幸せは私の中に そしてあなたの中に。 -29ページ目

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

【君と歩いた青春】風

 

 

 

 

 

 

自分の事を書きます。

 

 

小さなコミュニティの集落に生を受け、幾ら大昔、その地域

 

 

では権勢を誇っていたとしても僕が生まれた時は単なる貧し

 

 

い農家の家だった。

 

 

物心着くまでは、それが普通だったし祖父母が何故、母を虐

 

 

めるのかが不思議でならなかった。

 

 

母を虐める祖父母や親父が大嫌いだった。

 

 

母は僕には反抗期が無かったと言ってたけど、反抗する相手

 

 

が親では無く祖父母だったという事だけ。

 

 

そして親父なんて相手にしてなかった。

 

 

むしろ軽蔑してた。

 

 

母や親父から、小遣いを余り貰えないから、よく祖父の財布

 

 

から金を抜いてたけど、元々、祖父は金遣いの荒い人だった

 

 

から自分で使ったのだと思ってただろう。

 

 

そもそも1度に大金を抜く事はせず、少しずつ頂いてたから。

 

 

ある意味、僕の母に代わり復讐してたつもり。

 

 

そして、土方として日雇いの仕事をしてた親父は収入も少な

 

 

くて貧しい上に更に貧しく、既に小学生の中学年頃には大き

 

 

くなっても絶対に親父の様にはならないし長男だから家を継

 

 

ぐ者として育てられてはいたけど、家を継ぐ気は更々無かっ

 

 

たし、あんな家や集落には居たく無く早く出たいと思ってい

 

 

ました。

 

 

しかし、その割には勉強一筋で、立身出世等という事も考え

 

 

ず、ただ、その時にしたい事をし、思う事をしてただけだ。

 

 

しかし、全く夢が無かったかといえば一応はありましたが、

 

 

その割に実際にしてた事は真逆というか反社では無いとは思

 

 

ってて単に若いエネルギーを爆発させてただけで、同類の奴

 

 

等との諍いはあったけど誰かの人生を狂わす程の事はしてい

 

 

ない。

 

 

漠然としてた夢を叶える為に全く努力はせず、運良く転がり

 

 

込んできた訳じゃ無い。

 

 

流れに流されながらも夢を叶える為に学びもした。

 

 

そうじゃないと申し訳ないと思う人も居たからだ。

 

 

しかし、僕が就きたい仕事は、倍率が高くて10~15倍

 

 

僕の頃には10~15倍の競争倍率だったから、自分の様な

 

 

中途半端な努力で叶うのだろうか?という不安はあったけど

 

 

何とか奇跡としか言えない運で夢が叶った。

 

 

夢が叶ったのは良いけど本当の意味で叶えるには更に1年の

 

 

苦行が待ってて、その苦行を乗り越えた者だけが、真の勝者

 

 

という世界でした。

 

 

その篩(ふるい)の目は大きく、少しでも怠けたり努力を惜

 

 

しむと、即、退学というか脱落する世界でした。

 

 

学びと実践の厳しい環境でした。

 

 

僕は何とか勝ち残り、正式に夢は叶ったし、そもそも実家に

 

 

居るのが嫌で逃げ出したい、長男だから家を継ぐというのか

 

 

ら逃れられたのだと油断していたのかもしれない。

 

 

そして、まさか、身内が自分を嵌めて不幸のどん底に突き落

 

 

とす様な真似をするなんてドラマの世界の話しで実際に自分

 

 

の身に起きる事だなんて思った事も想像すら出来なかったが

 

 

心根から腐っている祖父母を中心として家族の裏切りにより

 

 

夢は途中で断たれ、本来なら安倍総理の国葬の翌日が僕の定

 

 

年退官の日でした。

 

 

正しく運命が作動していて本来ならば・・・・。

 

 

長い〇〇官人生の最終日だった筈だった・・・・・。

 

 

本来なら花束でも貰って家に帰る筈でした。

 

 

そして一人だったか、どうかは判らないけど祝いの日で婚約

 

 

者は労いの言葉を言い、娘や、他の子供達と、祝っていたと

 

 

思う。

 

 

そして現実世界では僕等夫婦の結婚記念日でもある。

 

 

6年目に入ったのかな?

 

 

これも運命なのか・・・。

 

 

実家に戻ってから、幾ら考えを巡らせても楽しい事など1度

 

 

も無く、敢えて嬉しかったといえば祖父母の死とかだった。

 

 

僕は離婚して少し嫌な運命から逃れる事が出来きて少し目の

 

 

前が晴れた気がしたけど、しかし、再び、運命の拷問が続き

 

 

今度はザイコとザイコと思想信条が似てる心の腐ってる日本

 

 

人の策略で心を病み、そして心だけじゃ無く身体も病み、し

 

 

かし、余程、遺体が好きなのか?それが運命の仕事だとしか

 

 

思えない、あの世からの申し子の様に、再び、生甲斐に出来

 

 

た仕事は「葬祭ディレクター」という仕事で、生甲斐を感じ

 

 

人生最期の仕事にするつもりで居ました。

 

 

当然、働く為に学ばなくてはならない事は多く、元々、学ぶ

 

 

事は好きだったので、自分でも必死に学んだし先輩の所作や

 

 

言動からも学んだし、聞く事を恥とは思わぬ性格だったので

 

 

疑問に思う事は直ぐに聞いたし、自分でも考えた。

 

 

組織の中で生きるという事は個の力の結集でもある。

 

 

その力の中心になりたいという負けん気は消えて無かったけ

 

 

ど、その仕事も病により辞めざるを得なくなってしまい、も

 

 

う生甲斐も目標も目的も何も無くなり、働く意欲すら無くな

 

 

りました。

 

 

生きるという気力も消えた・・・。

 

 

心身共に障碍者。

 

 

しかも難病持ち。

 

 

精神疾患持ち。

 

 

他人にしたら気色が悪い危険人物に思えただろう。

 

 

親父が死に、別に悲しいとも淋しいとも思わなかったし、む

 

 

しろせいせいしてた気がする。

 

 

母と二人暮らしになり、出逢いも無いしあったとしても僕は

 

 

単なる病人で幸せになど出来る筈も無い。

 

 

それに出会うとしたら同じ心を病んだ病人しかおらず、病人

 

 

同士が一緒になっても上手く行く筈は無いと思ってた。

 

 

「一人で生き独りで死んでいく」のだと思っていたし、その

 

 

運命を受け入れていた。

 

 

しかし、出逢いは色々な事があり誰も信じないだろうけど、

 

 

実際に自分の身に起きた事であり、僕はそれを運命だと思っ

 

 

ているけど、家内に言わせれば僕に都合の良いだけの運命な

 

 

のかもしれない。

 

 

何故なら、僕は幸せだけど家内が幸せとは思えないからだ。

 

 

働きたくても、心身共に障碍のある普通なら今日、定年退職

 

 

を迎える初老の男を幾ら色々な知識や経験があり、学びは今

 

 

も継続してて知りたい事は誰かから教えて貰うものでは無く

 

 

自分で学びにいかないと知識も得れないし、自分から学びに

 

 

いき学んだ事じゃ無い事は自分のものには為らない。

 

 

夢を叶える為に学び、動き、活かして自分が得れる高見まで

 

 

行き、しかし人は一人で生きている訳じゃ無いし身内だから

 

 

家族だから必ずしも自分を不幸にしないかといえば不幸にす

 

 

る存在の場合もあるのだと経験則による本来、得ない方が良

 

 

い知識も得た。

 

 

家族だから全面的に信じてはいけない場合もあるという事だ。

 

 

まぁ、そういう経験をする人は、そうそう居るものじゃない

 

 

という世の中の非常識であるという事も知ってはいる。

 

 

今の僕には時間だけは他の人以上にあるから知りたい事は色

 

 

々と学びにいく事が出来る。

 

 

しかし、今の自分には得れた知識を活かす場が全く無い。

 

 

しかし僕の知識や学び等、世の中の全ての事の中ではミクロ

 

 

ン単位よりも小さなものだろう。

 

 

それでも知りたい事は学びたい。

 

 

知りたい。

 

 

知ったら、それを活かしたいと思うが、それは、今の自分の

 

 

置かれた環境や、持っている力、財力を含めたあらゆる力を

 

 

総動員しても活かす事は出来ない、無駄な知識といえば無駄

 

 

な知識で自己満足にしか過ぎないし、いつか叶えられる日が

 

 

来るかもしれない等という事も1ミクロン以下も無い。

 

 

やはり単なる自己満足に過ぎないけど、これからも知りたい

 

 

事は自分で学びにいく。

 

 

自分の為だけに・・・・。

 

 

誰かが教えてくれる事を待ってても、何年、何十年待っても

 

 

知識という形無いものは誰も持ってきてくれはしない。

 

 

学校で教えてくれる程度の事で満足出来る方なら、そういう

 

 

生き方もあるだろう。

 

 

しかし、世の中、知らない事だらけなのに、自分から学ばす

 

 

噂だの垢の他人からの押し付けの知識だの自己決定権の無い

 

 

考える事もしなくて良い事は知識とは言わない。

 

 

学校で教えてくれる事が100%正しいとも限らない。

 

 

教える側、人の思想信条を入れられると偏る。

 

 

それに国家レベルで間違った知識を植え付けられるという不

 

 

幸な事もある。

 

 

隣国のファンタジーの歴史教育然り、我が国のGHQにより

 

 

押し付けられ、誰も知りながらも修正もせずいる学者や役人

 

 

そして学ばされる我々国民も真実を知ったのなら嘘の自虐史

 

 

歴史教育に声を上げるべきであり不正義であり国際法にも準

 

 

じて無い、むしろ国際法を犯していたのは連合国側の方であ

 

 

り歴史を修正する為に自分等の都合の為に国際法を犯して開

 

 

いた東京裁判で何の罪も無い戦争指導者を勝者の復讐という

 

 

理念で行い、それをあろう事か敗戦国の国民に自国の指導者

 

 

を自虐する為の道具として使い、未だに国連という組織の中

 

 

で大東亜戦争敗戦国は敵国条項に入れられているのに、その

 

 

敵国が敵国の集団である連合国の国連を維持する為の金を世

 

 

界で3位以内支払っているという、お人好しというかハッキ

 

 

リ言えば馬鹿な国が日本なのである。

 

 

敵国なら1円も出す必要も無いし精々、年会費で国連に参加

 

 

する日本人1人当たり1万円程度で良いんじゃない?

 

 

そしたら精々、年に10万円も支払えば良い筈だ。

 

 

世界で3番目に支出させるなら、常任理事国になって当然で

 

 

あり、金を払えず戦勝国でも無い、中共、ロシア、フランス

 

 

が何故、デカい顔をして常任理事国してんの?

 

 

こんなふうに、ある程度の事を学習しただけで、色々な矛盾

 

 

や、国際社会の間違い、学校で教えられた歴史の嘘。

 

 

それを知りながら教えたのか知らない馬鹿が教師をしていて

 

 

教えたのか判らないけど、やはり団塊の世代の教育者が日本

 

 

を破壊し未だに害を成している。

 

 

一日も早く、そういう害を成す世代の害を成している人には

 

 

死んで償って欲しい。

 

 

そして、いい加減、政治家も教育者も国民を馬鹿にするのは

 

 

止めて欲しいし、国民も少しは自分で学ぶという姿勢を持た

 

 

ないと日本も隣国の様に政府の無為無策に踊らされる馬鹿国

 

 

民に成り下がり国際社会から見下される事になる。

 

 

少なくとも僕は、その一員に加わりたくは無い。

 

 

これからも自分から学びに行き、常に他人が言う事を疑い、

 

 

TVで教えている事を嘘だと思う所から始めて真実に辿り着

 

 

きたいと思う。

 

 

そうしないと馬鹿国民に仲間入りしてしまう。

 

 

元々、僕がしてたしてた仕事を知らない人は「人を疑う仕事

 

 

」という方がいる。

 

 

100%嘘だとは言わないけど、逆に「人を信じる仕事」な

 

 

んてあるのか?

 

 

あるとしたら、僕は、そいつらを阿呆と呼ばせて貰う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

Queen – Bohemian Rhapsody

 

 

 

 

 

ガキの頃から男らしくない事を言ったり、やると母から『お

 

 

前は「骨無しカスベ」だ』とよく言われたものだ。

 

 

僕は魚やキノコが大嫌いで「カスベ」という魚名を言われて

 

 

も、どんな魚かは判らなかったけど、調べたら、あの辺で捕

 

 

れるのならソコガンギエイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調べると骨というよりも軟骨でコリコリとして好きな方は好

 

 

きらしいのですが、いわば母は僕に「お前は骨の無い男なの

 

 

か?」と気合を入れていたのだと思う。

 

 

僕の母は元々は、そんなに強い女性では無かったと思うけど

 

 

嫁ぎ先が超意地悪で、本来なら母には沢山プロポーズが来て

 

 

て、別に親父なんか最低野郎の所に行かなくても幾らでも金

 

 

持ちで優しい家に幾らでも行けたのに、母は末娘で後は弟が

 

 

2人で上の兄や姉は3人居たけど、兄は最初の嫁に子供が出

 

 

来ず、昔の家で後継ぎ問題があり、別の嫁さんを貰ったんだ

 

 

けど、いつも明るくてニコニコしてる良い叔母さんでした。

 

 

その長兄は息子が二人、一番上は僕より5~6歳年上で弟の

 

 

方は3~4歳上だけど、幸福の科学にハマり離婚し娘が二人

 

 

居たんだけど家庭を壊し、離婚後、ずっと馬鹿みたいに宗教

 

 

活動をしてて定職には就かずで糖尿病を悪化させ、もう足の

 

 

切断という寸前まで行きましたが、兄が、そこに行く前に生

 

 

活保護を受けさせ、医療の受けさせて今も生きてると思うけ

 

 

ど、その生活保護費から幸福の科学にお布施を送り続けてい

 

 

るのだとしたら大問題で、カルト系の新興宗教法人で生活保

 

 

護費から宗教法人にお金が回っていないか国は調べるべきだ。

 

 

取り敢えず「文部科学省に」意見書を送りました。

 

 

しかし生活保護費は厚生労働省の所管であると思うので合同

 

 

捜査本部を立ち上げて調べ日本からカルト教団を無くして欲

 

 

しいと送りました。

 

 

多分、相手にもされないでしょうけど、何もしないよりは良

 

 

いと思うので、取り敢えず疑念があったので送りました。

 

 

それで従兄の生活保護費が止められたとしても、それは自分

 

 

が招いた災いです。

 

 

幸福の科学=不幸になる為の科学です。

 

 

「幸福の科学」で幸せになった人は殆ど居ないだろうと思う。

 

 

話しが逸れました。

 

 

母方の母、つまり僕の祖母は現代の医療で人工透析をしてたら

 

 

死なずに済んだ。

 

 

母が1歳上の叔母ちゃんが嫁さんに行って父親は連れを無く

 

 

して毎日酒浸り。

 

 

そんな日々が嫌だなぁという時に付け込んだのがクソ親父。

 

 

人の弱みに付け込んで幸せにも出来ない癖して、実際に少し

 

 

は穏やかと思えたのは祖父母が死に両親と僕と3人暮らしに

 

 

なってからの数年だけ。

 

 

後は幸せにも出来ず苦労ばかり掛けさせたのに弱みに付け込

 

 

んで嫁にした。

 

 

叔母ちゃんもです。

 

 

僕も家内の事を考えたら親父や叔父の事は言えないな。

 

 

家内を全く幸せにしてしていないし、家内の実家の母からも

 

 

「貴女を見ていると、とても幸せそうには見えない」と言わ

 

 

れたと家内から言われた時、それは事実で判ってはいたんだ

 

 

けど、心にグサリと刺さり、そこに重度貧血が重なり解離性

 

 

健忘症が発病しそうになったり重度貧血で精神・肉体の全て

 

 

が崩壊し、最初の1回目は自分で救急搬送を依頼し、医大の

 

 

ERで輸血とかして貰い、入院を勧められたのだけど、入院

 

 

は、もうコリゴリで無理矢理断り自宅に帰ったのだけど、帰

 

 

った途端に再度、具合が更に悪くなりその日2度目の救急搬

 

 

送を依頼し、今度は少し具合が良くなったら既に入院になっ

 

 

ていました。

 

 

普段から何も出来ず迷惑ばかり掛けているのに、申し訳ない

 

 

と思いました。

 

 

家内は三女から離れ事が難しく、恥ずかしい話ですが、僕の

 

 

スマホは料金滞納で止まってて、しかも病院ではWi-Fiも

 

 

使えず、病院の電話を借り、救急搬送をして貰った時に履物

 

 

も履いて無かったし病院では履物を貸し出してもくれないの

 

 

で強化紙のキャップ何たらを履いてトイレとかに行っていま

 

 

したが、それは流石に細かい事には動じない僕でも嫌でした。

 

 

でも翌日の消灯時間を過ぎた時に家内が二女に三女の事を看

 

 

て貰い、無理して履物や下着や僕が欲しいと言った物を持っ

 

 

てきてくれました。

 

 

下着は退院までの枚数が足りず、洗濯用の洗剤も無いしお金

 

 

も10円玉が数個しか無く自力で洗濯も出来ないので、1度

 

 

だけ洗濯を頼み、後は汚くて不潔な話ですけど着替える頻度

 

 

を減らして退院まで持たせました。

 

 

9月22日はかなり酷い発作が起きて、いつもならミオコー

 

 

ルスプレーを使えば治るんだからと呼ばない救急車を久し振

 

 

りに、余りにもヤバすぎて呼びました。

 

 

死にたいのだから呼ばなかった方が良かったです。

 

 

大失態です。

 

 

でも冷汗をかいてて多分、見た目にも家内にはバレてた。

 

 

安倍総理も逝ったし、石原慎太郎氏も逝って、僕も御供した

 

 

かったんだけどな。

 

 

あの世でSPは出来ないかもしれないけど、安倍総理の想い

 

 

を、未練を聴いてみたかったな・・・・。

 

 

生きてたら何をしてたかとか、何をしたかったとか・・・。

 

 

叔母ちゃんは母以上にモテて何十人もプロポーズに来て、中

 

 

には決闘迄した奴もいたらしいのに、叔父には申し訳ないけ

 

 

ど、叔母ちゃんも、あんな家に嫁いで苦労ばかりの人生で。

 

 

叔母ちゃんと母が穏やかに暮らせたのは互いの亭主が死んで

 

 

からかもしれない。

 

 

そんな親父の様にはなって欲しくない、男らしい男であれと

 

 

いう母の想いが男らしく無い事をした時は「骨無しカスベ」

 

 

と怒鳴られて怒られた。

 

 

お陰で、やんちゃな一時期がありましたが、母からヤンチャ

 

 

をしている僕については何も言われた事はありません。

 

 

でも、あんなにヤンチャをしてた僕が〇〇庁に入るなんてと

 

 

一番驚いたのは母だろうし、喜んだのも母だと思う。

 

 

あれから一度も僕は「骨無しカスベ」だなんて言われた事は

 

 

無い。

 

 

合格通知が届いてから1週間、毎日、所轄署の人が訪ねて来

 

 

るのだけど、毎日、夜遊びで忙しい僕は1度も会った事は無

 

 

いし親父はオタオタしてたと思うけど母は毅然としてたと思

 

 

う。

 

 

ただ、〇走族に行っているとは言えなかっただろうな。

 

 

世の中『骨無しカスベ野郎だらけだ。

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

 

柴咲コウー月のしずく

 

 

 

 

 

現在、NHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されている紫式部

 

 

を主人公としたですが、その歴史的な事、裏話を書こうと思

 

 

います。

 

 

我が県の「越前和紙」は今も有名で現在でも書家にも愛用さ

 

 

れていますし、紫式部も父上が越前(現在の福井県)に現在

 

 

で言えば県知事として赴任した際に越前に同行し2年間(当

 

 

時の県知事は任期が4年)越前で生活しています。

 

 

「源氏物語」は紫式部が書いた事は有名ですが、その物語を

 

 

書く為の和紙が我が県で今も続く「越前和紙」である裏話を

 

 

知っている人は現在放送されている大河ドラマを毎週回観て

 

 

いる人か学者以外は居ないだろう。

 

 

 

 

 
 
紫式部歌碑
「めぐりあひて 見しや
それとも わかぬ間に
雲がくれにし
夜半の月影」

    京都市上京区廬山寺内 
 
   

 

 

 

 

 

 

2000円紙幣D券裏面に描かれている紫式部(右下)

 

 

藤原北家良門流の越前の守・藤原為時の娘で、母は摂津の守

 

 

・藤原為信女であるが、幼少期に母を亡くしたとされる。同

 

 

母の兄弟に藤原惟規がいる(同人の生年も不明であり、式部

 

 

とどちらが年長かについては両説が存在する)ほか、姉がい

 

 

たこともわかっている。三条右大臣・藤原定方、堤中納言・

 

 

藤原兼輔はともに父方の曾祖父で、一族には文辞を以って聞

 

 

こえた人が多い。

 

 

幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で漢文を読

 

 

みこなしたなど、才女としての逸話が多い。54帖にわたる

 

 

大作『源氏物語』、宮仕え中の日記『紫式部日記』を著した

 

 

というのが通説で、和歌集『紫式部集』が伝わっている。

 

 

父・為時は30代に東宮(現在の皇太子殿下)の読書役を始

 

 

めとして東宮が花山天皇になると蔵人、式部太丞と出世した

 

 

が、花山天皇が出家すると散位となる(位禄はある)。

 

 

10年後、一条天皇に詩を奉じた結果、越前国の受領となる。

 

 

紫式部は娘時代の約2年を父の任国で過ごす。

 

 

長徳4年(998年)頃、親子ほども年の差があり、又従兄

 

 

妹でもある山城守・藤原宣孝と結婚して長保元年(999年

 

 

)に一女・藤原賢子(大弐三位)を儲けた。この結婚生活は

 

 

長く続かず、間もなく長保3年4月15日(1001年5月

 

 

10日)に宣孝と死別しました。

 

 

寛弘2年12月29日(1006年1月31日)、もしくは

 

 

寛弘3年の同日(1007年1月20日)より、一条天皇の

 

 

中宮・彰子(藤原道長の長女、のち院号宣下して上東門院)

 

 

に女房兼(現代でいえば家庭教師役)として仕え、少なくと

 

 

も寛弘8年(1012年)頃まで奉仕し続けたようである。

 

 

なおこれに先立ち、永延元年(987年)の藤原道長と源倫

 

 

子の結婚の際に、倫子付きの女房として出仕した可能性が指

 

 

摘されている。『源氏物語』解説書の『河海抄』『紫明抄』

 

 

や歴史書『今鏡』には紫式部の経歴として倫子付き女房であ

 

 

ったことが記されている。それらは伝承の類であり信憑性に

 

 

は乏しいが、他にも『紫式部日記』からうかがえる、新参の

 

 

女房に対するものとは思えぬ道長や倫子からの格別な信頼・

 

 

配慮があること、永延元年当時は為時が散位であったこと、

 

 

倫子と紫式部はいずれも曽祖父に藤原定方を持ち遠縁に当た

 

 

ることなどが挙げられる。また女房名からも、為時が式部丞

 

 

だった時期は彰子への出仕の20年も前であり、さらにその

 

 

間に越前国の国司に任じられているため、寛弘2年に初出仕

 

 

したのであれば父の任国「越前」や亡夫の任国・役職の「山

 

 

城」「右衛門権佐」にちなんだ名を名乗るのが自然で、地位

 

 

としてもそれらより劣る「式部」を女房名に用いるのは考え

 

 

がたく、そのことからも初出仕の時期は寛弘2年以前であると

 

 

いう説である。

 

 

『詞花集』に収められた伊勢大輔の「いにしへの奈良の都の

 

 

八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」という和歌は宮廷に献上

 

 

された八重桜を受け取り中宮に奉る際に詠んだものだが、『

 

 

伊勢大輔集』によればこの役目は当初紫式部の役目だったも

 

 

のを式部が新参の大輔に譲ったものだった。

 

 

藤原実資の日記『小右記』長和2年5月25日(1014年

 

 

6月25日)条で「実資の甥で養子である藤原資平が実資の

 

 

代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女

 

 

房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部で残された最後

 

 

のものとし、よって三条天皇の長和年間(1012年 - 10

 

 

16年)に没したとするのが昭和40年代までの通説だった

 

 

が、現在では、『小右記』寛仁3年正月5日(1019年2

 

 

月18日)条で、実資に応対した「女房」を紫式部本人と認

 

 

め、さらに、西本願寺本『平兼盛集』巻末逸文に「おなじ宮

 

 

の藤式部、…式部の君亡くなり…」とある詞書と和歌を、岡

 

 

一男説の『頼宗集』の逸文ではなく、『定頼集』の逸文と推

 

 

定し、この直後に死亡したとする萩谷朴説、今井源衛説が存

 

 

在する。

 

 

現在、日本銀行券のD号券の2000円札の裏には小さな肖

 

 

像画と『源氏物語絵巻』の一部を使用している。

 

 

 

 

 

 

「紫式部についてWikipediaより抜粋」

 

 

 

 

 

 

越前とは現在の福井県である。

 

 

紫式部は藤原道長の娘を宮中の帝に嫁がせて、後に福井県に

 

 

戻っている。

 

 

「源氏物語」等を記した紫式部の文章には越前和紙が使われ

 

 

ており当時から越前和紙は京の都人の間でも有名な和紙だっ

 

 

た様である。

 

 

その和紙が平安時代から現代まで伝統手法は続き今も残って

 

 

いる。

 

 

僕も「源氏物語」が越前(福井県)に住んでいた頃の紫式部

 

 

によって描かれた物語と知り、こんな裏話があるのかと驚き

 

 

ました。

 

 

「源氏物語」が越前和紙を使用して書かれた物語だという事

 

 

はWikipediaにも記載されてはいない。

 

 

正に裏話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my life.