これまで。そして、これからの事。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

幸せは私の中に そしてあなたの中に。

克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の子供達とは違い、僕は学生時代の後半位まで具体的な将

 

 

来像は描いていませんでしたし、就きたい仕事の夢はありま

 

 

したが、僕が叶える事は不可能な気がしてた。

 

 

だけど奇跡が起きて何とか子供の頃からの夢だった仕事に就

 

 

けた。

 

 

その仕事に就けたのは良いけど最初の1年は大きな篩(ふる

 

 

い)から落とされない様に必死でした。

 

 

その先の目標や目的、将来の夢や希望など考える暇もなかっ

 

 

た。

 

 

その仕事というか職場にしがみつき何とか正規採用されるま

 

 

では何も考えてこなかった。

 

 

そして、正規採用されて、生きて行く中で僕は何度も色々な

 

 

選択をしてきた。

 

 

1つの選択をするという事は何かを得れるかもしれないけど

 

 

大事な何かを失う事があるかもしれないし選択した道が必ず

 

 

しも正しいとは限らず、間違えたというか選択した道が違っ

 

 

ていた場合、自分を、どん底まで落としたけど、悔やんでも

 

 

後悔は決してしないというのが僕のポリシーだったから更に

 

 

新たな選択をして今まで生きてきた。

 

 

人生は選択の連続だ。

 

 

さっきも書いたけど選んだ道が必ず正しいか?幸せになれる

 

 

か?他人を傷付けないか?判らない。

 

 

僕は過去に何度も選択を誤ってきた。

 

 

その結果が今の様だ。

 

 

しかし、得たものの方が多いと思うし自分の過去の人生を否

 

 

定する気は全く無い。

 

 

過ちは過ちとして受け止めているし、二度と同じ過ちを繰り

 

 

返さないという強い意志もあります。

 

 

社会人になり、親から庇護を受けて生きてきた、それまでの

 

 

生き方や行いは社会人になったら全く通用しないとも思って

 

 

無かった。

 

 

学生時代に勉学以外の事で得た事、友人・知人との繋がりや

 

 

絆は社会人になっても変わらない。

 

 

学生時代と社会人になってからの僕が考えた事で大事なのは

 

 

今を大切に生き、今の気持ちを大切にし、誰かが言った意見

 

 

と自分の考えが違う時長い物には巻かれろでは無く自分の考

 

 

えが正しいのか間違っているのか?自分の気持ちを大切にす

 

 

る為に自分の心の中にしまって置く事も知れば、自分の意見

 

 

として述べる事も大事だと思った。

 

 

そして、社会は自分の思い通りにはならないけどだからとい

 

 

って社会の潮流に乗る必要も無いと悟りました。

 

 

そして、社会人になっても自分の生きる目標や、目的を持ち

 

 

その為に努力した結果が今の自分であるという事を素直に認

 

 

めようと思った。

 

 

それは自分の描いた将来像を壊した難病を発病したり、他の

 

 

治らない病気になったり、一時は致死性心室細動で心肺停止

 

 

になりながらも医学の常識を超えて蘇生し今も生きていると

 

 

いう事は多分、僕には、まだ果たさないといけない何かがあ

 

 

るからだと思っています。

 

 

だけど、今の自分の現実は徐々に身体機能が失われ周囲の人

 

 

々や一番大切な家族を僕のせいで不幸にしているという事を

 

 

悩んでいます。

 

 

何かを成す為に蘇生したのに何を成させるのかが全く判らな

 

 

い。

 

 

人間、努力したら何でも報われる訳では無い。

 

 

駄目なものは駄目な時もある。

 

 

それでも人間は前に進むしか無いと今は考えています。

 

 

何を成したいのか?成せるのか?

 

 

それを考えるだけでも何もしないよりはマシだと考える事に

 

 

した。

 

 

僕の身体は元の僕の健康で何でも出来る身体では無くなった。

 

 

でも、考える事は出来る。

 

 

結婚をし、子供を授かり、育て、社会に旅立させた。

 

 

親が出来る事はしたと、終えたと思ってる。

 

 

後は、子供達が自分で考え自分が遣りたい様に遣れば良いと

 

 

思ってる。

 

 

こんな僕でも、そこまではした。

 

 

僕と暮らしてた頃の子供達が幸せだったのか、どうかは子供

 

 

達じゃないと判らない。

 

 

仮に、僕を父親とした事を子供達が不幸だと思ってたとした

 

 

ら、これから自分の力で幸せになれば良いと思ってる。

 

 

良い父親だったと思われたいとは一度も思った事は無い。

 

 

子供達の人生は親である自分とは違うから・・・。

 

 

これからの自分は、この身体で、どう生きれば良いのか、ま

 

 

だ、もがいている最中だけど明確な目標が一つだけある。

 

 

それは家内と三女の行く末が僕が亡き後も安泰である様にす

 

 

る事だ。

 

 

そして、社会に対して国民として、そして一応、社会人とし

 

 

て何が出来るのかを考え続けていく事が、今の自分に出来る

 

 

事であり、その先の事は神様じゃ無いと判らないと思う。

 

 

ただ、こんな身体になり、親にも未だに心配を掛けてはいる

 

 

けど決して自分を否定せず、前だけを見て生きなければなら

 

 

ないと思ってる。

 

 

それが自分の為でもあるし、家族の為でもあると思う。

 

 

そして過去の自分を誇りたいと思ってる。

 

 

自分が生きてきた意味を問い続けながら、これからも生きて

 

 

行くのだろう。

 

 

死ぬ時は一人で死んでいくが、生きている今の僕は独りじゃ

 

 

ないし・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花*花「さよなら大好きな人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my family.