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今週末は、イベントのはしご状態で訳が分からなくなりつつなっていますが、6/14~18に開催された東京ロマリアがヤバすぎた
何がヤバいかというとこんなに簡単にすべてのことを整理整頓出来てしまうんだということ
コンテンツ内容に触れてしまうのでブログに明確に表記できないのが残念でならないけれど、本当に簡単に理解できてしまう世界
もし、それをわからない、難しいと思ってしまうのであれば、それは自分自らの思考パターンが邪魔してしまっているだけ
心のどこかに
・究極のものは、難しくなければならい
・私がこれまでこんだけ頑張ってきたんだからものすごい難しいものであって欲しい
・今まで誰もがわからない世界なのできっと複雑なはずだ
・簡単すぎては、わからなかった自分がなさけなくなってしまう
ほかにもいろいろ理由はあるかもしれませんが、ホント真理はシンプルです
逆に言えば、シンプルじゃなきゃニセモノ
本当に本当にシンプルで簡単なことなんですよね
ある意味、この部分を飲み込めるか、どうかの自分との戦いともいえるかもしれません
とにかく、イメージが腑に落ちた5日間でした
見てください
この参加人数!
この人たち全員が理解してしまった世界があるのが事実です♪
最終日に座った位置がよくてポールポジション取れちゃいました(笑)
ありがたいことです💛
自分の言いたいことを思い切って言うことは、大事ですね。
なぜなら、言いたいことを言えないのは、例えを変えれば、便秘状態と同じこと。
食べ物を食べたら必要なものを吸収していらないものを出すというのが自然のメカニズム。
そのメカニズムが循環している時が、一番健康であるようにアウトプットは大事。
それと同時に気がついたのが、言ったことを善悪なく聞いてくれる人がいることも大事だということ。
一人でしゃべっていても循環が起きないように黙って聞いて引っ張ってくれる存在がいるから言えなかったことが言えるようになることもある。
例えれば、トイレ。
トイレに入って緊張する人はいないように自分のすべてを受け入れてくれ、(ひどい下痢状態で他人には見せられないひどい状態であったとしても)何も言わずに受け入れ、水に流してくれる。
この絶対的な安心感があるから人まで緊張しやすい人がトイレに気分を落ち着かせるようにリラックスできる空間。
どちらが大事かと聞いてしまったけれどもこの両方が最大限循環できた時に本当にすっきりするように本当の健康、本当の歓喜がやってくるのだと思う。
さらに、この頃、ぶっちゃけトークをおこなっているせいか、自分の中がどんどん整理されてくる気がするので本当に聞いてくれる人にありがとうと感謝している今日この頃💛
まだかと思っていた国際カンファレンスがいよいよ今週末からスタートします。
講演内容もさることながらオンライン、オフライン、メタバースといろいろなスタイルで行うこともひとつの特徴。
そして講演内容に隠れてしまいがちなのが、後夜祭であるDignity2.0国際カンファレンス後夜祭&パンドラの箱オープンセレモニー。
これは、前回、大阪で第一回目を開催し、今回が2度目。
歴史に名前を残すイベントに一緒に参加しませんか?
申し込みはこちらから
https://peatix.com/event/3377666/view
明日、いよいい安陪元総理の国葬が執り行われます。
世間では、反対派が多いですが、反対の声を上げても中止にならず執り行われるのであれば、ただ反対するのではなく、どのように行えばいいのか代案を出す必要があると思います。
代案がない反対は誰でも出来ますので反対するのであれば、代案を添えて行う必要があると思います。
やるやらないに関わらず、実際に運営するときにいろいろ見えてくるものがあります。
そして、実行するにあたり、どこと連携するのか、こことは連携しておかないといけないなどやることの全体像が見えてきます。
また、反対で代案を出す場合も何を行えばいいのか、はたしてそれを行うことが出来るのかなどいろいろな部分が見えてくると思います。
そこで全体像を見ながら判断していく必要があると思います。
明日の国葬には、宗教の関係などいろいろしがらみがありますが、そういったことも踏まえて全体像を見ていくことが必要だと思います。
前回の続きです。
宗教の怖いところは、“信じる”部分という話をしました。
そして、信じること自体は、悪いことではないけれど、
一度、信じたらどこまでもそれが絶対になってしまうこと
これが怖い部分だという話をしました。
逆に言えば、信じていることに柔軟性を持たせればいいことも。
どういう状態(A)からどういう状態(B)になれれば、柔軟性がでてくるのかというところで終わりました。
このAという状態を言われたことが正しいと置き換えれば、
Bは、言われたことを自分で考え直してみるという状態になれば、柔軟性が出てくるのではないでしょうか?
そして、それを多く人とディスカッションする
今の世の中は、多様性なのでいろいろな考えがあります。
その中で多くの人がそうだよねと思えることであれば、みんなが協力して実行すればいい。
これが出来ずに教祖様が言ったからとき、経典ではこうなっているからと自分の頭で考えようとしないことが怖いと思います。
まぁ、信じることは疑わないことと言われてしまえば、それで終わりですけれどね。
極論言えば、教祖様が言ったことは何でもやるのかの質問にイエスと答えるのであれば、自分の頭で考えていないことになるでしょう。
この部分に柔軟性が出てくれば、決して怖くなくなると思います。
いま、世間では、安倍元首相銃撃について宗教団体の関係者や関連などを連日、報道していますね。
いままでベールに包まれていた部分だったのでオープンに出来るところはオープンにしていくのがいいかと思います。
今日は、その中で宗教の何が怖いのかについて考えていきたいと思います。
日本人は、“宗教”と聞くと眉をひそめたり、われ関せずでスルーする傾向が強いのではないでしょうか。
海外では、多くの国が逆で
自分の信念体系や宗教を持っていないことがなぜ?
と不思議がられるそうなのでこれは、日本特有ではないかと思います。
いったい、宗教のどこが怖くて向き合う機会が少ないのでしょうか?
私が思うに“信じる”部分ではないかと思います。
信じること自体は、悪いことではないのですが、一度、信じたらどこまでもそれが絶対正しいになってしまい、他人の意見に耳を貸そうとしない。
自分と意見が違うのであれば、自分と同じ考えになるように説得しようとする
そんな部分に恐怖を感じているのではないでしょうか?
そうならば、逆に言えば信じていることに柔軟性を持たせれば決して怖いものではなくなる
では、どういう状態(A)からどういう状態(B)になれれば、柔軟性がでてくるのが、次回、実例を交えながら見ていきましょう
この頃、世界各地で異常な気象などが続いていると思いませんか?
振返ってみれば、今年の梅雨の短さや夏の暑さは、例年とは打って変わり
異常な状況ではないでしょうか?
ちょっと調べてみれば、いろいろな気象異常があるのですが、個人的にびっくりしたものを紹介します。
海に沈みゆく巨大都市ジャカルタ、首都は移転を決定、残された人々はどうなるのか?
この食堂を海から隔てているのは、狭い未舗装道路と高さ2メートルの防波壁だけだ。スヘミさんの家族の運命は、この壁に委ねられている。
もうタイトルだけで衝撃なんですが、今の時代に首都が海に沈むってイメージがつかないどころか、いまだに信じられないです。
そして、高さ2mの防波堤に自分の人生を委ねる。
対応としては、引っ越したり、移転したりになるのでしょうが(もちろん生命の維持としてこれは大事なのでやった上で)その後のどんな人生を歩んでいけばいいのでしょうか。
今までとは同じでは意味がないのではないでしょうか?
そして、そもそもいろいろな異常が起きることにどんな意味があるのか。
その環境、あるいは地球からのメッセージとは何なのか。
これを知ることが最も大事ではないでしょうか?
すぐに答えを出すとかではなく、どこに原因があるのか、その原因探しが必要だと思います。
この問題は、いろいろディスカッションしながら突き詰めていきたいですね。
人類の歴史を振り返ってみた時に人類がどんな流れを歩んできたのでしょうか?
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、書籍で次のように言っています。
地球上でちっぽけな存在であったホモ・サピエンスが地球の覇者となれたのは、「虚構」があったからだと。
ハラリ氏は、
世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』、『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者
wikipediaより引用
であり、人類の歩みを整理整頓した人です。
そのハラリ氏のホモデウスの解析を詳細にしているブログ ⇒ コチラ
そして、ハラリ氏は、明確には言っていないのですが、人類の歴史の歩みを一言で語れば「力の結集」と言っているのがNoh Jesu氏です。
難解といわれているホモ・デウスの核心部分の解析に興味がある方 ⇒ コチラ
上記の解析もすごいのですが、そのNohさんがよく、力の結集をベースに人類歴史を整理すると全体がよく整理できると言っています。
最初は、ホモ・サピエンスが生き残るために狩りをする能力のあるものの判断基準にあわせることで生き残ってきました。
それからだんだんと能力のある者や王様の判断基準にすべてを合わせるという「全体主義」の時代に移っていきました。
その王様の判断基準が優れているグループが小さいグループをまとめていくという時代です。この時代はかなりかなり長い間、続きます。
それが続くとなんで王様の子供は生まれた時から権力を持っているんだ。なぜ平等ではないんだという産業革命をきっかけに「個人主義」の時代に移っていきます。
いまは、そこ個人主義が究極まで来てしまっていると言えます。
そして、個人主義は限界だと感じている人は多いけれど、じゃ、どうすればいいの?と代案を持っているかというとないのが現状です。
個人主義が究極まで来ていることは、ちょっと自分の身の回りを振り返ってみてもわかると思います。
まずは持ち物。
昭和の時代は、一家に電話は一台(笑)
自分専用の電話などなく、誰にも聞かれたくない個人的な電話は、公衆電話でしていました。
また、電話だけではなく、自分の部屋をみてもいまは個室が当たり前の時代になっていますよね。
もちろん、モノが少なかったという条件があるにしろ、多様性に目を向けるというより共同で出来ないかという視点があったのではないかと思います。
昔の共同は、それで素晴らしいものでしたが、本当の意味で共同作業だったのかというとそうではないと思います。
本当は、こうしたいけれど、長男だからとか、自分以外がみんなそっちを選んでいるからと見えない環境によって判断してしまう共同作業ではないかと思います。
ここでNohさんが唱えるこれからの共同体主義というのは、自分の考えや自分の見ている宇宙をすべて消してすべてをゼロ化したところから自分が何を選ぶかという0から作り出す世界です。
誰がとかまわりの環境に影響されるのではなく、自分の考えさえもすべてオールゼロ化して、そこから何をしたいのかを自ら選択していく、考え出していく、そんな一人一人が共同していく共同体主義です。
日本人は、海洋民族といわれるように昔から共同作業や力を合わせるベースは持っていました。
その共同作業をバージョンアップさせていくのが、自分と自分の宇宙をすべて消す世界です。
そして、そこだけでとどまらずに自分と自分の宇宙がある世界がイコールになる世界が本物と言い切ります。
自分と自分の宇宙がない=自分と自分の宇宙がある
これがだれにでも理解できてしまう世界。
いまは、これをたった1日でマスターしてしまうNoh Jesuマスター1dayセミナーを行っています。
次回は、1/23ですので、ご興味があるからは、ぜひ、参加してみてください。
申込み ⇒ コチラ
前回、少し心感覚について触れた心感覚について触れたいと思います。
この本は、読んでみるとわかるのですが、対話形式で書かれており、非常にわかりやすくスラスラと読めると思います。
ただ、読み進める中で自分の頭の中でイメージできない箇所にくると???状態になってしまうこともあります。
私の個人的な感想を言うのであれば、冒頭からいいです。
何しろ「絶望してください」から始まります。
いまだかつて冒頭から絶望をしてくださいという本があったでしょうか?
そして、もちろんですが、なぜ、絶望する必要があるのか
いままで感じていた絶望は本当の絶望ではなかったこと
究極の絶望の後に訪れる二度と絶望しない希望状態になる順番で物語は進んでいきます。
何事も究極までいかないとダメみたいです(笑)
絶望というキーワードを聞いた時に浮かびやすいことについてもちゃんとフォローしています。
いままでの絶望は、体験、経験をもとにしたものだったので、どうしても個人差が出てしまうし、あんな体験二度としたくない!となりやすいのです。
しかし、その体験をした後に二度と絶望しなくなるくらいの希望が訪れたのか、また、自分の絶望体験が、世界人類共通でほかの人の究極の絶望になりえるのか
この観点で見た時に
体験、経験を元にした絶望は、究極の絶望とは言えないですし、また人類共通の絶望ではないので究極とは言えません。
つまり、間違った絶望の仕方をしてきたと言えるのです。
こうしたことが事例などを通して描かれています。
なので安心して(笑)読み進めることが出来ると思います。
ほかにもいろいろな観点があるので後日、書いていきたいと思います。