田中角栄からの「お中元と御歳暮」   | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

「 失われた志(こころざし) 対談集 」

城山三郎 (しろやま さぶろう 作家 1927~2007)

株式会社文藝春秋 2000年8月発行・より

 

 

~ 半世紀の 「日本の政治」 京極純一政治学者 1924~2016) ~

                            『 諸君!』 1995年1月号

 

 

 

 

 

 

城山 自民党の副総裁を務めた椎名悦三郎さんは、田中角栄はそろばん

    が たちすぎるという批評をしています。

 

 

    おそらく先生がおっしゃたことと同じ意味なのでしょう。

 

 

京極 私は目黒東山の公務員住宅に 二十年いました。

 

 

    あるとき大蔵大臣どのが替わりました。

 

    すると大臣から大蔵省の課長さんたちのところへ届くお中元、お歳

    暮の中身が今までより一桁上のものになりました。

 

 

    これは、課長さんたちの奥様方に衝撃的感激を与えました。

    奥様方は 圧倒 震駭(しんがい)されました (笑)。

                          (震駭=驚いて震えあがる事)

 

 

    奥様方の間で大臣の評判が大変に高くなりました。

 

 

    私はああ、なるほどこれが人心収攬か、と政治の勉強をしました。

 

 

    高価な盆暮れのお品を贈れば役人諸侯がどう対応するかよくわか

    っている、その意味ではそろばんずくというか、読みがとどいていた

    と思います。

 

 

城山 私が聞いた話では田中角栄が大臣に就任して、その省の局長以上

    を集めて最初の挨拶をしたときに、名刺がわりですがといって、当時

    の金で五十万円を各人に渡したといいます。

 

 

    局長たちはこんなに もらっていいのかと びっくりしたそうですが、

    みなで相談して、返すのも角が立つからと結局受け取ったということ

    です。

 

 

京極 大臣就任のご挨拶などの名目で宴会をして お土産を配る、

    帰って あけてみたら商品券なり現金なり、というのは政界の常道だ

    そうです。

 

 

城山 そうですか。 では金額の大小の問題ということですか。

 

 

京極 田中さんは金権政治の家元で、選挙活動の経費から寸志やご挨拶

    の額まで一桁上げたという お話で有名でした。

 

 

    五万円の商品券でしたら、お車代ということで異例ではなかったの

    かもしれません。

 

    五十万円の現金となると衝撃的効果です。

 

 

    宴会のあとでお土産配るのは、江戸時代各藩の江戸家老の相互交

    流以来、日本の伝統では ないでしょうか。

 

 

                                                     

 

 

 

2018年2月19日に 『田中角栄には 「金に対する羞恥心」 が無かった』 と題して屋山太郎の文章を紹介しました。コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12347901137.html

 

 

 

2017年4月28日に 「戦国武将の贈答品がすごい」 と題して二木謙一の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12267622946.html?frm=theme

 

 

 

2017年2月2日に 『政治家の 「芸当」 』 と題して徳岡孝夫の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12232068352.html?frm=theme

 

 

 

                                                      

 

 

 

奈良公園の飛火野にある 「雪消(ゆきげ)の沢」・・・池というか水たまりというか・・・池の中央に石碑が立っていて 「雪消澤古蹟」 とあります。

 

 

オス鹿は発情期になると泥水を浴びると昨日書きましたが、池に入っている鹿のほとんどは オス鹿でした。

 

 

平安時代に、崇徳天皇(1119~1164)が次の様な歌を詠まれています。

 春来れば   雪消澤に袖たれて   まだうらわき若葉をぞつむ

 

                                  9月22日撮影