≪五剣谷岳の肩からの矢筈岳(左奥)と青里岳(右奥)≫
こんばんは。今回の三日間の疲労で両足の甲と指が腫れあがって大変なひつぞうです。こんな体験初めて。もうだいぶよくなったけれど。しんどい山だったよ。早速「矢筈岳①」の続きです。
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七郎平周辺は広い起伏の多い地形なので霧や闇夜の行軍には注意したい。山頂からは短い笹薮を越えて再び稜線に復帰する。この頃から時折陽が差すようになる。
風は相変わらず強い。今は良いけれどテントを張る頃までには落ち着いて欲しい。
前銀次郎(偽ピーク)を越えても、本峰まではそれなりにあった。この辺りで若い単独の男性とスライド。魚止山からかな。だったら凄い。僕らは五剣谷岳の肩に幕営して二日目は荷物を減らしてピストンする。きっと籔だらけだ。そこをテン泊装備で乗り越えてくるんだからね。
最後の登りが急な雪壁。一日目はノーアイゼンで通したので、結構大変だった。
(帰りはグザグザに緩んでいたけどね)
本日三つ目のピーク銀次郎山。本宮ひろ志先生の傑作漫画「硬派銀次郎」を思い出してしまうのは僕だけ??山頂標識はまだ埋没していた。
「結局どこまで行くのちよ!?」
あれだよ。あの一番奥。
「え~っ!絶対無理ぃ!」
怒っていってしまった。この辺りは雪原が残っていた。向かう手前が銀太郎山。白く輝いている左奥が五剣谷岳。この二座、近そうに見えて実はかなり隔たっている。
いやあ。貫禄のある山だねえ。しかしブヨがすごいね。水無平あたりからずっとあたりを舞っている。油断するとそのうちジガっとやられるからハッカオイルをかけまくった。おかげで汗の臭いと化合してひどい臭いだ。
(銀次郎山を振り返る)
夏道を歩いたり、雪原を拾ったりが続く。この稜線のどこかに子孫繁栄の祝神様が奉納されている筈なのだが。雪に埋もれているのか、雪崩に攫われてしまったのか、見つけることはできなかった。
そろそろ水が足りなくなってきた。最悪、雪を食えばいいのだ。
「鹿のう○こが混ざってたら?」
そんな細かいこと気にしてたら山はやれんですよ。
銀次郎山から中杉山に続く屏風のような大スラブ帯。今僕らは川内山塊の只なかにいた。この辺りで老ハイカーとスライド。出逢った人々は以上。大型連休のベストな天候にも関わらず。どういう意味が潜んでいるのか不安でならない。
間もなく銀太郎の山頂だ。
何事も一番が好きな日本人の性癖を刺激したか。かつて訪れる者など極稀だったのに、マイナー12名山1位の称号は矢筈岳を観光地化してしまったという。川内山塊地域研究の第一人者であり、選者でもある高桑信一さんは選んだことをしきりに悔いているそうな。
「でも殆ど誰もいないよ?」
そうなんだよね…。
最後は登りにくかった。
やっと着いたよ。銀太郎山に。雪の圧力のせいか標識が倒れかけていた。これらを整備した村松町は平成大合併で五泉市に吸収合併されて今はない。
登山道はここまで。この先は自分でルートを読むしかない。
毛猛山アゲインだね…。雪落ちちゃってるよ。
苦い経験を踏まえて、耳の穴に枝が刺さらないようにネックゲイターを被せて、眼もド突かれないようにサングラスで防備する。おかげで暑いのなんのって。
あれ。誰かと思えばマンサク君ではないの。里であればとても可憐な花なのに、藪で逢うとシャクナゲ同様ただの憎いやつだよ。
ここは30mほどだったので、おサルも我慢している様子だ。
雪を拾って斜面を降っていくと、巨大な雪原に出た。もうここに幕営したいくらい。しかし五剣谷岳まで行かないと矢筈岳は狙えない。
尾根を巻いて反対側の雪原を拾う。4月15日頃、つまり僕らが刃物ヶ崎山に挑戦した頃は、美しく広大な雪原が発達していた。その後温かい日が続いたせいで一気に落ちてしまったようだ。そうだよな。五月にたっぷり残っている方が奇蹟だよな。
「もう遅いよ!」
なんとか日没前に張りたい。
雪原はここまでだった…。再び籔に突入する。なお、この先赤テープ、布などは三箇所ほどしか見なかった。不安な人は自分のものと判る目印を準備した方がいい。
結論から云えば稜線通しが一番いい。ときおり蛸のように八方に枝を伸ばす意地の悪いマンサクが現れるが、斜面を巻くと、下に下にと逃げてしまい、登り返しが大変だ。
一つ言えることは(藪ヤには常識だけど)雪原と籔が交互に現れようとアイゼンは使うべきでない。足を取られ、アイゼン故障の原因になる。また、カメラはザックに仕舞うべきで、どうしてもというのであれば小型のミラーレスなどにした方が無難だ。やはり故障や部品紛失の原因になる。
おサルは持ち前の柔軟性と小柄な体型を駆使し、怒り心頭ながらも僕より数段良い動きをしていた。それでもかなり疲労と不安が溜まったのだろう。そのうち泣き出してしまった。集中力を失った僕も少し情緒不安定になってしまった。これではダメだ。頑張れじぶん!
ようやく雪原に脱出した。と同時に、先行するパーティが最後の斜面を登ってゆく様を捉えた。同行者がいるというだけで不安はなくなった。これでは創造的登山なんて偉そうなことはいえないのだけど…。
ここに張ろうか?
「まだ行く」
こうなると実はおサルの方が強い。どんどん斜面をノーアイゼンで登っていった。
藪漕ぎですっかり消耗してしまった。僕だって決して籔山が好きな訳じゃない。憧れの山が偶々登山道のない猛藪の山だったというのに過ぎない。
気がつけばあれだけ強かった風も収まり、優しい夕陽に照られていた。
あとはココさえ乗り越えれば…
五剣谷岳山頂を越えた。残念ながら藪の中で三角点を確認する時間と気力はない。
そのまま稜線を進んで一旦下降すると、厳冬期の風雪が作り上げた天然のトレンチがあり、あの男性たちのエスパースの軽量テントが張られていた。ここを越えればネットでおなじみの広大な五剣谷岳の肩があり、張り放題なのだが、風に飛ばされるのが嫌で逡巡していたら、あの人懐こい男性が「良かったら張りませんか」と声をかけてくれた。自分たちだけの山の空気を吸いたいだろうに。
甘えさせて頂こう。
擂鉢状なのでショベルで整地してアンカーを埋める。着替えをすませて肩に上がることにした。翌朝の偵察をしなければ。
そこにはその目的を忘れてしまうような絶景があった。
あの正面奥が矢筈岳だよ。んで右奥が青里岳。
「え~~っ!遠いにゃ!絶対無理だよう」
大丈夫だよ。ピトンのバッグ買うから(モノで釣るのはある意味犯罪である)。
「ほんちー?でもオサルチ明日ここで待ってようかにゃ~」
結局ピトンではなく、新たな温泉旅行を約束して同行してもらうことになった。
(くどいようだがモノやサービスで釣るのは家庭内犯罪である)
片道18.5kmのうち11.5kmを歩き終えた。残り7km×往復=14km。アップダウンは耐えられそうだが、やはり籔が出まくっている…。
上がってこられた二人は「行けそうですよ!」と満足そうだ。聞くところによれば過去二回アタックして青里岳で敗退したという。全ては籔との格闘において。だが、年齢からは想像できないすごい体力の持ち主だった。さすが越後の岳人とあって雪慣れしているようで、どんな急斜面でもアイゼンを使わずツボ足。籔を考慮すれば当然なのだがとても真似できない。一番感服したのは籔捌き。まるで何もないかのように、泳ぐように抵抗するでもなく静かに進んでいく。
(左から順に…)
こうした人たちが二度も敗退しているのだ。おサル付きという最大のハンデがどう影響するのか。
(独立峰の割岩山を経て…)
しかし、僕の不安をよそに、期待に満ちた視線を二人は同じ風景にあつく注いでいた。
(そして翌朝目指すルート)
時すでに18時を回っていた。とりあえず夕食を摂って早めに就寝するとしよう。この晩は水餃子だった。しかし疲労困憊の僕は固形物が喉を通らない。吐きそうだ。それでも体力を復活させるために、泪を滲ませながら嚥下した。北京ダックになった気分だった。
本当に二人で往復できるのか。不安だ。
(つづく)
【一日目の行動時間】 12時間48分
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