日本に住んでいると平和なのでこの日本の現状と同じような状況が世界各地でも広がっていると思いやすいもの。

 

しかし、ちょっと目を広げてみれば、日本の現状が世界の現状ではないことがすぐにわかります。

 

昨年末から動きが慌ただしいのがウクライナ問題。

 

経緯は、こちらにまとめられています。

 

クリミア危機・ウクライナ東部紛争

wikipediaより引用

 

これは、さかのぼれば、2014年に発生した問題が、複雑に絡み合っているのですが、もっとさかのぼれば、イデオロギーの相違によるものではないでしょうか?

 

これは、ウクライナだけではなく、ほかの地域でも何百年も前から起こっていることです。

 

では、この問題は、これからも解決せずに

ずっといがみ合っていかなければ、いけないのでしょうか?

 

この人類の問題にも及ぶ問題の解決方法を唱えているのがNoh Jesuです。

 

感情や長年の怨念など蓄積されたものがあまりに多く、到底解決できないと思いやすいのですが、Nohさんは、勝負のプレートを変えることだと言い切ります。

 

ウクライナ問題は、言い換えれば、自由主義共産主義の戦いだということが出来ます。

 

この対立構造になってしまった場合、どちらかの主義がなくならない限り解決はしないでしょう。

そして、どちらかが消えるのは現実的には難しい。

 

すなわち、見守るしかないという選択肢になってしまうのですが、この対立構造を“脳”vs“心”に変えることだといいます。

 

ここでいう心とは、心理学などでいわれている心とは違います。

ここで、Nohさん本人が心について語っている動画がありますので参照にされてください。

 

 

これまでの戦いの歴史であったイデオロギー戦争も“脳”が起こしてきたものだったと定義することで

これまでの生き方を続けていきたいのか

新しい生き方をスタートしたいのか

と対立構造が見事に変化するのです。

 

一回、聞いただけではわからないことも多いと思いますので引き続き、YouTubeチャンネルなどを参考に深めていければ、誰にでも理解できる内容になっています。

 

これからも心感覚についていろいろ記事を書いていきたいと思います。

1400年前に聖徳太子が残した「和をもって尊しと為す」。

聖徳太子がその時代に何を見て、何を思い、この言葉を後世に残したのか?

いまとなっては推測するしかないが、その聖徳太子の思いは多く人に受け継がれ、この言葉を「座右の銘」にする人も多い。

しかし、残念ながら現代にこの思いが実現されているのかと見たら実現されていないのではないだろうか?

それがなぜなのか?

それを明確に解き明かし、整理整頓した人がいる。

それがNoh Jesu氏だ。

いままで出来なかった理由に和にも段階があり、これをすべて統合しないとできないという。

その段階とは、
 ・相対的な和
 ・絶対的な和
 ・究極的な和
である。

詳細は、別の機会に譲るが、大まかに述べると相対的な和とは、ひとり一人が違うように相対的な和のこと。

相対的なので人の数だけ存在することになり、これだけでは、統合することが出来ない。


そして、絶対的な和とは、一つしかないこと。

二つあってしまったら絶対(ひとつ)にはならない。

ありていに言えば、過去の偉人たちが語ってきた世界である悟りだ。

ただ、ここだけにとどまってしまってもいまの世界が統合できているのかといえば、出来ていない。

これだけでは不十分なのである。

お釈迦様を代表とする偉人は、いたとしても2500年前に悟ったことを現代でも解き明かせていないのであれば、それを進歩ということができるだろうか?

上記、2つでは足りないものを補うのが究極な和である。

その究極な和のことは、イースト・プレス社から発売された心感覚(シンかんかく)に書かれているのでぜひ、手に取って読んでいただけると幸いである。
 

人間ならば、一度は、憧れたことがあるであろう真実。

真実を得るために目標・計画を作りいろいろなチャレンジをするが、実際に真実にたどりつけた人が何人くらいいるのだろう。

もし、まだ真実にたどり着けていないのであれば、そもそもどこを修正していけばいいのだろうか?

その明確な修正ポイントがわからないまま、チャレンジをしても過去の結果と同じになるのではないだろうか?

そして、その修正ポイントを明確に規定した人物がいる。

それが21世紀悟り人、Noh Jesu氏だ。

そして、その規定は、もし、間違っていたのであれば、責任を取って切腹をするというまで確信に満ちあふれている。

では、その修正ポイントは、何かと聞きたくなるが、それを整理するためには1日が必要だ。

なぜなら、これまで多くの人類が追求しても追求してもわからなかった究極のモノだからだ。

その中でわずか、ほんのわずかな偉人といわれる人々がたどり着いた世界。

それを知ることが出来るのがNoh Jesu nTech マスター1dayだ。

https://reiwaphilosophy.com/workshop/?page_id=428

あとは、参加するか、しないのかの判断だけである。
 

 

この頃は、撮影や配信をすることが多く、いろいろな企業さんの撮影にアシスタントとして入らせてもらっています。


その中で一番重要なのが何といっても企画

企画ありきといっても過言ではありません。

ある企業さんでは、本番前のリハーサルだけで2回お邪魔させていただいたこともあります。
それもほぼ半日!

社内の企画会議を含めれば、いったい何十時間何十人の人材を投入しているのでしょうか?

それほど、重要なのが企画ともいえるからです。

そして、本日、令和哲学チャンネルの撮影をしてきました。


なんと企画時間、10数分!!


全部の撮影時間を含めても30分弱!!!


なんとこれが今回だけではなく、毎回なのです。

もう凄すぎて天才すぎて笑いしか出てきません(笑)


ちなみに前回の令和哲学チャンネル
人を動かすために必須の要素とは?


動画を見てもらえれば、わかるのですが、普通に調べるだけでもどのくらい時間がかかるのか・・・


ちなみに動画に出てくるキーワードだけをみても欺瞞LogosPathosEthos・・・


それを現場に来て、ちょこちょことまとめて「じゃ、撮りましょうか」と言って撮影してさっと去っていく・・・

どれだけの知識が豊富に蓄積されているのか、

それらを自由に組み合わせられのか

それを一貫性をもって希望として伝えるリテラシー能力の高さは・・・

まさに、何を知り、どのような行動し、どんな希望を与えるのかを地で行く日々。

一度、のぞけるものなら頭の中を、思考回路をのぞいてみたいと密かに思っています(笑)


今回の撮影の内容は、

コロナパンデミックが時代に、人類共同体に、日本に、一人一人個人に何を要求しているのか・・・という部分から始まります。


内容だけでも普通に知の巨匠といわれる人と大いに

ディスカッションして盛り上がる内容になっています。

動画の完成もこうご期待ください。


そして、そんなNohさんの交流会が本日、そして、国際カンファレンスが10月の上旬にありますのでよかったら知に触れに来てくださ~い。

第7回 9/30 NohJesuオンラインスペシャル交流会

 

国際カンファレンス Dignity2.0

 

 

世間では、東京五輪の開催について賛否両論が叫ばれていますね。

 

世論的には、7、8割が反対という意見が多いみたいですが・・・

 

これまでの経緯を見てみると3/30に記者会見が行われ、7/23からオリンピックが開催されると発表がありましたね。

 

東京都の小池百合子知事は3月30日、記者会見を開き、延期となった東京オリンピックを2021年7月23日に開催することが決定したと発表した。  

流通ニュース参照

 

それ以来、いろいろなところで叫ばれているのは、反対の声ばかり(笑)

 

私個人としては、単純に賛成・反対というのではなく、賛成意見、反対意見の両方を客観的に確認してその上で考えることが大事だと思います。

 

まぁ、開催が決定されているので、反対意見の対策をしっかりと行った上で開催になるべきだと思っています。

 

個人的には、反対派の人は、感情論的になっているのではないかと思いますが、どんな意見が出ているのかちょっと拾ってみましょう。

 

 ・新型コロナウイルス感染症の感染拡大の抑制に苦労している中でやる必要性がない
 ・日本のワクチン接種率は富裕国の中で最も低い
 ・新たな感染による爆発の恐れ
 ・オリンピックを行えば医療体制が崩壊する

 

だいたい、上記のような意見が多かった。

また、東京オリンピックのみではなく、オリンピック自体の開催反対の意見として

 

 ・膨大な費用

 ・環境破壊

 ・弱者を追い詰める開催地の都市開発

 ・選手を使い捨てする過度な商業化

 

などがあるらしいが、今回の趣旨の枠を超えているので省きます。

 

一方、賛成派の意見は、ないのかと調べたところ少数ではあるがあるにはあった。

その中で下記のブログは、なかなか的を得ていると思ったので紹介します。

 

その記事の中でもなるほど!と思ったのが以下の部分

政府のコロナ対策の不足や不手際に対するいら立ちが募っている。コロナに対してほとんど何もできていない(と思える)政府が強硬にやりたがっている東京五輪になんか賛成してたまるか、という憤りが根底にあるような気がする。  

DIAMOND online参照

 

これは、個人的にも感じますね(笑)

 

コロナに対してあれだけ無策で対応でも出来なかったのになぜ、オリンピックになったとたん、こうも強行手段を選ぶのか?って率直に思いますもんね。

 

ただ、ブログにも書いてありましたが、こういった憤りが根底になるのだとすれば、その矛先は、オリンピックでがなく、政府に向けるべきだと思います。

 

そして、実際問題として、まだクラスターが起こっていない日本に感染拡大の恐れがあるについても下記の部分でなるほど!と思いました。

 

IOCと東京五輪・パラリンピック組織委員会(組織委)は重大な決断をしている。「海外からの観客の来日は禁止」、これを決めた時点で不特定多数の入国は制約された。 

また、日本に在住する人だけが見るのなら、すでに昨年からほぼ毎日日本各地で実施されているプロ野球や、同じく週1、2試合行われているJリーグと同じ状況だ。一部で感染は起こっているが、これまでスポーツ観戦で重大なクラスターは発生していない。PCR検査を義務付けていない観客が1万人以上集まっても問題ないのに、「オリンピックは別だ」「やめろ」と主張するのは、いささか感情的な暴論だと思う。 

DIAMOND online参照

 

そして、来日する選手や関係者に通知された「プレーブック」

 

これは、なかなか厳しい。

正直言って、日本人でもこれをやれと言われたらいやだと思うくらい自由がかなり制限されている。

 

個人的には、日本でさえ、このプレーブックに則った対策をしていないのに選手や関係者に強制させるのは、どうなんだろう?と思うほどでしたね。

 

最後に賛成派が訴えたいこととして、下記がなるほど!と思いましたね。

開催するために、これまでになかった施設を作り、これまでなかった数の検査態勢ができる。これはオリンピック後、一般の人々にも活用できるはずだ。

いま私たちは、最大限、コロナ対策に留意し励行しながら、一方で「できる限り、自分に与えられた仕事や日常生活をやめない、可能な形で維持し続けること」をそれぞれが目指し、最善を尽くしているのではないだろうか。

 誰もが痛みを感じ、影響を受けながら、互いに思いやって支え合う。これが基本だろう。

 ところがなぜ、東京五輪だけは「全面中止」を強いられ、「やめろ」と横暴に叫ぶことがまるで「正論」のような空気になってしまっているのだろうか。スポーツはそんなに悪者なのか?

東京五輪中止で失われる選手やスポーツ関係者たちの情熱、彼らが失う「人生」そのものへの補償をどうするのか?それに思いを致し、具体的に代案を言及してくれる人もほとんどいない。

DIAMOND online参照

 

自分自身も振り返ってこういったひとつひとつをしっかりと理解・把握した上で、じゃ、どうすれば開催していけばいいのか?について議論するのが本当に必要だと思いました。

 

また、こうしたディスカッションをする場があまりにないのが、いろいろな不満の蓄積になってしまっているのではないかと思っています。

 

そんな中、今日は、令和哲学カフェで東京オリンピック開催について、危機なのか、チャンスなのかについて思うこと、感じることを徹底的にディスカッションするのでぜひ、あなたの率直な意見ももらえるとうれしいです💓

 

コチラから申し込むことが出来ます。

 

 

あたりまえかもしれませんが、社会生活をしていく中で人と関わりを一切持たずに生活することは無理です。

 

そして、人と関わるのであれば、人との関係性にどのくらい関心を持っているのか?

 

あの人とは、仲が悪いし、お互い嫌いあっているから当たり障りのないようにしていけばいい・・・。

 

こういう意見もあるでしょう。

 

でも、もし、その人との関係性が変わるとしたら・・・

 

それでも仲の悪い関係性をつづけていくでしょうか?

 

おそらく、否ではないかと思います。

 

本当は、心の底では、仲良くできるなら仲良くしたいのにいままで仲良くできなかったからこのままの関係性が続くのではないというあきらめもあるのではないでしょうか?

 

または、私は悪くないので相手が変化して来たら関係性について見直してもいいと思っていますか?

 

いずれにしても関係性を築いたのは、間違いなく自分ですし、最初から悪い関係性ではなかったはず。

 

どこかで、何かの些細なことの積み重ねでいまの関係性が作り上げたれたのであれば、いままでのことをすべてなかったこと(ゼロ化)にできたらどうなるのでしょうか?

 

このゼロ化が難しいから昨日までの関係性が今後もずっと続くと思ってしまっているのです。

 

このゼロ化が誰にでも出来るように技術化したものがnTechです。

 

そして、自分の変化させることが出来た人は、人をも変化させられるようになっていく技術でもあります。

 

習得するのであれば、がっつり学んだ方がいいのですが、いまは、短期間でいろいろお試しできるイベントや気軽に参加できるセミナーもありますので、まずは、自分が作ってしまった過去をゼロ化できる自分になれたら未来は、ホント変わりますよ♪

 

 

 

 

昨日、ある運動会の話をしましたが、これは、全員を勝たせたとしても形だけ

 

中身は、まったくないことはあきらかでした。

 

それに対し、全員が勝つことにチャレンジすることで、参加者も視聴者もともに楽しく、学びにもなり、次回はもっと挑戦してみたいと思えることが起きたので書きます。

 

それは、一昨日の令和哲学カフェで発生しました。

 

その時もいつものようにあるテーマを投げかけ、テーマに対し、出演者が順番に答えるというモノでした。

 

ただ、その答える前にファシリテーターを務める令和哲学者のNohさんがこんな発言をしたんです。

 

『見ている視聴者の何人の目を覚まさせるのかが大事だよ。この時間帯は、眠いんだから。自分の表現をシャープにして相手にどのくらいハッとさせることが出来るのかが大事だよ。』

 

これってすごくないですか?

 

言われた方は、何とか見ている視聴者の目を覚まさせようとシャープな意見を言おうと一生懸命整理しながら考えます。

 

そして、見ている人もこの人は、どんなことを言うのだろう?と期待しながら聞いています。

 

 

出演者は、前の人が言った意見の足りない部分を補足したり、あるいは、

全然違う観点から言うとどうなるのだろうかと一生懸命、答えを導き出そうとする。

 

結果的には、なかなか難しいということもあり、思った通りの答えは出ない。

しかし、最後にNohさんが自分の意見を整理して話す。

 

その話を聞く前にみんなが

自分なりに考え、答えを聞く器を創り出している状態なので整理してもらった方も今まで以上に納得できる。

 

そして、これならば、スッキリする答えを導き出せなかったとしても次こそは、と思える。

 

まさに関係した人すべてを勝者にするすばらしい投げかけだと思いました。

 

人るの問いを通して関係者全員がオーケストラのように協力し合っている場がそこにはあったと感じたひとときでした。

 

あなたは、全員を勝者にさせ、より学びになり、もっとやってみたいと思わせることが出来ますか?

 

以前、ある運動会でこんな話を聞いてびっくりしたことがあります。

 

その運動会では、勝敗による優劣をなくすために競技では全員を同時に勝者にする運動会なんだそうです。

 

 

例えば、50m走。

 

 

出場選手が一列に並び、ヨーイドン!の合図を待ちます。

 

そして、合図にあわせて各自が持てる力を出して駆け出します

 

1番前を元気に走っている子供は、ゴール手前で止まります。

2番目の子も同じように止まります。次の子も・・・

 

 

そして、全員がそろった時点で一緒にゴールするそうです。

 

 

みなさん、この現象、どう思いますか?

 

結果的に全員が1位

 

 

確かに競争の優劣をつけないので力がない子が落ち込むことはないでしょう。

 

しかし、同時に大切なものを失っているのではないでしょうか?

 

はたして、1番の子供が次に走るときに前回以上の記録を上回るために力を出し切るでしょうか?

 

 

力を出しても出さなくても結果は同じ。

 

 

このようなやり方をずっと続けていけばどうなのか。

 

 

その子が大きくなって会社に入る時にどう思うのでしょう。

 

どこの企業もこのようなやり方はしていません。

 

だって、こんなやり方では、倒産してしまうのは目に見えているから。

 

 

どう見ても不自然なことが行われていると思います。

 

 

その中でどうやれば、もっと楽しく、学びにもなり、次回はもっと挑戦してみたくなるのか?

 

 

次回は、実際にその現場に立ち会ったのでその模様を書きたいと思います。

 

 

これは、Noh Jesu氏男性と女性を言い表した言葉。

 

たしかにうなづける。

 

でも、それを明確に理解しないまま、わかってくれるだろうと期待してしまうから裏切られ、その結果、相手を恨んだり、憎んだり・・・

 

こうして、言葉に書くとなんてバカなことをしているんだろうと思うけれど、ついついやってしまうもの。

 

なにもこれは、分かり合えないものだと言いたいのではなく、このくらい違う生き物だからそれをわかった上でコミュニケーションをすれば、どうすれば、わかりあえるのだろうと逆に溶け合う可能性もあるということ。

 

 

そして、わかりあえた時に爆発的な力を発揮することも事実。

 

 

なぜなら、同質性の限界を(融合したら)簡単に超えてしまうのが異質性のパワーだから。

 

 

簡単なたとえを使うならスイカをより甘くするのはどうすればいいのか?

 

子供の頃に試した人ならだれでもわかることだけれど、答えは塩をかける

 

 

体験に基づく人は、何も疑問を抱かないけれど、冷静に考えてみれば奇妙なこと。

 

 

どんな料理にしても甘さを出すときに塩を入れる人はいないでしょう。

砂糖を入れるはず。

 

だけれど、砂糖(同質性)では超えられない甘さが欲しい時は、使うのが塩(異質性)

 

この真逆の力が融合したときに同質性の壁を簡単に超えることが出来る。

 

だからこそ、前記の『人間とIT』をわかった上で融合出来たらものすごいパワーになるのです。

いまは、だいぶ変化してきたのですが、以前は、あいまいこそ美徳だみたいなイメージを持っていました。

 

以前、合気道の教えのベースが老子だったこともあり、

陰陽マークのように明確に区別できないものこそ、本物だ!みたいな考えを持っていました。

 

なので明確さを求められると急に無意識が抵抗してしまい、

この人わかっていないな!と相手も低く見ていることもありました。

 

 

これって日本人の特質なんですかね。

 

 

ただ、いまは、このあいまいさが活かされている部分殺されている部分があると思い、日本人は、活かす部分は十分に活用しているけれど、それによって能力を発揮できない部分の方が多いと思うようになりました。

 

いまは、明確にわかるからこそ、曖昧にすることもできることがわかるので、明確に知ることが本当の自由であいまいでとどまってしまうことは、成長や進化がないことだと思うようになりました。

 

そして、ぜひ、日常で実験をしてみて欲しいのですが、

いままであいまいにしてきたことに目を向けて明確にしてみること行うと今まで気がつけなかったことに気がつくようになります。

 

例えば、自分が使っている言葉一つをとってもそうです。

 

定義を深堀していくといままで見えていなかった世界が広がってきます。

 

明確に理解した上であいまいを選択する楽しみも同時にわかりますのでおススメですよ。