「 人生のくくり方 折目・節目の社会学 」
加藤秀俊 (かとう ひでとし 1930~)
日本放送出版協会 1995年5月発行・より
中国の子どもについて、加地伸行さんが書かれた 『世界子どもの歴史「中国」』 という書物をここで引用しておきます。
そこにはこんなふうに書かれています。
「子どもは、愛され大切にされていたとは限らない。
その身体が犠牲として供されることがあった。
たとえば、西暦前の春秋時代に、こういう記録がある。
斉の国の君主、桓公は食い道楽であった。
その気持ちに迎合するため、寵臣の易牙は、御主君はまだ人肉を味わ
われたことがない、と自分の長男を調理して食前に供した。
桓公もそれを知っていて食べたという。」
これは 『韓非子』 という書物の中に残されている実話だそうです。
中国では戦国時代をはじめ、歴史の中ではたくさん戦争が繰り返されてきましたが、籠城して食糧がつきると非戦闘員である子どもが犠牲になった事もあったそうですし、唐の時代以降も医療の目的で父母の病気治療のため子どもが自分の股の肉をそいで父母に食べさせる習慣があった、という記録もあります。
「二十四考」 という中国の古典はご存知かと思いますが、そこにもこの種の物語がでてきます。
漢の時代にひとりの貧乏な男がおりました。
男には年老いた母と三歳の子どもがいたのですが、貧しいので食べ物が満足にありません。
その貧しい生活のなかで、男のお母さん、つまり子どもから見ればお祖母さんにあたる女性が自分のかわいい三歳の孫のため、じぶんの食べ物をわけ与えていたのです。
その男は自分が貧乏なため、母にじゅうぶんに食べ物をあたえることもできないのに、自分の子どもは祖母の食べ物をわけあたえてもらって生きている。
子どもはまた生むことができるけれども、母はかけがえのない人だという理由で、妻と相談して人べらしのためにその三歳の子どもを殺した、という物語がこの 「二十四考」 の中にでてきます。
このような人身売買だの人肉食の問題は、人道的問題であると同時に人類学的にも大問題ですが、現代中国の作家巴金は1927年(「昭和2年)に書いた小説のなかで 「子どもはいらんかね」 という声をかけながら、天秤棒の前後の籠に幼児を数人づつ入れて売り歩いている人の姿をえがいています。
2018年10月15日に 『イギリス人が調査した「中国の食人」』と題して金文学の文章を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12411126459.html
2019年1月31日に 「魯迅が書いた中国の食人」 と題して金文学の文章を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12411766239.html?frm=theme
駐車禁止の上に 「当館関係車輌以外」 とあります。当館というのは奈良博物館のことでしょう。いつも駐車してある車のなかにはキャデラックや
レクサスLCやボルボもあります。博物館員というのはよほど実入りがいいんでしょうな。 奈良公園で1月9日撮影