスだった。

 

慌ててサングラスを頭にかけて周囲を探す。だが見つからなかった。諦めてサングラスをかけ直して違和感を覚えた。今度はレンズの片方が無くなっていた。オークリーのレンズは脱着可能なのだ。ほとほと自分が嫌になった。残雪の山でサングラスなしとは。最悪だ。

 

(青里岳山頂を振り返る)

 

おサルを待たせている事を思い出し、気を取り直して前進再開。籔が終わると長い急斜面の登りに変わった。

 

 

既に当初の計画をオーバーしていた。焦りが募ると余計に苦しい。もう山頂は目前なのだが、何度引き返そうと思ったか知れない。禄に行動食も口にしていなかった。口に入れることができるのはグミキャンディか塩飴くらいだ。

 

 

肩に到着した。この先800mほど籔尾根が続く。定石通りにアイゼンを外す。加えて(レンズに傷がついてしまうので)カメラも仕舞った。なので核心部だけど写真はない。

 

つらい行程だった。なるほど踏み跡は辛うじて判る。判るが密藪に変わりない。シャクナゲや松も絡み、反発力は強烈だ。しかもコブが三箇所あるので、アップダウンも加わり、疲弊の度は尋常でない。たいした距離でもないのに、一時間かけて遂に念願の山頂に辿りついた。

 

 

復路に入った越後のお二人と擦れ違って、辿りついたそこは無人の空間だった。そして既に地面は露出していた。三角点もあったが、疲労困憊のあまり写真に収める気力すらなかった。

 

 

いったいどうやってここまで、この立派な標柱を運んできたのだろう。

 

 

南側には絶景が広がっていた。

 

 

こちら(上の写真)が魚止山に続く稜線。やはり籔が出ている。少し我慢すれば雪稜に復帰できそうだ。滞在時間は15分程度。もう戻らないといけない。

 

戻るとしよう。

 

 

これが肩に続く密籔の稜線だ。途中痩せ尾根もある。慢心すると滑落してこの世とオサラバだ。おサルを残している以上、絶対に事故は起こせない。気持ちに焦りはあるが、一歩一歩確実に進む。

 

 

素晴らしい景色だ。雪原を走るように降っていった。籔のコルで二人に追いついた。「気にせず抜いてください」と言われたがこっちもバテバテ。その後もアイゼンの脱着だけは、手間を惜しまず丁寧に繰り返した。

 

その甲斐あって、落とし物やトラブルもなく、再び青里岳の斜面に取りついた。時刻は間もなく16時と云った処だろう。往路の雪壁を攀じ登るか、藪を抜けるか迷っていた時、突然前方から轟音が。

 

なんと、僕が下ったルートの真横の残雪が全層雪崩となって崩壊したのだ。山の神様の宣託だったのかも知れない。大人しく籔を越えることにした。長いノーズの尾根だったので、どれくらい続くのだろうと、半泣きで漕いでいくとひょこっと雪原に飛び出た。目の前には再び先に消えていった二人がアイゼンを着けている最中だった。

 

青里岳山頂まではかなりの距離があったが、直下の大雪渓は決して降れない斜度ではない。山頂を踏まずに、ここを一気に直線で繋いでパスすれば時短できる。時刻は17時。全員が尻セードで一気に下降する。バランスを崩しそうになるくらい加速がついたが無事着地。みればおサルの姿が辛うじて判った。ホイッスルを目一杯吹き鳴らした。

 

「は~~~~~~い!」サル

 

おサルの声が微かに、しかし力強く返ってきた。

 

 

暑い一日だった。ひょっとして熱中症になっていやしないだろうかと危ぶんだ。だが、力強く手を振るおサルは元気いっぱいだった。結局10時間この場所で待ち続けたことになる。とんでもないダンナである。

 

 

もうボロボロの僕の顔は頬がこけていた。いい感じに痩せることができた。

 

ダイジョブだった?

 

「ラジオがあったからにゃ。でも約束の時間過ぎても全然来ないから心配しただよ」サル

 

おサル曰く、もし僕ら二人だけだったらパニックになっていたけど、越後の二人も戻ってこないから、籔に苦しんでいるのだろうと思ったそうだ。正解です。

 

 

既に夕景になってしまった。暗くなる前に痩せ尾根の籔だけは越えよう。

 

 

暑い一日だったので雪庇も緩み、往路と同じとはいかない。慎重にルートを選ぶ。無事痩せ尾根を越えた。あとはジャンクションピークの急なトラバースのみ。ここでヘッデンを点す。

 

 

さいわい、先行するお二人が迷いのない踏み跡をつけてくれているので安心して戻ってこられた。パスし終えると、お二人が休憩していた。人懐こい御仁が「相方が疲れてしまったので一緒に行動してくれませんか」という。いやいや僕らが連れて帰って欲しいくらいですよ。

 

しかし四人一緒であれば、その先の最後の籔も心強い。もうボロボロだったが、ようやくテント場に着いたときは達成感よりも安堵の気持ちが勝っていた。

 

時刻20時47分。16時間の山旅はこうして終わった。

 

(次回いよいよ最終回)

 

【二日目の行動時間】 8時間28分+7時間29分

※往路はおサル付きだったので1時間余計にかかってます。

 

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