く人と人が会話をするとき、言葉の意味を理解する事で会話が成立しているように見えるが、実は心と心で会話をしているというのが実際ではないかと思うことがある。しかも相手の次の発言を絶えず予測しながら会話は進むようにも思う。
だから言い間違えて発言しても相手には正しい言葉を発した如くちゃんと伝わることがある。
会話が成立しない人とは、心が通ってないことを意味する。互いの心が伝わらない。どんなに言葉を発しても空回り。
一方たった一言発したたけで万感の思いが伝わる事もある。
長い間疑問に思った事がある。言葉の意味がどのようにして幼子に伝わるのかということ。
物の名前は指指して発語すれば伝わるはず。机を指して「つくえ」と発音すれば、幼子はこれはつくえと言うんだと理解できるだろう。しかし、思いやりとか、明日とかはどのようにして理解するのだろうかと考えたものだ。
だが、幼子はたいていは人の会話の流れを聞く中で自然と悟っているように見える。心で心を理解していると言えるようなのだ。
これぞ乳幼児期のスキンシップの成せる技ではないかと思う。おんぶに抱っこ等で生じるオキシトシンという信頼のホルモンが心と心の理解を深めてくれるのではないかと思う。
人の心の読めない人は幼い時期のオキシトシンの不足ではないかと思っている。
なお、この記事の見解はある種の仮説なので念のため。