イタリア人が元日に起こった令和6年能登半島地震で日本人の強さから学んだ事。 | 幸せは私の中に そしてあなたの中に。

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克服出来ない病は世の中に沢山ある。自分も数々の克服出来ない心の病と身体の病に罹患している。他人の痛み知る努力をし、思い遣りの心で知り応援したい。努力によって人は誰しも大きな失敗でも取り戻せる。努力によって人は誰しも生きる尊厳を取り戻す事ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読み下さい。

 

 

Hi-Fi CAMP / キズナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【これはnoteに投稿されたマッシ|エッ

 

 

セイスト&通訳さんによる記事です。】

 

 

 

 

 

 

 

恐怖の涙なのか、生き残れた涙なのか。 

 

 

未だにわからないけど、日本人の心と行動に感謝してもしき

 

 

れない。 

 

 

2023年は無事に終わって、2024年はいい年になるよ

 

 

うに全力で活動しようと思っていたところで、1月1日の16時

 

 

ごろに数秒で人生が止まったようなことが起こった。

 

 

どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、考える時間す

 

 

らなかった。

 

 

ドミノのような感覚で、自分が遅く、周りの流れが早く感じ

 

 

ていた。 

 

 

能登半島の地震情報を見て、能登半島の地震は多いよなと思

 

 

っていたら、まさかの現実になるなんて、ハリウッド映画を

 

 

超えたレベル。 

 

 

16時06分頃石川県能登地方※ここに貼られていた記事の

 

 

URLは【関連記事】に記載しています 最大震度5強マグニ

 

 

チュード5.7。 

 

 

続いて、16時10分ごろ 石川県能登地方 ※ここに貼られてい

 

 

た記事のURLは【関連記事】に記載しています(輪島の東北

 

 

東30km付近)最大震度7マグニチュード7.6。

 

 

この時は大津波警報も発令された。 

 

 

Yahoo!地震情報 16時06分ごろ、最大震度5強 マグニ

 

 

チュード5.7。

 

 

たった4分後に、16時10分ごろ、最大震度7マグニチュード

 

 

7.6。

 

 

ニュースを見ながらまさか!自分の足が震えてきた。

 

 

恐怖ではなく、地面が揺れていた。

 

 

頭の中に「すぐ弱くなる」と思いながら、だんだん震度が強

 

 

くなって周りの全てが洗濯機の中にいるような感じになった。 

 

 

この日はエニタイムフィットネスにいた。

 

 

重いマシン、天井の暖房、グラス、ダンベルの全ては動いて

 

 

いた。

 

 

壁沿いになんとか歩いて様子を見ながら「逃げよう」と思っ

 

 

ていてもなぜか足が動かなかった。

 

 

その時にジムにいた人が逃げ出して、声も掛けられた。

 

 

やっと、外に出れた。 

 

 

自分の考えと行動は完全に繋がっていない。

 

 

地震が少ないイタリア生まれの僕は、分かっていても地震が

 

 

起こる瞬間、パニックよりパンク。

 

 

もし1人だったらと思うと、この文章を書き続けることがで

 

 

きない。 

 

 

ジムに出ても地震が止まらず、車さえ動いていた。

 

 

遊園地のような風景。 

 

 

1分も経っていないはずなのに、1日の疲れのようだった。

 

 

地震は落ち着いて自分のものを取りに行き、ジム仲間の車に

 

 

乗って赤信号で止まったら、遊園地のような動きがまた起こ

 

 

った。 

 

 

とりあえず、海から離れて避難所に向かっている途中、金沢

 

 

市内の建物が半壊していたり、グラスが割れていたり、建物

 

 

の漏水などの光景を見て自分の弱さを改めて感じた。

 

 

ジム仲間はしっかりしていて運転しながらラジオニュースを

 

 

聞いて周りを注意深く見て、既に次の行動を考えることをし

 

 

ていた。

 

 

日本人の頭の回転は早くてどんなことがあっても勇気が溢れる。 

 

やるべきことのリストは既に出来上がっていたような行動だ

 

 

った。

 

 

これを見て日本人の強さは心にある「助け合い」と、頭にあ

 

 

る「行動力」のコンビネーション。

 

 

ストレスが溜まりやすい状況の中で、しなやかに曲がっても

 

 

折れることはない。 

 

 

「頑張る」の本当の意味は初めて知ったかもしれない。

 

 

美しい日本であり、恐ろしい日本でもある。

 

 

このバランスを取りながら楽しく前向きに住めるのは日本人

 

 

しかいないと思う。

 

 

僕も日本に移住したごろと比べると、少し強くなったと思い

 

 

たい。 

 

 

大人になって地震の恐ろしさが分かって勉強と訓練をしてい

 

 

てもおそらく、慣れない。

 

 

今日は地震が起こるかもということ、外国人として実際に起

 

 

こるまでは軽く感じる。

 

 

ここで日本人はさすが「神様」のようなパワーを持ってる違

 

 

いないと感じた。

 

 

その要因は間違いなく、幼い頃からの避難訓練にあるのだろ

 

 

う。

 

 

 

「おはしも・おかしも・おはしもて」

 
 

地震が落ち着いた頃、ジム仲間と話し合った中で「お・か・

 

 

し」という言葉が出た。

 

 

日本人が幼い頃から避難訓練の時に教訓にしていることだそ

 

う。

 

 

「押さない・駆けない・喋らない」

 

 

これがあるから日本人は、大人はもちろん小さな子どもまで

 

 

緊急時に落ち着いた行動ができる。

 

 

1995年に発生した阪神淡路大震災後に、消防庁が小学校

 

 

低学年の生徒を対象とした避難訓練用の標語「おはし(押さ

 

 

ない・走らない・しゃべらない)」を、教育指導ガイドライ

 

 

ンに掲載しました。

 

 

これを契機に「おはし」は全国の小学校で使用されることに。

 

 

実はこの標語は避難時に使うものではなく、あくまでも避難

 

 

訓練時を安全に行うためのもの。

 

 

避難の目安にしてはいけません。

 

 

現在、消防庁は「おはし」に一語を加えた「おはしも(押さ

 

 

ない・走らない・しゃべらない・戻らない)」または「おか

 

 

しも(押さない・駆けない・しゃべらない・戻らない)」を

 

 

推奨しており、東京都教育委員会も、それに倣って「おかし

 

 

も」を採用しています。

 

 

 Brillia防災コラム ※ここに貼られていた記事のURLは【関

 

 

連記事】に記載しています 冷静に考える。 

 

 

ものの準備だけではなく、心の準備。

 

 

どんなことがあっても

 

 

無意識に正しい選択肢を数秒で選べる。

 

 

今回は初めて感じたのは、日本人は地震と過ごしてるからど

 

 

んなことでも驚かない。 

 

 

自分より相手、助け合い、諦めずに力を使い切るまでやる。 

 

 

現場にいなくても、情報回しと困っている人への思いやりは

 

 

すぐ具体的な形になる。 

 

 

1人になっていてもSNSで役に立つ情報がたくさんあって

 

 

正しい方法などをすぐ教えてくれる。

 

 

他人ではなく、友人になる。自分の人生に関わる人はずっと

 

 

繋がりが残る。

 

 

この気持ちでまた何かあったら、次は同じことを自分が動い

 

 

て、相手を助ける。 

 

 

島国の強みは無敵感の生き方である。 

 

 

困っている人がいるからこそ、自分の存在が必要。

 

 

できることは誰でもやる。

 

 

ペットボトル一本だけでも助かる人がいる。 イタリアのメデ

 

 

ィアでも能登半島地震はニュースになっている。

 

 

リプ欄のイタリア人のコメントを見ると、「イタリアだった

 

 

らパニックになって何もならなかった」「イタリア人はその

 

 

スピードで動けない」「さすが日本の震災訓練」など称賛の

 

 

声が多く挙がっている。

 

 

外から見ると、日本人の力はどう考えても神様になる。 

 

 

ただ、今回の地震や羽田空港の事故によって多くの犠牲者も

 

 

出ている。

 

 

助からなかった命があってしまったのも現実だ。

 

 

非常に残念でならない。

 

 

そしていまだに救助を待つ方や、辛い思いをしている方もい

 

 

る。

 

 

僕が日本人からいただいたもの、学んだことを次は今大変な

 

 

思いをしている方へ全力で返していきたい。 とにかく生きて

 

 

1日でも早く全ての人々が安心して過ごせるように。

 

 

2024年は1秒ずつを最高の時間にしていきたい。 

 

 

 

 

Massi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my family.