幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう? -8ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

K 『Only Human』

 

 

 

 

 

 

 

いつ死んでもおかしくない——

 

 

それは、医者から告げられた言葉ではなく、日常の中で静かに

 

 

自分自身が理解している現実だ。

 

 

治らない難病を抱え、発作がいつ起きるか分からない身体と

 

 

共に生きるということは、「生の終わり」が常に隣にあるという

 

 

ことでもある。

 

 

多くの人は、遠い未来を前提に生きている。
 

 

来年の予定、数年後の夢、老後の安心。

 

 

けれど僕には、それがない。

 

 

あるのは、「今日」と、せいぜい「明日」くらいだ。

 

 

そんな僕が「生きる意味」を探そうとしている。
 

 

それはどこか滑稽で、無謀で、そして少しだけ美しいことの様

 

 

にも思える。

 

 

なぜなら、終わりが見えている旅だからこそ、その一歩一歩が

 

 

濃くなるからだ。

 

 

もし、自分の命が永遠に続くと分かっていたら、「生きる意味」

 

 

なんて深く考えなかったかもしれない。

 

 

ただ流されるように日々を過ごし、気がつけば時間だけが過ぎ

 

 

ていく。

 

 

でも僕は違う。

 

 

限りがあると分かっているからこそ、「なぜ生きるのか」と問い

 

 

続けてしまう。

 

 

そして気付いたことがある。

 

 

生きる意味というのは、「見つけるもの」ではなく「感じるもの」

 

 

なのかもしれない、ということだ。

 

 

例えば、何気なく外を見たときの空の色。
 

 

ふと耳に入ってくる風の音や鳥の声。
 

 

誰かと交わした、たった一言の会話。

 

 

そんな一つ一つが、「ああ、今自分は生きているんだ」と感じさ

 

 

せてくれる。

 

 

それは決して大きな出来事ではない。
 

 

むしろ、あまりにも小さくて、普段なら見過ごしてしまうような

 

 

瞬間だ。

 

 

でも、その小さな瞬間の積み重ねこそが、僕にとっての「生き

 

 

る意味」なのではないかと思う。

 

 

だからこの人生は、壮大な冒険なのだ。

 

 

ゴールがどこにあるのかも分からない。
 

 

そもそもゴールがあるのかどうかすら分からない。

 

 

それでも僕は、自分の足で進んでいく。

 

 

体は思うように動かないし、不安や恐怖が消えることもない。
 

 

「もういい」と思う日だってある。

 

 

それでも、また次の日が来る。

 

 

その繰り返しの中で、僕は少しずつ何かを見つけている気が

 

 

する。

 

 

それは明確な答えではない。
 

 

誰かに説明できるような立派な理由でもない。

 

 

でも確かに、「生きている意味のかけら」のようなものだ。

 

 

もしかしたら、この旅の本当の価値は、「答えに辿り着くこと」

 

 

ではないのかもしれない。

 

 

探し続けること、そのものに意味があるのかもしれない。

 

 

だとしたら——

 

 

僕の人生は、決して不幸なだけのものではない。

 

 

むしろ、誰にも真似できないような、濃くて深いアドベンチャー

 

 

なのだと思う。

 

 

いつ終わるか分からない旅。

 

 

だからこそ僕は、今日もまた一歩進む。

 

 

生きる意味を探しながら。
 

 

そして、その探すという行為そのものを、生きる意味にしな

 

 

がら・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

【悲しい色やね】上田正樹

 

 

 

 

 

 

 

 

治らない難病を三つも抱え、その上に薬でも抑えきれない狭心

 

 

症がある。

 

 

いつ発作が起きてもおかしくない。言い換えれば、いつ命が終

 

 

わっても不思議ではない身体で、僕は今日も生きている。

 

 

かつての僕は「早く死にたい」と思っていた。

 

 

苦しみから逃れたい、ただそれだけだったのだと思う。

 

 

だが、高齢の母の存在が、その考えを引き止めた。

 

 

自分が先に逝くわけにはいかない。

 

 

せめて母を見送り、その葬儀を終えるまでは——そう思って

 

 

生きてきた。

 

 

そして今、こう思っている。「その時が来たら、いつ死んでも構

 

 

わない」と。

 

 

正直に言えば、僕には「生」に対する強い執着はない。何が何で

 

 

も生きたい、という気持ちはない。未来に大きな夢があるわけ

 

 

でもないし、やり残したことに焦りがあるわけでもない。

 

 

ただ与えられた時間を消化しているような感覚に近い。

 

 

それでも、ひとつだけ変わったことがある。

 

 

「生きたくても生きられない人がいる」という現実を知ったこ

 

 

とだ。

 

 

その事実は、静かに、しかし確実に僕の中に入り込んできた。

 

 

命を望みながら、それが叶わない人がいる。

 

 

生きたいと願いながら、その願いが断たれてしまう人がいる。

 

 

その現実に触れたとき、僕は初めてこう思った。

 

 

——自分は「生きなければならない側」なのではないか、と。

 

 

相変わらず、生きることへの執着はない。

 

 

けれど、「生きている」以上は、生きる責任がある」という、感覚

 

 

が芽生えた。

 

 

それは、義務のようなものかもしれないし、誰かへの見えない

 

 

約束のようなものかもしれない。

 

 

では、そんな僕はこれからどう生きていけばいいのだろうか。

 

 

きっと、答えは「大きな意味を探さないこと」なのだと思う。

 

 

何かを成し遂げなければならないとか、誰かの役に立たなけ

 

 

ればならないとか、そんな重たい目標は、今の僕には必要ない。

 

 

むしろ、それは苦しみを増やすだけだ。

 

 

それよりも、ただ「今日を生きる」。

 

 

朝、目が覚めたら、それだけで一日が始まる。痛みがあっても、

 

 

思うように身体が動かなくても、その中で出来ることを少しだ

 

 

けやる。

 

 

空の色を見たり、風の音を感じたり、誰かと一言でも言葉を交

 

 

わしたり。

 

 

それだけでいいのだと思う。

 

 

生きることに執着がなくてもいい。前向きでなくてもいい。

 

 

希望に満ちていなくてもいい。

 

 

それでも、「生きている」という事実そのものに、価値がある。

 

 

そして、もし出来るなら——

 

 

自分と同じように苦しんでいる誰かに対して、「それでも生き

 

 

ている人がいる」という存在になれたら、それで十分なのでは

 

 

ないだろうか。

 

 

僕はこれからも、いつ終わるか分からない命を抱えながら生き

 

 

ていく。

 

 

積極的に生きたいわけではない。
 

 

でも、投げ出すわけでもない。

 

 

ただ静かに、「生きている側の人間」として、生き続ける。

 

 

それが今の僕にできる、精一杯の生き方なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

365日の紙飛行機 /AKB48

 

 

 

 

 

 

 

春になった。

 

 

歩けない私には、レンタルした電動カートがある。
 

 

これまでは、遠くへ行くときは車が当たり前だった。目的地へ向

 

 

かうことが優先で、その途中に何があるのか、正直あまり気にし

 

 

たことはなかった。

 

 

けれど今、私は時速6キロというゆっくりとした速さで、同じ道

 

 

を進んでいる。

 

 

すると、不思議なことに景色がまったく違って見える。

 

 

道路の脇に咲く小さな花。
 

 

農道に広がる土の匂い。
 

 

これまでただ通り過ぎていた場所に、こんなにも多くのものが

 

 

あったのかと気づかされる。

 

 

耳を澄ませば、鳥の鳴き声がいくつも重なって聞こえる。
 

 

風が木々を揺らす音、遠くで聞こえる人の声。

 

 

車の中では気づけなかった「音」が、ここには確かに存在している。

 

 

時速6キロ。
 

 

決して速くはない。
 

 

むしろ、遅いくらいだ。

 

 

けれど、この速さだからこそ見えるものがある。
 

 

この速さだからこそ、感じられるものがある。

 

 

私は時々、自分で決めた場所でカートを止める。

 

 

特別な場所ではない。
 

 

ただ少し景色が開けている場所や、陽の当たり方が心地よい

 

 

場所。

 

 

そこでしばらく、何もせずに過ごす。

 

 

ただ風を感じ、空を見上げる。
 

 

それだけの時間なのに、心がゆっくりとほどけていくのがわかる。

 

 

これまでの私は、「何かをすること」にばかり価値を置いていた

 

 

のかもしれない。
 

 

どこかへ行くこと、何かを成し遂げること。

 

 

けれど今は違う。

 

 

「何もせずにいる時間」にも、確かな意味があると感じている。

 

 

穏やかな時間。
 

 

静かな時間。

 

 

それは決して無駄ではなく、むしろ心を整えるために必要なも

 

 

のなのだと思う。

 

 

歩けないという現実は、変わらない。
 

 

できないことも多い。

 

 

それでも、電動カートに乗ることで、私は「外の世界」とつながる

 

 

ことができている。

 

 

そして何より、自分のペースで進める。

 

 

誰かに合わせる必要もない。
 

 

急ぐ必要もない。

 

 

ただ、自分の感じるままに、進み、止まり、また進む。

 

 

その繰り返しの中で、私は少しずつ「生きている」という実感を

 

 

取り戻している。

 

 

春の風の中で、今日もまたカートを走らせる。

 

 

速くなくていい。
 

 

遠くまで行けなくてもいい。

 

 

このゆっくりとした時間の中で、見えるもの、感じるものを大切

 

 

にしながら、
 

 

私はこれからも進んでいきたいと思う。

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.