明治維新政府の美点 | 人差し指のブログ

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維新政府の一大善点は、いっさい国民を差別しなかった賢明な措置である。


もちろん人の世は悪口の市場であるから、王政復古の運動に乗り後れた東北諸藩を指して、

白河(昔の関所)以上山三文、と罵(ののし)る者もいたけれども、

それはあくまでもイケズ(根性悪)の嫌がらせにすぎない。


盛岡出身の原敬は総理大臣、山形出身の内藤湖南は京大教授、有能な人材はその所を得ている。


 特に高橋亀吉が力説するのは、維新革命後の新政府が切実に人材を求めたその姿勢である。


明治の新政府は、これまで封建制度のもとに埋もれていた全国の人材、

つまり勝ち負けでいうなら負けたほうの士族、その人たちを大規模に発掘し動員し、


適材適所、各自能力を発揮できる環境を新たに整備した。


国民の知能を開発し育成するための教育機関が次々と設けられていった。

(略)

たとえ明治の藩閥政府を蛇蝎(だかつ)の如く嫌う人であても、

ひとつだけは彼らに美点を見出してやる気になってくれるかもしれない。


位大臣を極めた豪邸に住み思うこと叶わざることなき身になった彼らであるが、

爵位は別として、自分の政治的地位と権限を、子供に譲ろうとした者がひとりもないという顕著な現象である。


彼らが力ずくでやっと倒した徳川幕府は世襲制であった。

その自分たちがまた世襲を真似てはおかしいと、至極当然の反省があったであろう。

「日本人を創った百語百読」
谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)
PHP研究所 2001年12月発行・より


朝霞中央公園(埼玉・朝霞市)にて6月16日撮影