「 お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ 」
邱永漢 ( きゅう・えいかん 1924~2012 )
糸井重里 ( いとい・しげさと 1948~ )
PHP研究所 2001年3月発行・より
糸井 自分に対してどういうお金の教育がされたのかを、今、さかのぼって
みると、やっぱり儒教的な倫理で教えられてきたように感じますね。
「お金は、汚いものである」 というように思わされていました。
ぼくが幼稚園くらいの小さい頃、お金を口に入れてたんだけれど、
そしたら、おばあちゃんに過剰に怒られました。
「お金は、いちばん汚いんだ!」 と、
それはもう、病原菌かなんかのようで・・・・。
何て汚いのかの理由は、「人の手から手に渡ってきたから、誰が触
ったかわからないし何がついているかわからない」
ということなんだけど、それは、手で触っているし、手で触れる程度
の汚さなんですよ。
そこまで過剰に怒ることはない。
だからそれはもう、実際の衛生上のものというよりは、
「お金というのは汚い」 という信仰に近いような考えだったんじゃ
ないかなあと思うんです。
邱 お金が汚いという考え方は、中国人にはないんですよ。
糸井 はああ。
邱 だからたぶん、日本の独特の考え方です。
糸井 韓国人なんかどうなんでしょう。
邱 いや、よその国の人は、だいたいそんなことはないですよ。
日本だけ割合に、お金を汚いと感じるのではないでしょうか。
糸井 特別なのですか。
邱 そういう感じを受けますね。
それはどこからきてるかというと、やっぱり、宮仕えからきていると
思います。
サムライとして殿様に仕えるのは、決してお金のために仕えている
んではないというか・・・・。
そういう秩序の中で育っているからだと思います。
日本の古い歴史を読んでいると、戦国時代の日本人も、そうでも
なかったようにも見えます。
例えば秀吉が本能寺に信長のカタキを討ちに戻るときには、自分の
持っていたお金を家臣たちに全部あげちゃって、
「今度ここで勝たなかったら、もんなもう、めしも食っていけなくなる
よ」 と、あとに引けないように激励していますから。
糸井 それ、ベンチャーですね。
邱 あの時代なら、誰に従って戦争するのかは、「どっちが得なのか」
「どっちのほうがめしを食えるか」 と動機がはっきりしていますね。
(略)
糸井 ・・・・さきほどの、「宮仕えのような理想を掲げる気持ちが、よく今ま
で長いあいだ 『もってきた』 よなあ」 というのは、ぼくは自分に対
しても言っていることなんです。
ほとんどの日本人の中には、いまだにサムライのような成分がある
と思いますから。
もちろん僕にも、かなりありました。
5月30日の興福寺