明治政府の官業払い下げ  | 人差し指のブログ

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百科事典マイペディア 「官業払下げ」 の解説 ~

明治政府は富国強兵殖産興業の観点から,多数の官営工業を経営したが,欠損の多いことを理由に1880年工場払下概則を定め,軍事工場・公益事業を除いた多くの工場・鉱山を三井・三菱などの政商に対して無償に近い額で払い下げた。これはのちの財閥形成の基礎となった。

 

 

 

「 山本七平全対話 6 根回しの思想 山本七平他 」

山本七平 (やまもと しちへい 1921~1991)

株式会社学習研究社 1984年11月発行・より

 

 

~いま求められる「横割りの原理」     天谷直弘(1925~1994)

 

 

 

 

山本 ええ、明治における日本の成功はなにかといえば、官業の払い下

    げですよ。

 

 

天谷 北海道開拓使官有物払い下げ事件なんていう相当いかがわしいこ

    ともあったりはしてますが・・・・。

 

 

山本 あれはいかがわしいんんですよ。(笑)。

    ものすごく安く払い下げようとした。

 

 

    ほかにもずいぶんそういう非難を受けてるのがあるんです。

 

 

    たとえば明治八年、官船十四隻を無償で三菱に払い下げ、そのうえ

    二十五万の助成金を出している。

 

 

    簡単にいうと、官業はいずれも赤字で参ってたんです。

 

 

    で、こんなものにどんどん予算をつぎ込むことはできないということ

    があったんでしょう。

 

 

    (略)

 

山本 ともかく、明治の政策で、この、民間へどんどん払い下げたことが

    一番成功した理由じゃないですかね。

 

 

天谷 ただ、私がよくわからないのは 「なにが契機になってあんなにどん

    どん払い下げたのであろうか」 という点です。

 

 

山本 それはいろんな理由があるんですが、まず一つは、官業であると

    赤字になるけれども、民業であると黒字になるというケースが非常

    に多かったからでしょうね。

 

 

    また政府が商売などすべきでないという考え方も見えます。

 

 

    同時に、明治には、第一国立銀行が第一銀行に変ってしまうように

    官業から民業に変っていくんですけども、あれなんかは渋沢栄一の

    ように、政府にいてそういう政策をした人間が民間に来るという形に

    なってるんですね。

 

 

株式会社第一銀行は、かつて存在した日本の銀行である。第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)。

前身の第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)は、1873年明治6年)に渋沢栄一により創設された日本最古の銀行。民間資本による民間経営の株式会社であるが、国立銀行条例により発券機能等を有していた。国立銀行条例による営業免許期間終了に伴い、1896年(明治29年)に一般銀行に改組し第一銀行となる。

 

 

    だから、「民間のほうが能率がいい」 となると、どんどんそっちの方

    にしてしまう。

 

 

    たとえば、浅野セメントなんかでも官業の時は大変な赤字になるん

    ですね。

 

 

    それから、ガスも東京府が経営している時には赤字になって、それ

    を民間に払い下げると黒字になるんですね。

 

 

    また、幸運にも当時、おれに任せれば立派に経営していけるという

    自信と能力のある人間が、民間にいたんですね。

 

 

    そうした人間がいないと、なかなかあれほど うまくはいかなかったで

    しょうね。

 

 

    そうした明治期の経験と、もう一つは、そういう事業は町人にやらせ

    ておくものだという発想が、意識の中にあったからじゃないかと思う

    んです。

 

 

    こうしたことからあの払い下げは出てきたんじゃないですかね。

 

                           1984・4 『円卓トーキング』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月8日の猿沢池。  毎日の雨で池の水が烈しく流れています

 

 

上から見ると