幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう? -7ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

とんぼ 長渕剛

 

 

 

 

 

 

 

 

年齢を重ねるということは、単に時間が過ぎていくことではな

 

 

く、日々の重みが少しずつ変わっていくことなのだと、最近つく

 

 

づく感じるようになった。

 

 

私たち親子は、世間から見れば決して「強い」とは言えない存在

 

 

かもしれない。

 

 

高齢でペースメーカーを入れている母と、同じく身体に不安を

 

 

抱えた私。

 

 

親子そろって障碍者手帳を持ち、冗談めかして言えば「二人合

 

 

わせても一人前にならない」ような、そんな暮らしをしている。

 

 

それでも、不思議なことに、私たちの毎日は決して暗いもので

 

 

はない。

 

 

むしろ、何気ない小さなことで笑い合い、ときにはくだらない

 

 

ことで言い合いをし、それでも気がつけば何事もなかったかの

 

 

ようにまた笑っている。

 

 

私はきっと母に似たのだろう。

 

 

気性の部分も、そして「根に持たない」という性分も。ぶつかる

 

 

ことはあっても、引きずらない。

 

 

怒りや不満が長く居座ることはなく、時間とともに自然とほど

 

 

けていく。

 

 

そんな関係だからこそ、こうして一緒に暮らしてこられたのだ

 

 

と思う。

 

 

ただ、現実はやはり静かに、しかし確実に私たちの背中に迫っ

 

 

ている。

 

 

母はすでに85歳。私は還暦を越えた。

 

 

年齢だけを見れば、いつ何があっても不思議ではないところ

 

 

まで来ている。

 

 

そしてそれは、単なる年齢の問題だけではない。

 

 

私もまた、心臓に「治せない、治らない爆弾」を抱えている。

 

 

大げさではなく、次に大きな発作が来れば、それで終わりかも

 

 

しれないという覚悟を、どこかで常に持っている。

 

 

もちろん、それは母も同じだ。

 

 

だから私たちは、ときどき冗談交じりに言う。

 

 

「どっちが先に逝くか、競争だな」と。

 

 

世間一般では「親より先に逝くのは親不孝」と言われる。

 

 

それはもっともな考えだと思う。

 

 

親が子を見送ることほど辛いことはないだろうから。

 

 

けれど、私の場合は少し事情が違う。

 

 

申し訳ない気持ちはある。

 

 

それでも、自分の身体の状態を考えれば、「先に逝くかもしれな

 

 

い」という現実を無視することはできない。

 

 

だからこそ、私は決めている。

 

 

残された時間を「怖れるため」に使うのではなく、「生きるため」

 

 

に使おうと。

 

 

母との暮らしの一日一日を、大切に過ごすこと。

 

 

特別なことをする必要はない。

 

 

朝起きて、顔を合わせて、「おはよう」と言えること。

 

 

何気ない会話で笑えること。ときには言い合いをして、それで

 

 

もまた同じ食卓を囲めること。

 

 

そういう一つ一つが、もうすでにかけがえのない時間なのだ

 

 

と思う。

 

 

人生の冒険というと、何か大きなことを成し遂げることのよう

 

 

に聞こえるかもしれない。

 

 

でも、今の私にとっての冒険は、「今日をちゃんと生きること」

 

 

だ。

 

 

いつ何が起きるかわからない身体で、それでも笑い、食べ、話し

 

 

眠る。

 

 

その繰り返しの中に、小さな発見や喜びを見つけていく。

 

 

それは決して派手ではないけれど、とても確かな冒険だと思

 

 

ってる。

 

 

終わりを意識するようになってから、むしろ生きることが少し

 

 

だけはっきり見えるようになった気がする。

 

 

どちらが先に逝くかはわからない。

 

 

考えても仕方のないことだ。

 

 

でも、その「わからなさ」こそが、今この瞬間を大切にする理由

 

 

になる。

 

 

だから今日も、いつも通りに過ごす。

 

 

母と笑い、時々喧嘩をして、そしてまた笑う。

 

 

それだけで、十分に豊かな一日なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

長渕剛/西新宿の親父の唄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は身体にも、そして心にも、いくつもの疾患を抱えて生きて

 

 

いる。
 

 

思うように動かない身体。
 

 

先の見えない不安。
 

 

いつ何が起きてもおかしくない現実。

 

 

そんな日々の中で、「世界に向けてブログを書く」という行為

 

 

は、一見するとあまりにも遠く、不釣り合いなもののように思

 

 

えるかもしれない。

 

 

正直に言えば、僕自身も最初はそう思っていた。

 

 

外に自由に出られるわけでもない。
 

 

人と頻繁に会えるわけでもない。
 

 

社会の中で大きな役割を担っているわけでもない。

 

 

そんな自分の言葉に、いったいどれほどの価値があるのだろ

 

 

うか、と。

 

 

けれど、書き続けるうちに、少しずつ分かってきたことがある。

 

 

それは、「どんな人生にも語る価値がある」ということだ。

 

 

僕の毎日は、決して華やかではない。
 

 

むしろ、不自由や制限の中で成り立っている。
 

 

それでも、その中には確かに感情があり、発見があり、小さな

 

 

喜びがある。

 

 

例えば、外に出られた日の空気の匂い。
 

 

風の音。
 

 

何気ない景色。

 

 

健康な頃には見過ごしていたものが、今の僕にはかけがえのな

 

 

いものとして映る。

 

 

その一つ一つを言葉にしていくこと。
 

 

それこそが、僕にとっての「生きている証」なのだと思う。

 

 

世界に向けて発信する意義は、決して大きな影響を与えること

 

 

だけではない。
 

 

むしろ、たった一人に届けばいい。

 

 

どこか遠くで、同じように苦しんでいる誰かが、僕の言葉を読ん

 

 

で、ほんの少しでも「自分だけじゃない」と思えたなら。
 

 

それだけで、この発信には意味がある。

 

 

また、逆に僕自身が救われることもある。

 

 

言葉にすることで、自分の気持ちが整理される。
 

 

苦しみや不安が、ほんの少しだけ形を持ち、外へと出ていく。
 

 

それは、心の中に溜まった重たいものを、少しずつ手放してい

 

 

く作業にも似ている。

 

 

そしてもう一つ、確かに感じている楽しみがある。

 

 

それは、「繋がり」だ。

 

 

顔も知らない誰か。
 

 

名前も分からない誰か。

 

 

それでも、同じ文章を通して同じ時間を共有する。
 

 

その事実が、僕にとっては何よりも温かい。

 

 

孤独だと思っていた世界の中で、確かに誰かと繋がっている。
 

 

そう感じられる瞬間は、何にも代えがたい喜びだ。

 

 

もちろん、病と共に生きる中で、常に前向きでいられるわけで

 

 

はない。
 

 

書けない日もある。
 

 

何も感じられない日もある。

 

 

それでもいいのだと思う。

 

 

無理に強くあろうとしなくてもいい。
 

 

ありのままの自分を、そのまま言葉にすればいい。

 

 

それが、誰かにとっての「リアル」になり、価値になる。

 

 

僕は特別な人間ではない。
 

 

どこにでもいる一人の人間で、ただ少しだけ多くの困難を抱え

 

 

ているだけだ。

 

 

けれど、その困難の中で見つけたものは、決して無意味では

 

 

ない。

 

 

むしろ、そこでしか見えない景色がある。

 

 

その景色を、言葉にして世界に届けること。
 

 

それが、今の僕にできることの一つだ。

 

 

そしてそれは、義務ではなく「楽しみ」でもある。

 

 

今日感じたことを、誰かに伝えられる喜び。
 

 

小さな気付きが、どこかへ届くかもしれないという希望。

 

 

その一つ一つが、僕の毎日に光を与えてくれる。

 

 

だから僕は、これからも書き続ける。

 

 

この身体で、この心で、この人生で感じたすべてを。
 

 

世界のどこかにいる誰かへ向けて。

 

 

たとえその声が小さくても、届くと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

いきものがかり 『YELL』

 

 

 

 

 

 

 

僕は難病により左の上下肢が麻痺している。
 

 

介護保険でリースしている電動カートがなければ、行ける場所

 

 

は家の周辺に限られてしまう。

 

 

ここは限界集落。
 

 

人とすれ違うこともほとんどなく、毎日は驚くほど静かで、そし

 

 

て同じことの繰り返しだ。
 

 

変化の少ない日常に、時折、自分が社会から切り離されている

 

 

ような感覚に襲われることもある。

 

 

そんな僕にとって、電動カートでの外出は「移動」ではない。
 

 

それは、れっきとした“遠足”だ。

 

 

最高時速6km。
 

 

決して速くはないそのスピードだからこそ、見える景色がある。
 

 

聞こえる音がある。

 

 

風が木々を揺らす音。
 

 

遠くで鳴く鳥の声。
 

 

タイヤの下で小さく鳴る砂利の感触。
 

 

どれも、もし僕が健常者として忙しく生きていたなら、気にも留

 

 

めなかったものばかりだと思う。

 

 

でも今の僕には、それらすべてが新鮮で、そして優しい。
 

 

目にも、耳にも、心にも、静かに沁み込んでくる。

 

 

先日も、いつもの「遠足コース」を少しだけ回ってきた。
 

 

飲み物と煙草を持って、音楽を聴きながらただゆっくりと進

 

 

むだけ。
 

 

時間にして2時間半から3時間。

 

 

それだけで、心は満たされる。
 

 

それだけで、「今日も生きている」と実感できる。

 

 

ただ、雨の日だけはどうにもならない。
 

 

外に出ることもできず、家の中で過ごすしかない。
 

 

あの静かな時間が奪われる日は、少しだけ世界が遠く感じる。

 

 

それでも、これからの季節は違う。
 

 

冬に一度返した電動カートが、今期は改造された新車となって

 

 

戻ってくる。
 

 

またあの遠足に出られると思うと、それだけで胸が少し高鳴る。

 

 

遠くへ行けるわけじゃない。
 

 

特別なことをしているわけでもない。

 

 

それでも、僕にとっては確かな冒険だ。

 

 

時速6kmの世界は、ゆっくりで、不便で、でもどこまでも豊かだ。
 

 

そしてその世界の中で、僕は今日も小さな幸せを見つけている。

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.