どっちが先? | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

とんぼ 長渕剛

 

 

 

 

 

 

 

 

年齢を重ねるということは、単に時間が過ぎていくことではな

 

 

く、日々の重みが少しずつ変わっていくことなのだと、最近つく

 

 

づく感じるようになった。

 

 

私たち親子は、世間から見れば決して「強い」とは言えない存在

 

 

かもしれない。

 

 

高齢でペースメーカーを入れている母と、同じく身体に不安を

 

 

抱えた私。

 

 

親子そろって障碍者手帳を持ち、冗談めかして言えば「二人合

 

 

わせても一人前にならない」ような、そんな暮らしをしている。

 

 

それでも、不思議なことに、私たちの毎日は決して暗いもので

 

 

はない。

 

 

むしろ、何気ない小さなことで笑い合い、ときにはくだらない

 

 

ことで言い合いをし、それでも気がつけば何事もなかったかの

 

 

ようにまた笑っている。

 

 

私はきっと母に似たのだろう。

 

 

気性の部分も、そして「根に持たない」という性分も。ぶつかる

 

 

ことはあっても、引きずらない。

 

 

怒りや不満が長く居座ることはなく、時間とともに自然とほど

 

 

けていく。

 

 

そんな関係だからこそ、こうして一緒に暮らしてこられたのだ

 

 

と思う。

 

 

ただ、現実はやはり静かに、しかし確実に私たちの背中に迫っ

 

 

ている。

 

 

母はすでに85歳。私は還暦を越えた。

 

 

年齢だけを見れば、いつ何があっても不思議ではないところ

 

 

まで来ている。

 

 

そしてそれは、単なる年齢の問題だけではない。

 

 

私もまた、心臓に「治せない、治らない爆弾」を抱えている。

 

 

大げさではなく、次に大きな発作が来れば、それで終わりかも

 

 

しれないという覚悟を、どこかで常に持っている。

 

 

もちろん、それは母も同じだ。

 

 

だから私たちは、ときどき冗談交じりに言う。

 

 

「どっちが先に逝くか、競争だな」と。

 

 

世間一般では「親より先に逝くのは親不孝」と言われる。

 

 

それはもっともな考えだと思う。

 

 

親が子を見送ることほど辛いことはないだろうから。

 

 

けれど、私の場合は少し事情が違う。

 

 

申し訳ない気持ちはある。

 

 

それでも、自分の身体の状態を考えれば、「先に逝くかもしれな

 

 

い」という現実を無視することはできない。

 

 

だからこそ、私は決めている。

 

 

残された時間を「怖れるため」に使うのではなく、「生きるため」

 

 

に使おうと。

 

 

母との暮らしの一日一日を、大切に過ごすこと。

 

 

特別なことをする必要はない。

 

 

朝起きて、顔を合わせて、「おはよう」と言えること。

 

 

何気ない会話で笑えること。ときには言い合いをして、それで

 

 

もまた同じ食卓を囲めること。

 

 

そういう一つ一つが、もうすでにかけがえのない時間なのだ

 

 

と思う。

 

 

人生の冒険というと、何か大きなことを成し遂げることのよう

 

 

に聞こえるかもしれない。

 

 

でも、今の私にとっての冒険は、「今日をちゃんと生きること」

 

 

だ。

 

 

いつ何が起きるかわからない身体で、それでも笑い、食べ、話し

 

 

眠る。

 

 

その繰り返しの中に、小さな発見や喜びを見つけていく。

 

 

それは決して派手ではないけれど、とても確かな冒険だと思

 

 

ってる。

 

 

終わりを意識するようになってから、むしろ生きることが少し

 

 

だけはっきり見えるようになった気がする。

 

 

どちらが先に逝くかはわからない。

 

 

考えても仕方のないことだ。

 

 

でも、その「わからなさ」こそが、今この瞬間を大切にする理由

 

 

になる。

 

 

だから今日も、いつも通りに過ごす。

 

 

母と笑い、時々喧嘩をして、そしてまた笑う。

 

 

それだけで、十分に豊かな一日なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.