幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう? -9ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。 だけど本当の幸せって何だろう?

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

365日の紙飛行機 /AKB48

 

 

 

 

 

 

 

春になった。

 

 

歩けない私には、レンタルした電動カートがある。
 

 

これまでは、遠くへ行くときは車が当たり前だった。目的地へ向

 

 

かうことが優先で、その途中に何があるのか、正直あまり気にし

 

 

たことはなかった。

 

 

けれど今、私は時速6キロというゆっくりとした速さで、同じ道

 

 

を進んでいる。

 

 

すると、不思議なことに景色がまったく違って見える。

 

 

道路の脇に咲く小さな花。
 

 

農道に広がる土の匂い。
 

 

これまでただ通り過ぎていた場所に、こんなにも多くのものが

 

 

あったのかと気づかされる。

 

 

耳を澄ませば、鳥の鳴き声がいくつも重なって聞こえる。
 

 

風が木々を揺らす音、遠くで聞こえる人の声。

 

 

車の中では気づけなかった「音」が、ここには確かに存在している。

 

 

時速6キロ。
 

 

決して速くはない。
 

 

むしろ、遅いくらいだ。

 

 

けれど、この速さだからこそ見えるものがある。
 

 

この速さだからこそ、感じられるものがある。

 

 

私は時々、自分で決めた場所でカートを止める。

 

 

特別な場所ではない。
 

 

ただ少し景色が開けている場所や、陽の当たり方が心地よい

 

 

場所。

 

 

そこでしばらく、何もせずに過ごす。

 

 

ただ風を感じ、空を見上げる。
 

 

それだけの時間なのに、心がゆっくりとほどけていくのがわかる。

 

 

これまでの私は、「何かをすること」にばかり価値を置いていた

 

 

のかもしれない。
 

 

どこかへ行くこと、何かを成し遂げること。

 

 

けれど今は違う。

 

 

「何もせずにいる時間」にも、確かな意味があると感じている。

 

 

穏やかな時間。
 

 

静かな時間。

 

 

それは決して無駄ではなく、むしろ心を整えるために必要なも

 

 

のなのだと思う。

 

 

歩けないという現実は、変わらない。
 

 

できないことも多い。

 

 

それでも、電動カートに乗ることで、私は「外の世界」とつながる

 

 

ことができている。

 

 

そして何より、自分のペースで進める。

 

 

誰かに合わせる必要もない。
 

 

急ぐ必要もない。

 

 

ただ、自分の感じるままに、進み、止まり、また進む。

 

 

その繰り返しの中で、私は少しずつ「生きている」という実感を

 

 

取り戻している。

 

 

春の風の中で、今日もまたカートを走らせる。

 

 

速くなくていい。
 

 

遠くまで行けなくてもいい。

 

 

このゆっくりとした時間の中で、見えるもの、感じるものを大切

 

 

にしながら、
 

 

私はこれからも進んでいきたいと思う。

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

ふきのとう/おまえと生きる

 

 

 

 

 

私はこれまで、いくつもの病と向き合ってきた。

 

 

後縦靭帯骨化症、黄色靱帯骨化症。
 

 

神経を圧迫し、しびれや麻痺、思うように動かない身体を残す

 

 

病。

 

 

手術をしても「元通り」になるわけではなく、症状と付き合い続

 

 

けていく現実がある。

 

 

腹部動脈瘤。
 

 

そしてそれに伴う大きな手術。
 

 

30センチにも及ぶ切開は、身体だけでなく心にも深い痕を残

 

 

す。
 

 

さらに、今後、あと2度の手術を受けなければならないという

 

 

現実。
 

 

「まだ終わっていない」という思いが、常に心のどこかに居座っ

 

 

ている。

 

 

黄色肉芽腫性胆嚢炎。
 

 

これもまた大きな手術を必要とした病であり、術後であっても

 

 

体の違和感や消化の変化など、日常の中で気づくことがある。

 

 

そして糖尿病。
 

 

日々の積み重ねがそのまま体調に直結する。
 

 

気を抜けない現実。

 

 

さらに、治らない狭心症。
 

 

胸の違和感、締めつけられるような痛み。
 

 

発作のたびに、「次は大丈夫だろうか」と命の不安がよぎる。

 

 

これらの病の「予後」とは何か。
 

 

それは、「治る未来」を描くことではなく、
 

 

「どう共に生き続けるか」を考えることなのだと、今は思う。

 

 

術後の体は、確実に変わる。
 

 

以前のようには動かない。
 

 

疲れやすくなり、痛みや違和感と隣り合わせになる。

 

 

それでも、生きていくしかない。

 

 

これまでは大学病院という大きな場所で守られていた。
 

 

専門医、設備、安心感。

 

 

しかし今は実家に戻り、町医者に診てもらっている。

 

 

その変化は、想像以上に大きい。

 

 

「本当にここで大丈夫なのか」
 

 

「何かあった時に間に合うのか」
 

 

「見落とされることはないのか」

 

 

そんな不安が、何度も何度も頭をよぎる。

 

 

けれど、ある時気づいた。

 

 

どこにいても、「絶対の安心」は存在しないということに。

 

 

大学病院にいても、不安はあった。
 

 

結果を待つ時間、次に何が起きるかわからない恐怖。

 

 

場所が変わっても、不安の本質は変わらない。

 

 

ならば、その不安とどう生きるかが問われているのだと思う。

 

 

私はまず、「不安を否定しない」ことにした。

 

 

怖いものは怖い。
 

 

不安なものは不安だ。

 

 

それを無理に消そうとすると、かえって心が苦しくなる。

 

 

だから、不安はそのままにしておく。
 

 

ただし、その不安に飲み込まれないように、小さな行動を積み

 

 

重ねる。

 

 

体調の変化に気づいたら、すぐに伝える。
 

 

気になることは遠慮せずに医師に話す。
 

 

自分の体を、自分なりに理解していく。

 

 

町医者であっても、「共に考える存在」になれる。
 

 

完璧ではなくても、「今できる最善」はある。

 

 

そしてもう一つ、大切なこと。

 

 

「生き方を小さくする」こと。

 

 

大きな未来を考えると、不安に押しつぶされる。
 

 

手術のこと、病の進行、将来のこと。

 

 

考えれば考えるほど、答えは見えなくなる。

 

 

だから私は、「今日」に目を向ける。

 

 

今日、無事に過ごせたか。
 

 

少しでも穏やかな時間があったか。

 

 

それだけでいい。

 

 

30センチの傷も、
 

 

これからの手術も、
 

 

消えることはない。

 

 

それでも、そのすべてを抱えながら、
 

 

今日という一日を生きることはできる。

 

 

不安があってもいい。
 

 

弱さがあってもいい。

 

 

むしろ、それを知っているからこそ、
 

 

一日の重みを感じることができるのだと思う。

 

 

私は強くはない。
 

 

何度も不安に負けそうになる。

 

 

それでも、生きている。

 

 

そして、これからも生きていく。

 

 

病と共に。
 

 

不安と共に。

 

 

それでも、自分の命と向き合いながら、
 

 

一歩ずつ、静かに歩んでいく。

 

 

それが、今の私にできる「生き方」なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

春雷/ ふきのとう

 
 
 
 
 

大きな大学病院で診てもらっていた頃、私はどこかで「守られ

 

 

ている」という安心感を持っていた。
 

 

専門の医師、整った設備、いつでも相談できる環境。

 

 

しかし今、実家に戻り、町医者で診てもらう日々の中で、ふとし

 

 

た瞬間に不安が押し寄せてくる。

 

 

後縦靭帯骨化症、黄色靱帯骨化症。
 

 

術後であっても、しびれや動かしにくさは残り思うように身体

 

 

は言うことを聞かない。

 

 

腹部動脈瘤の術後も、「本当に大丈夫なのか」という見えない

 

 

不安が常につきまとう。
 

 

黄色肉芽腫性胆嚢炎の手術を、終えても身体の奥に、残る違

 

 

和感や、再び何かが起きるのではないかという心配が消えるこ

 

 

とはない。

 

 

さらに、糖尿病。
 

 

日々の管理が欠かせず、少し気を抜けば体調に影響が出る。

 

 

そして治らない狭心症。
 

 

胸の違和感があるたびに、心臓の鼓動と一緒に不安が強く

 

 

なる。

 

 

いくつもの病を抱えながら、「術後だから安心」という言葉はど

 

 

こか遠いもののように感じる。

 

 

そして今、頼る医療が「町医者」になったことで、
 

 

「本当にここで大丈夫なのだろうか」
 

 

「何かあったとき、すぐに対応してもらえるのだろうか」
 

 

そんな思いが、頭から離れない。

 

 

けれど、ある時ふと考えた。

 

 

不安があるのは、場所の問題だけなのだろうか。

 

 

大学病院にいた頃も、不安がゼロだったわけではない。
 

 

検査の結果を待つ時間、次に何が起きるかわからない怖さ。
 

 

その本質は、どこにいても変わらないのではないかと気づい

 

 

た。

 

 

つまり、不安は「消すもの」ではなく、
 

 

「抱えながら生きるもの」なのかもしれない。

 

 

では、その不安とどう向き合えばいいのか。

 

 

私はまず、「すべてを一人で抱え込まないこと」を意識するよう

 

 

にした。

 

 

町医者であっても、医師は自分の状態を知る大切な存在だ。
 

 

遠慮せず、気になることは伝える。
 

 

小さな違和感でも話す。

 

 

完璧な医療を求めるのではなく、「今できる最善」を一緒に考

 

 

える。
 

 

その積み重ねが、不安を少しずつ和らげていく。

 

 

次に、「自分自身が自分の体を知ること」。

 

 

どんな時に調子が悪くなるのか。
 

 

どんな時に少し楽になるのか。

 

 

日々の変化に目を向けることで、「なんとなくの不安」は「具体

 

 

的な注意」に変わる。
 

 

それは恐怖を減らす一歩になる。

 

 

そしてもう一つ、大切なこと。

 

 

「不安があるままでも、生きていい」と認めること。

 

 

安心してから生きるのではなく、
 

 

不安を抱えたままでも、生きていく。

 

 

それが現実なのだと思う。

 

 

実家に戻り、環境は変わった。
 

 

医療の形も変わった。

 

 

けれど、変わらないものもある。

 

 

それは、「今日を生きている自分」と、
 

 

そばにいる家族の存在だ。

 

 

完璧な安心は手に入らないかもしれない。
 

 

それでも、完全な絶望の中にいるわけでもない。

 

 

不安と安心の間で揺れながら、
 

 

その中で一日を積み重ねていく。

 

 

それが今の私の生き方だ。

 

 

これから先も、不安は消えないだろう。
 

 

けれど、その不安があるからこそ、
 

 

一日が無事に終わることの尊さに気づける。

 

 

大きな病院でなくても、
 

 

完璧な環境でなくても、

 

 

私はここで、生きていく。

 

 

不安を抱えたままでもいい。
 

 

迷いながらでもいい。

 

 

それでも、自分の命と向き合いながら、
 

 

静かに、確かに、これからの時間を歩んでいきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.