※BGMでも聴きながらお読みください。
絢香 - 三日月
僕は、昔の言い伝えなのか願望なのか何なのか判りませんが
人生の折り返し時点に昨年入り、昨年から1歳ずつ若くなる
筈だ。
社会人になるまでの時間は親の力で養って貰い、将来の事を
考えたり悩んだりする時間を貰える。
特に裕福な家庭に生まれ、大学まで行ける家に生まれた子は
ラッキーだ。
貧乏で食べるのがやっとという僕の実家の様な場合、何とか
高校を卒業まではさせて貰えた。
自分の人生のスタート時点は生まれた時点から既に違う。
実際に僕が働いていた会社でも会社の学校を卒業したばかり
で、高卒の僕よりも仕事は知らない、度胸も無い。
血を見て吐いている坊ちゃんばかりだった。
しかし、僕よりも酷い境遇の人がいるのも確かだ。
だけど同じ歳でも、平社員の時の給料は、幾ら僕の方が仕事
が出来ても知識があっても、彼らの方が優遇されているし、
そもそも昇進試験年齢にも差がある。
だけど、負けたく無かった。
正直、コンプレックスは滅茶滅茶ありましたよ。
仕事の知識は僕の方が豊富だし経験も豊富だ。
だから誰にも負けたく無かった。
確かに、高卒の僕にキャリアの師匠が応援してくれ、色々と
配慮をして頂いたのも事実。
その師匠から紹介された色々な先輩や歳の頃が同じ位の方、
年下の方、色々と紹介してくれ、人間関係は他の同僚や同期
や大卒の同じ歳の人よりも多く、それは現在、未来へと続く
人間関係でした。
助けられてばかりいた訳では無く助け助けられの関係でした
が、幾度も僕は、あの会社では危うい、一度バツが付いたら
永遠にバツが付いたままで昇進は諦めないといけない程。
だから、僕は師匠に一番きつく指導された人間関係を大事に
しろ。
年上であろうと同じ歳であろうと年下であろうと、その人間
関係はお前が、この仕事を続けていく限り役に立つと教えら
れた事を僕は、その言葉を忠実に守った。
だから豊かな仕事人生を送られた。
仕事だけじゃない。
仕事以外のプライベートでも、教えられた知識は役に立ちま
した。
スタート時点では、既にハンディキャップがありましたが、
そんなハンディキャップを自力で乗り越えた。
自分で言うのも何だけど、血の滲む様な努力をしたと言える
自信がある。
でも、それは自力と書いたけど正確には周りに僕を助けてく
れる多くの友人・知人が沢山居たのだ。
だから、やってこれた。
望むべき様に進めた。
僕は幸せ者でした。
その恩は今も忘れてはいません。
お陰で僕の人生に大きな自慢と自信をくれた。
別に誰かに自慢話等はせぬが、細くて長い人生が良いのか?
短くても太い人生が良いのか?と聞かれたら、僕は細くても
太くても中身がある方が良いと答えるだろう。
どうせ人間、長くても太くてもいつかは必ず死ぬ。
その時に成すべき事は成せたと笑顔で逝けるか、後悔と未練
にまみれて一度きりの人生を終えるか?
少なくても今のところ(まだ終わって無いので)笑って笑顔
で逝ける。
仕事以外の人生では、最初から二人も生き別れという最悪の
スタートで、その後悔は消す事も隠す事も出来ないけど、そ
の後、愛の全くない結婚生活というか家庭内離婚状態でした
が、息子らが社会に出て責任を終えて直ぐに離婚し、心が楽
になり家にも帰れる様になりました。
子供等は前妻に騙され、真実を話すと殺人事件が起きる程の
前妻の大嘘なので母と相談して僕が悪いままにしておいた。
一応、愛も情も無い結婚生活でしたが、前妻には子供達以外
に身寄りが無い。
それが憐れで、そうする事にした。
まぁ別に野郎から慕われなくても良かったし。
そして母亡き後、僕は「一人で生き独りで死んでいく」覚悟
が出来てたのに、高校生の頃から念願の娘が3人もいるとい
うプレゼントまで頂いて僕は家内に再婚して貰えた。
家内は僕が出逢った女の中で同率1位だ。
もう家内のいない人生など考えられない。
僕の最期の願いは家内の腕の中で逝く事だ。
そして義理でも良いから涙を一粒流して欲しい。
僕の人生は、まだ終わってはいないけど、残りの人生も楽な
人生じゃ無い事だけは確かだ。
これからも、痛みに苦しみに耐え、そして麻痺した不自由な
身体のままで生きていかないといけない。
医学の世界で、神経の再生とか潰れた神経を元に戻すとかの
医術が出来上がり保険適用で治療が出来たら、生きている間
は無理かもしれないけど、同じ病、同じ麻痺に苦しんでいる
人達が前を向ける。
その手助けになりたくて、僕の身体が医学の進歩に繋がれば
僕の難病を僕の身体で研究し少しでも前に進めたら良いなと
思う。
それが僕の人生の総仕上げなんだ。
現実を考えたら金があって地盤があって人がいたら国会議員
になり真の保守政治家に弟子入りし、今一度、日本を洗濯し
支那にもアメリカにもロシアにも経済・軍事・政治でも負け
ない国に作り直したい。
でも、そんな事を家内に話したら市議会議員でも鼻で笑われ
たよ(笑)
僕なんて、家内から見たら、夢ばかりの、現実が見えて無い
ちっぽけな大馬鹿者なんだろうね。
そんな戯言を言う暇が有ったらメグの事を考えるのが一番だ
ろうと・・・家族の事を考えろと・・・。
しかし、家内が考えているであろう事は間違っていない。
そもそも僕は此所に来る前に家内に何度もメグの目を治して
くれる医者と病院を必ず探し出し見える様にしたいと言った。
しかし、そんなに医学は、まだ進歩しておらず、日本で網膜
剥離や網膜のiPS細胞による治療が一番進んでいると言わ
れていて実際にそうなのだけど、その先生と、病院を医大の
先生から紹介して頂き、僕等家族を支援して下さっている此
の地で元塀の中に居て社会復帰をさせる為に建設会社や色々
な会社を経営している方が、メグの為に車椅子を寄付して下
さったり、お金の無い我が家の為にメグが神戸の「神戸アイ
センター」という日本の網膜治療や網膜の難病の治療の治験
もしてて何名かの方が失明から救われているという実績もあ
るけど、我が家には神戸まで往復するお金が無く、別にお金
の事を言い「助けて下さい」と頼んだ訳では無いのに察して
くれて、往復する位のお金を寄付して下さったり兵庫県議会
議員と志を同じくする、議員の先生に頼んでくれて、通常は
診察まで年単位で待たないといけない病院なのに僅か3週間
で診察して頂ける様に手配もしてくれました。
メグは、その病院で色々な検査や診察を受けられました。
しかし、その最新治療をしている病院でも、今はまだ治す事
が出来ず、iPS細胞による治験は、難病患者のみが対象で
ありメグの網膜剥離は治験すら、まだ出来ないと言われたみ
たいです。
その当日、身体が悪く、痛い所ばかりの僕に無理な長距離の
旅はさせられないと、長女と長女の連れが運転手をし長女は
看護師なので同行しました。
僕は、此所で祈る事しか出来なかった。
そして、そこまで何の利益にもならないのに僕等家族の為、
メグの為に支援してくれた社長に感謝の念を伝えるだけでし
た。
そういう事もあり、何が市議会議員だと・・・戯言をいう前
に少しは、その御親切な建設会社の社長の爪の垢を煎じて飲
めという感じだったのでしょうね。
でも、何も夢も希望も成せなくなった僕には、唯一、政治の
世界で「一人でも多くの障碍者が暮らしやすい市」「障碍者
と健常者の垣根を超えた生き易い市」を作りたい。
でも、よくよく考えてみたら選挙に出る為の供託金も無いし
選挙資金も無い、戯言であると自ら知りました。
なので、精々、選挙で少しでも、まともなというか、本心か
ら市政を良くしようと考えている議員に投票するという事に
しましたし、我が県には国政選挙の時に選択肢が無いので、
ある政党の党首のTwitterに我が県から国政選挙に誰かを出
して欲しいと何度も何度も書いたところ、僕が書いたからじ
ゃ無いとは思うけど、我が県に支部が出来ました。
これは次の国政選挙で、これまで選択肢が無いから共産党と
かに投票する位なら・・・と仕方無く投票していましたが、
その政党が候補者を出し、真に「漢」の人ならば、これまで
政党名に胡坐をかいて当選してきた、保守政党に居ながら考
え方は立憲共産党と同じ方は消え去るのみです。
そう考えている我が県の方は相当多い事は県立大学の、ある
教授が、全国に向けたネット番組で言っていました。
多分、僕と同じ考えです。
あの名誉教授が選挙に出たら当選確実でしょう。
名誉教授を辞めたら、出馬して僕の夢を叶えて欲しい。
そして、メグの視神経が、生きている内に網膜剥離のiPS
細胞とかでの治験が始まればと願います。
何の力も金もコネも無い、クソ親父に出来る事はメグの視神
経が網膜剥離の治療が出来る様になるまで持ち堪える様に願
い続ける事と家内の負担を減らす為に自分で出来る事は自分
でする。
例え転倒して打ち所が悪く、あの世に逝く事になったとして
も本望です。
そうしたら、今度は、将来、メグの目を治してくれるかもし
れない医学生の為に、この身を捧げます。
それ位しか、僕には出来ないし、医学生を育てる為の人体の
解剖は、お国の為、道の為です。
家内や家族も理解し、家族全員全ての了承を得て署名・捺印
をしねければ献体は出来ませんが、家内だけが少しゴネまし
たが、何とか説得して全員の了承を得ました。
母も快く、息子の道を了承してくれた。
僕の現役時代からの志を理解してくれた。
何とか、このクソ親父の願いが天に届き、メグの目が再び光
を取り戻し笑顔で「魔女の宅急便」を観られる日が来る事
を・・・・。
May be the best year of my family.