木六山(825m)/七郎平山(906m)/銀次郎山(1052m)/銀太郎山(1112m)/五剣谷岳(1188m)/青里岳(1215m)/矢筈岳(1257m)
新潟県
日程:2019年5月3日~5日
天気:(1日目)高曇のち晴
行程:(1日目)チャレンジランド杉川4:00→6:40水無平→8:40木六山8:45→11:05七郎平山11:11→12:25銀次郎山12:35→14:27銀太郎山14:35→17:00五剣谷岳→17:17幕営地
■トイレ(杉川キャンプ場にありますがハイカーは了解を得ましょう)/駐車場(ダートを経た登山口に
10台程度のスペース)/登山ポスト(登山口にポスト形式)
≪七郎平山から眺める銀次郎山(左)と前銀次郎山(右)≫
こんばんは。ひつぞうです。連休後半は複数の候補の中から、悩みに悩んだすえ越後の矢筈岳に挑戦しました。知る人ぞ知るマイナー12名山のナンバー1に耀く難峰です。詳細はいつもの山行記録で。
(今回は多くの課題を残しました。後学と自戒の意味も込めて詳述するため少し長くなります)
【矢筈岳(柴倉沢からピストン)】
★ ★ ★
連休前はなにかと忙しく、天気予報も刻刻と変わるため、ターゲットを一つに絞り切れずにいた。最終的に毛勝三山、奥只見丸山岳、そして矢筈岳の三つに辿りついた。いずれも数年越しの宿題だった。最新情報の確認に充分時間を割けなかったことが今でも悔やまれる。(このことが後の困難な展開に繋がっていく)
連休後半が近づくと、読みが当たってどの山域も好天が報じられた。さてどうするか。一番日数がかかり、体力的にもそろそろ限界と思われる山を優先すべきだろう。矢筈岳は川内山塊の最奥に位置するため、二泊三日の行程に加えて、前後二日は余裕が欲しい。睡眠を犠牲にすると敗退のリスクが一気に高まるからだ。ベストの天候が嵌まる三日間、人跡稀な領域に身を沈めることにした。
≪コース概要≫
矢筈岳に登山道はない。残雪期限定の山で、全行程18.5km×往復=37kmのロングトレイル。籔の露出次第では通常の雪山以上に困難になる。つまり体力とルーファイセンス、経験に基づく計画性が問われる。
阿賀町の魚止山からであれば一泊で挑戦できる。だが、マイナー名山のラスボスの称号を与えられた背景には、早出川水系の嶮谷群に彫琢された、長く険しいアップダウン付きの稜線を、自分の力で克服してゆく登山の在り方にあったと思えば、選択肢は一つしかなかった。雪藪比にもよるが連日12時間想定の登山になるだろう。今回失敗したら、それが最後という覚悟を抱いて出発した。
★ ★ ★
登山前日。新潟観光を終えて五泉市に入った僕は思い掛けない光景に眼を疑った。粟ヶ岳に殆ど雪がないのだ。越後三山や守門岳は、そこだけ別世界のように銀色に耀いているのに…。不意を突かれた僕はコンビニのだだっ広い駐車場に、茫然自失の態で立ち尽くすしかなかった。
第二候補の丸山岳に変更し、大急ぎで檜枝岐村に向かえばまだ間に合う。だが地図がない。記憶だけの登山は危険だ。よくよく観察すると、銀太郎山までは殆ど雪がないものの、五剣谷岳はそれなりに残雪を戴いている。イチかバチかだ。
決行することにした。
「大丈夫なのち?」
と言っているおサルだが、夢中で携帯をいじっていた。
★ ★ ★
午前三時半。チャレンジランド杉川についた。柴倉沢登山口まではダート道が続く。知らなかった僕は施設の外側に停車して出発した(知らなかったとは云えご迷惑をお掛け致しました)。
歩き始めて15分ほどで登山口についた。ここで水無平とグシノ峰のルートに分岐する。爆裂火口のような水無平を歩いてみたくて前者を選択。沢沿いの傾斜した細い道が延々と続く。お世辞にも歩きやすいとは言えない。ヒルの棲息地らしいがまだ大丈夫だった。
最初の関門。滑りやすい斜面に虎ロープ一本が頼りの悪場。しかも擦り切れていつ切れてもおかしくない。この日は28キロの荷物。そろそろ軽量化を考えないといけないのだが。
なんとかパスした。かなり神経を使った。熊の落とし物も沢山あって気が気じゃない。この辺りも山菜が多いから。
予報通りの曇天。朝方の越後の山は西風で低い雲に覆われると知っているのでこの時点では心配してなかった。
一度大きく降ると水量のある沢に出る。先を歩くおサルがいきなりドボンして転んだ。靴の中濡れなかった?
「わひ~。大丈夫みたい」
沢を越えるとそこから九十九折りになって、本格的な登りになった。
もう新緑の季節だ。カタクリの群生地に入るが、すでに開花が終わり、青い実をつけていた。
一段乗り上げた処が水無平だ。ここで何やら分岐があった。道標がないので唯の仕事道くらいに考えていたが、実は悪場峠からの短縮ルートで、地元民は大抵ここからアプローチしていると(帰宅して)判った。
「調べが足りなさすぎなんじゃね?」
カールか爆裂火口のような、特徴のある地形なのだが、鬱蒼と茂る灌木に遮られてよく判らない。暫くすると、二人組の男性が追いついてきた。道を譲ると、通り過ぎ様に「矢筈岳?」と訊かれたので、そうだと答えると、人懐こい笑みを浮かべて「じゃ一緒ですね。どうぞよろしく」と挨拶を返してくれた。聞けば地元の方で、僕らよりも一回りは年上と判じられた。既に一度下見をすませていて、雪の状態は良いという。
毛猛山の苦い想い出がある僕としては、藪の露出を恐れていたので、かなり安心材料になった。
稜線に登り詰めると焼峰の神様が祀られていた。無事帰還することを祈念して先を急いだ。稜線に出た途端、冷たい風が身体をなぶり始める。専門サイトには強風注意報が出ていた。ま、初日は登り基調で相当のアルバイトになる。高曇りで涼しいくらいがちょうどいい。
痩せ尾根はないが、厭らしい細い巻き道が多くて気が抜けない。右側は面白いように切れ落ちている。
木六山、七郎平山、銀次郎山、銀太郎山の四座までは登山道が整備されている。ただ標識はあまりない。(特に残雪期の)道迷いには注意したい。
ヤブツバキの赤が殊のほか美しかった。あたりは花の稜線で、カタクリ、ショウジョウバカマ、タムシバ、ミネザクラ、イワウチワが咲き乱れていて、ヒメギフチョウやヒオドシチョウが蜜を求めて、道案内のように先に先にと舞うのが面白かった。
しかし、最近ではこうした植物にも慣れてしまって、初見の植物しか写真に撮らなくなってしまった。贅沢な話だ。
(写真は下山時のもの)
木六山頂間近というあたりで、分岐に出くわしてしまった。持参した地理院地図は尾根通し。しかしくだり基調の巻き道に「木六山」と道標がついている。後者を進んで思った。その先はべっとりと残雪が覆い、夏道が消えている。道迷いのリスクが高い。尾根通しが正解だろう。
踏み跡はしっかりしていた。そのうち急勾配になり、石楠花や笹に掴まらないと滑るようになる。ようやく乗り越したと思った刹那、突然道はなくなり藪と化した。
だが、好く見れば踏み跡はある。これくらいの籔は越後では普通の登山道なのだろう。「越後籔山情報ネットワーク」という情報交換サイトがあるくらいだから。
過去の少ない藪経験に即して云えば、一番大変なのは新潟の奥深い稜線鞍部に多い、マンサクなどの丈の高いうねりのある低木に蔓植物の組み合わせ。続いて亜高山帯に多い石楠花+ハイマツ。でも一番の難敵は背丈以上の笹の密藪。秋田駒ケ岳の付属峰、笹森山や笈ヶ岳山頂付近で強行突破しようとして、簡単に跳ね返されたのは苦い思い出。
「やッと抜け出しただよ」
ここでグシノ峰経由のコースと合流。いきなり普通の登山道に復帰した。
木六山についた。時刻8時40分。
「晴れないね~」
いつも10時くらいには晴れるけどね。新潟の稜線は。
(写真は下山時のもの)
山頂から先程パスした夏道を見おろすが、雪渓に覆われて判らない。藪漕ぎこそあったが、尾根通しの選択は間違ってなかった。危ない危ない。
「今日はどこまで行くのち?」
と言われてもね。初めてのエリアなので、ちょっと同定できないよ。
「へ~。ひつぞうでも判らないことがあるんだ」
というよりも、恐らく幕営予定の五剣谷岳はまだ見えてないのだ。
銀太郎でさえあんなに先なのだ。正直に説明したら殺されるよ。
次の七郎平山まで水平距離が長い。ただ標高差が大してないので苦労はないと踏んだ。この辺りで単独の60代後半と思しき男性が戻ってきた。諦めたという。しかし一体何時から登ってるんだ?
イワウチワロードが続く。三日と持たない花だから、戻ってくるときは散っているだろうね。
樹間からようやく七郎平山が見えてきた。結構登るよ。これ。
その前に第二の難所が。今まで以上に痩せて傾斜した巻き道。しかもロープなし。これ越後の山の常識なんだろうか。過去登った山でも、標識も確保手段もない難しい“低山”に何度も遭遇した。個人的に思う。新潟、山形、群馬は、派手な近代装備や有名ブランドに頓着せず、泥臭くもパワフルに登る本物の登山家のための領域だと。
こんなですからね。落ちたら命はないね。ま、今はいい。問題は帰還時。足腰がボロボロになっているはず。大丈夫なんだろうか。
奈羅無登山(ならんとやま)周辺の嶮谷。銀次郎山を源頭とする中杉川が抉った
あと。
ようやく登りになって残雪も現れてきた。まだアイゼンなしで行ける。
と思ったらさ。結構厳しいよ。ここ。今更ザック降してギア出せないしね。最後は雪と泥のミックスの急斜面で滑落しそうだったよ…。
振り返る余裕が出てきた。奥が木六山、このあと短いトラバースを経て、平坦な場所に出る。無雪期は幕営適地になる。ただヒルもいるそうな。そして七郎平山頂は目の前だ。因みに傍に雪解け水が流れ、貴重な水場となっていた。偶々くだんの男性パーティから教わった。
「もう!全然ダメじゃん!」
知っていればここで補給できるから、重い水を一度に背負う必要はなかった。
決して舐めている訳ではないのだが、あまりに調査し過ぎると創造的登山が求められる矢筈岳の、在るべきスタイルを撓めてしまうのではないか。そう思ったのだ。
ま、水に関しては別問題だったね。ごめん。
夏道は山頂を巻いている残雪期限定のピーク。だからかそれと示すものは何もなかった。いよいよ銀次郎山が射程に入った。この双耳峰を銀太郎と銀次郎の兄弟であって欲しいと心底思った。どう考えても違ったけど。
(続く)
※写真の関係でここで一度きります。
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