「人間の浅知恵」
徳岡孝夫(とくおか たかお 1930~)
株式会社新潮社 2013年8月発行・より
私は関西で、ジョセフの祖父ロバート・ケネデイにインタビューしたことがある。
彼の非公式な訪日で、そのときの彼の旅行の最大の目的はインドネシアで好戦的なスカルノを説得することで、1962年のことだった。
日本の若い政治家とオフレコで話してもらおうと、
招待主の日本青年会議所が東京で自由な意見交換の会を催した。
その席で自民党の若い政調会長・田中角栄が
「米国は沖縄返還と交換に日本に憲法9条の改正を求めてはどうか」 と発言した。
今ならともかく、当時、憲法改正を言うのは爆弾を投げるのと同じ行為である。
角栄は 「そんなこと言ってない」 と否定したが、
民放テレビ局1社が会場にレコーダーを入れていて、録音があった。
言った言わないの水掛け論である。
ロバート・ケネデイの同行取材をしていた私に、デスクから命令が来た。
「角栄発言の有無を、ケネデイに確認せよ」
京都府下の農協を視察したケネデイは、青年会議所の幹部数人と共に専用のマイクロバスに乗って、右側の席に座った。
私は後を追って乗り、バスが動き出したところで彼に近づいた。
「私は青年会議所の会員ではなく、新聞記者です。一つ質問があります」
座れと彼は隣の席を指し、私は名刺を出し、それから状況をざっと説明した。
「ミスター・タナカは憲法改正を提案しましたか」
「いや、しなかった。少なくとも私は聞いていない」
「あなたのその話を、書いてよろしいか」
「どうぞ」
私は少し離れた席に移ってメモ帳を出し、記事の草稿を書いた。
そしてバスが伊丹空港に着くや否や公衆電話をつかんで原稿を吹き込んだ。
空港で東京に戻るケネデイ氏を見送り、私は社に帰った。
ところが編集局長に呼び止められた。
「よくやった。だが、君の記事はボツだ」
「えッ」
後で知ったが、田中角栄は(おそらく現ナマを使って)社会党を黙らせ、
自分の発言を 「なかったこと」 にさせたらしい。
ケネデイ氏もその謀議に参加して口裏を合わせた。
政治家には、そういう芸当ができるのだ。
昨年11月22日 青葉台公園(埼玉・朝霞)にて撮影