「 夷齋座談(いさいざだん) 石川淳対談集 」
石川淳 (いしかわ じゅん 1899~1987)
中央公論社 昭和52年12月発行・より
~ 中国古典と小説 吉川幸次郎 / 石川淳 ~
吉川 中国では、いまでも多少そうじゃないかと思うけれども、小説を書く
よりも人の墓誌銘を書くほうがカネになるんですよ。
伝記を書くほうがね。
石川 墓誌銘は江戸の儒者も書いたけれども、あれがカネになったかどう
か。
カネになったとすると、ちょっと複雑な話になってきますね。
吉川 日本ではおそらくカネにならないでしょうね。
お義理で書くわけでしょう。
石川 友情から、ね。
吉川 だからカネではなく、いまならジョニ黒(ジョニーウォーカー ブラック
当時日本で高価だったスコットランドのウイスキー)を二本くらい、
お礼としてもらうと いうようなことでしょう。
中国ではいちばん収入のあった人は、名文家で墓誌銘を書く人で
す。
石川 それはおもしろいな。墓誌銘がカネになったのはいつごろからです
か。
吉川 唐ではたしかにそうです。
友人知己のためには友情で書いたでしょう。
そうでない人のために書くのはおカネです。ですから韓退之の弟子
が先生のカネをかっさらって、このカネは墓のなかの人間のために
書いたお礼だ、それを手伝ったおれがとって酒を飲んでやる、と言っ
たという話があるんです。
韓 愈(かん ゆ、768年(大暦3年) - 824年(長慶4年)は、
石川 日本の墓誌銘は、おそらく商売ではなかったでしょう。
というのは江戸の儒者で墓誌銘を書いているのは、友達か、後輩
か、生前に関係があった人ですからね。
吉川 中国でも表面の原則はそうなんですがね。
定価表を、墓誌銘は一千字についていくら、というようにきめてる人
もあるんです。
恐ろしく高いんだ。ところが、じつは割引があるというんだな(笑)。
石川 おもしろい話だな、江戸ではおそらくカネをとることを目的にしなかっ
た。
友人先輩のために墓誌銘を書いてカネをとるか、という意気ごみで
ね、いかに両見がせまいか、少なくとも観念的には、金銭のような
卑しい話はしない。
それだけ小さいんですね。 規模がちがうんです。
~『古典への道』 (『中国古典選』 別巻) 昭44・4 朝日新聞社~
5月29日の猿沢池