蔵王源流の秘湯「峩々温泉」(宮城県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

さるひつの温泉めぐり♪【第61回】

峩々温泉

 

往訪日:2019年4月26日~27日

所在地:宮城県柴田郡川崎町大字前川字峩々1番地

泉名:峩々温泉

泉質:ナトリウム-カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉

泉温:58.3℃

色合:無色透明

味匂:仄かな硫化水素臭、ほのかな鹹味

pH値:6.8

■営業時間:(IN)15時厳守~/(OUT)~10時30分

■日帰り利用:不可

■駐車場:20台ほど

 

≪濁川に面した借切り湯「天空の湯」≫

 

こんばんは。ひつぞうです。いよいよ大型連休後半戦ですね。アイゼンやワカンのリペアも万全。とにかく晴れることを祈るのみです。さて、新野地温泉をあとにして北上しました。某所でランチを取ったのち、訪れたのは峩々でした。

 

★ ★ ★

 

温泉と登山は浅からぬ関係がある。そもそも温泉が火山活動の産物であれば、登山の基地となるのも当然の理。今でこそ車でアクセスできるようになったが、昭和四十年代までは夜行列車やバスで移動し、深い山にあっては温泉宿もベースとなった。

 

「まるで自分の経験みたいだにゃ」サル

 

雑誌で読んだんだけどね。

 

東北道白石ICで降りて、秀峰青麻山を左に見やりつつ、遠刈田温泉を通過。ここで昼食をとったのち、蔵王エコーラインをひた走る。残雪の屏風岳が逼るようになると、県道青根蔵王線への分岐が現れる。峩々温泉の為だけにあるように。

 

 

連続するカーブを抜けると一群の建物が見えてきた。峩々温泉だ。脇を流れる濁川蔵王の御釜に発する。不気味に濁るその川は強酸性。生き物はいないそうだ。

 

いずこも混みあう五月連休の温泉地。今回この宿を選んだのは、もともと行きたい事に加えて、日帰り利用不可の宿泊施設だから。二年前の同時期に夏油温泉を訪れて、その芋の子状態にほとほと嫌気がさし、この季節は静かな宿に泊まろうと心に決めたのだった。

 

 

しかし。到着したのは14時。因みにこの御宿は15時チェックイン厳守らしい。とは云いつつ、既にスタンバっている車もある。ものは試しと玄関まで行って観念した。(僕のようなせっかちが後を絶たないのだろう)「不法侵入禁止」と立て看板が据えてあった。

 

「だから無理だって言ったのににゃ」サル

 

 

なおここは、名号峰から熊野岳に至る登山道の起点でもある。かつてはかもしか温泉跡ロバの耳岩を通過できたのだが、噴火の危険があるため自粛が促されている。

 

「禁止って書いてあるにゃ。登るつもりなんじゃね?」サル

 

いや。ほら将来解除されるかも知れないからさ。

 

 

これ。冷鉱泉と一緒なんじゃね?

 

 

待ちきれないので、一番乗りするために玄関に荷物を置いて待つことにした。僕の異様なアツが伝播してしまったようで、品のよい面貌の若女将が現れて「あと五分で開けますから」と言う。我が意が通じた歓びを伝えるため、車中のおサルに電話する。

 

圏外だった…。

 

 

玄関には「峩々」を意匠化した青銅の紋が施されている。

 

 

中に通されると、デザインの異なる椅子が複数組並んでいる。この辺りの設計は(今は沓掛温泉となった)満山荘に似ている。どちらが先取りしたのかは判らないけど。腰を下ろすとウェルカムスイーツの餡入り落雁が出てきた。

 

無類の餡好きの僕だが、食べる前に写真に収めようと考えた。考えつつ宿帳に記帳していると、なんとおサルが一個齧ってしまった。

 

なんで勝手に食べるんだよ!写真撮り損ねたじゃん。

 

「うるさいなあ。じゃ戻す」サル

 

こんな食べ掛けの写真じゃ絵にならないよ。

 

「オサルチには落雁食べる自由もないのち?」サル

 

なんてことをワイワイやっている昭和の夫婦を、周囲の平成世代の若い家族たちはどのような眼で見ていたのだろうか。ま、いつものことなんで気にしちゃいないけどね。なので写真はない。

 

 

峩々温泉との出逢いは(昭和三十年代のものだろうか)峩々温泉蔵王荘を名乗っていた頃の古い写真を雑誌で見たことだった。臙脂の屋根に、白抜きの大きな文字で「峩・々・温・泉」と記された湯治宿独特の棟続きの長屋は、遠い東北の温泉を、これまた遠い九州の西の果ての少年の僕に憧れさせた。何しろスキー場そのものが九州では珍しかった。

 

一階ロビーは(上の写真のように)バーカウンターもある。15時から18時まではハッピーアワー。若い頃のソニー・ロリンズの白黒のポスターが貼られ、スピーカーからはビル・エヴァンスの軽快なピアノ曲が流れていた。大人の宿だ。

 

 

大きな書棚には拘りの書物がずらりと並ぶ。文学、美術に登山や和趣味。ブッキッシュなセレクト。東北ゆかりの作家や、六代目当主の趣味であるスキー、バイク、カメラの雑誌も沢山揃っている。これは時間が幾らあっても足りないね(笑)。事実、連泊する湯治客も幾組かいるようだった。

 

 

ロビー脇には飲泉用の温泉が引かれていた。峩々温泉は湯平(大分)四万(群馬)と、三大胃腸病の湯として並び称されるそうだ。若女将の説明によれば逆流性食道炎に効果があるという。

 

「ひつぞう、逆流性食道炎だもんね。神経細いもんね」サル

 

飲んでみた。仄かな硫化水素臭と極極微量の鹹味を感じた(不思議なことに翌日は無味無臭だった)。

 

 

宿のスタイルは秘湯、和風モダン、ラグジュアリー系。

 

 

僕らの部屋は一番狭い六畳の部屋。経費節減だ。寝具は敷きっぱなし。つまりこの先スタッフは入室しない。炬燵も完備されている。当然トイレも室内にある。全20部屋。日帰り専用の施設があったのだが、2011年に終了して今はない

 

 

部屋からは対岸の溶岩壁が迫って見える。この峩々たる様からその名がついた。

 

そもそも峩々温泉の歴史は嘉永年間(1847年~1853年)に遡る。羽前国宝沢村(現山形市)の猟師六治が鹿を追って山中に入ったところ、手負いの鹿が湯に浸かって傷を癒している場面に遭遇する。その後、鹿の湯と名づけられ、多いに湯治の宿として栄えたという。鹿を白猿に替えれば夏油温泉の来歴とよく似ている。どこまでが真実でどこからが伝説の域なのかは、推して知るべしだが、行基上人開湯の伝説と同様、同じような説話が全国に広がっているのだろう。

 

 

その後、一度荒廃した鹿の湯を再興したのが、現在の館主の高祖・群馬の人竹内時保氏だった。明治二年。北海道開拓使・黒田清隆伯爵に随行した時保は、東北巡視ののち、刈田岳山下にて硫黄採掘事業に乗り出す。そこで鹿の湯を発見。奮闘の甲斐あって明治九年に現在の峩々温泉が開業した。(宿メモより)

 

それでは温泉探訪に移ろう。

 

当館の特徴

 

①湯屋は三か所。一階奥の内湯、その外にある屋根つき露天風呂、更に下段に続く混浴露天風呂。

②源泉掛け流しなので24時間入浴可能。

③内風呂には「あつ湯」「ぬる湯」がある。「あつ湯」はいわゆる寝湯。備えつけの柄杓で腹部に百回掛湯すると胃腸病に抜群の効能があるという。

④一番奥には家族風呂「天空の湯」がある。予約制ではなく、入り口に使用中の札が出ていない限り、自由に使える(但し21時まで)。利用時間30分。

 

ということで、一番風情のある天空の湯に向かった。よかった。空いている。

 

 

外履きに履き替えて階段を上がる。台風の被害だろうか、天井が抜けていた。湯屋に入ると湯かき棒が立てかけてある。その儘ではとても入れない熱さ。

 

おサル、頑張れ~!

 

「手伝えよ!」サル

 

 

ということで一回掻き廻せば、普通に入ることができた。(今回も朝の写真と混成して編集してます)

 

 

無色透明だけど、析出成分が濃厚なので結晶化している。小谷温泉の山田旅館に似ているね。

 

 

上流側に乗り出すと何やら建物が見える。あれが源泉小屋のようだ。頼めば見学させてくれるそうだ。でもまあ、今は大型連休でしょ。スタッフも忙しいからね。

 

「単に肝っ玉が小さいだけなんじゃね?」サル

 

では男女の湯に行ってみよう。男性は鹿の湯、女性は峯の湯。源泉は同じ。

 

 

内湯は天井の高い檜風呂。こっちがぬる湯だね。確かに適温。いつまでも入っていられるよ。

 

 

なるほど効きそうな湯だ。

 

 

結晶がすごい。尻が痛い。

 

 

こっちが寝湯だね。マットを自分で敷いて枕を頭に当てて寝てみる。悪くない。しかもマットがあればそんなに熱くない。100回かけて今度は露天風呂へ。

 

 

保養に来ているのか、取材に来ているのか判んないね。

 

 

入ってみる。普通の風呂だ。ここもぬる湯で快適。雨の日用なのかな。因みに道路から丸見え。風景を撮っている人もいるので、写りこまないように注意しようね。

 

一段下まで行ってみる。誰もいないのだが、不測の事態に備えて腰にはバスタオル。

 

 

おっ!これはまたかわいらしい。

 

 

しかし熱い!マジで!雰囲気だけ味わって上がることにした。まだ時間は幾らでもある。チェックアウトも10時30分と遅いしね。

 

★ ★ ★

 

ということで、取材入浴も済ませたので、ロビーで寛ぐことにした。

 

 

「これがやりたかったのちよ~♪」サル

 

もう長いことカクテルなんか飲んでない。独身の頃は福岡の名だたるバーの常連だったおサルに夜遊びに連れて行ってもらった。ほら、僕って遊び慣れてないじゃん。

 

「キャラじゃないしにゃ」サル

 

 

静か~。暖炉の薪がはぜる音だけ。好きな本の頁を繰りつつ、ハイボールを舐めるように飲む。あれ?もうすぐ18時30分だけど。

 

「夕食だにゃ」サル

 

 

夕食もかなり手が込んでいそうだ。

 

夕食メニュー

 

前菜…山菜のもりあわせ

椀もの…白石うーめん

焼き物…鰆の幽庵焼き

蒸し物…三陸ふかひれの茶碗蒸し

主菜…蔵王高野菜とベルツのソーセージの蒸籠むし

揚げ物…じっくり煮込んだふろふき大根揚げ

名物…宮城風芋煮汁とひとめぼれ一等米(お代わり自由)

冷菓

 

料理長:青山博幸氏

 

長くなるので簡単に紹介。

 

 

前菜はウルイ、しどけ、蕨、蕗、シソ巻、胡麻豆腐。

 

 

三陸(たぶん)気仙沼産のふかひれがゴロリと入っている。具だくさんな茶碗蒸し。

 

 

これは白石名物うーめん。そーめんじゃないよ。

 

 

鰆も脂がのっていて旨い。包丁次第で、カリカリの旨い皮になるかどうかが決まる。

あしらいはレモンじゃなくてゼリー。

 

(いちいち断りを入れているのには理由がある。隣の客が大声で頓珍漢なことを喋っているから、ついツッコミを入れたくなるのだ。関西人はなぜ声が大きいのか。)

 

「オサルチもさ。DNA的には大阪人なんだけどにゃ」サル

 

 

かなり巨大…。まだ蒸籠蒸しがあるんだけど。ていうかさ。なぜこうもどんどん出てくるのか。テーブルに載りきらないよ。三回転する忙しさもあってか、凄い勢いで料理が出てくる。こればかりは落ち着かず参ったよ。

 

 

その代わり酒のスピードは異常だ。おサルの。

 

「そうお?」サル

 

確かにいい酒ばかりだもん。

 

 

ということでベルツのソーセージ到来。凄い量だよ。ベルツは遠刈田温泉で峩々温泉が経営しているソーセージレストラン&直売施設。美味しいので是非近くに寄ったら行って欲しい。

 

 

汁物もお椀が巨大。品数も多くて美味しかった。ゆとりのある配膳だったらベストだったなあ。でも満足満足。

 

 

デザートはロビーで戴く。濃厚な牛乳の味がした。この後は爆睡(笑)。いつもの事だね。

 

=翌 朝=

 

 

奇蹟的に晴れた。悪天の予報だったのに。登山以外の予定を組むといつもこうなる(笑)。

 

午前八時。風呂あがりの朝食。

 

 

丁寧によそおわれているが、夕食に比して意外に淡泊なメニューだった。食後もゆっくり過ごした。やはり湯治や保養には大人の宿が一番だ。

 

★ ★ ★

 

チェックアウト前に温泉神社について訊いてみた。早朝におサルと散歩がてら歩いてみたが、宿舎に遮られて向かうことができなかったのだ。

 

 

なんと湯屋に向かう廊下から外に出るとのこと。マイ靴持参で。

 

 

階段を登ると…

 

 

立派な祠が設えてあった。無病息災を祈るとしよう。

 

 

おサルは何を祈ったの?

 

「ひつぞうが痩せますようにって。やさしー妻だにゃ」サル

 

ま、こんな好き勝手な生活してるようじゃ無理かな(笑)。そろそろ登山に行かないとね。

 

 

結局一番最後までうろうろしていたサルヒツジ。これにて東北湯けむりツアーのレコは終了。明日から某所に遠征します。さあどこだ!?

 

(とりあえず終わり)

 

いつもご訪問ありがとうございます。