「 時勢への証言 」
長谷川慶太郎(はせがわ けいたろう)/谷沢永一(たにざわ えいいち)
株式会社 ビジネス社 2001年12月発行・より
[長谷川慶太郎] 大久保利通が安積疎水をつくって、武士の殖産事
業を定着させたということはすでに述べたが、それ
は当時の一般人から見ればありえないような こと
であった。
というのも、武士も官吏も金銭というものを非常に卑しんでいたからである。
その意識は、実はその後もずうっと続き、戦後になっても払拭されることはなかった。
私の身近にも、そのような例がある。
田中眞紀子外務大臣に嫌われた飯村豊さんという官房長がいた。
彼は飯村譲の孫である。
飯村譲は、日本陸軍の中では最もシャープな頭の切れる軍人で、中将であった。
南方軍の参謀長などを歴任し、最後は東京警備軍の司令官であった。
飯村二郎の息子 すなわち飯村豊のお父さんは、少佐だった。
戦後外務省に入省して、領事事務というところで安全保障を担当していた。
私は、その三代と面識があるのだが、最も親しかったのは、飯村豊のお父さんだった。
彼は、あるとき次のようなことをいった。
「 軍人は、何円とか何銭などというようなことは いいたくなかったので、
メートルを使った。
1円は 1メートル、 1銭を 1センチメートルという。
3メートル30センチ というと、3円30銭だった。 ずっとそうだった 」
お金は必要なものではあるが、いっぽうでは不浄なものであるという認識を、彼らは戦後までずっと引きずってきた というわけである。
2017年12月1日に 「田中眞紀子が最前列で大声で・・・」 と題して西部邁の文章を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12331014015.html?frm=theme
オス鹿は発情期 (9月から11月頃) になると泥浴びをするそうです。
この鹿もそんな感じ。 奈良公園にて 9月22日撮影