「 文藝春秋にみる坂本龍馬と幕末維新 」
編者・文藝春秋
株式会社文藝春秋 2010年2月発行・より
~ 新選組はゆく 池波正太郎 / 綱淵謙錠 / 今井幸彦 ~
編集部 これまで明治維新というと、どうも勤王倒幕の側にばかり重点が
おかれ、人気という面でも、幕府擁護側を圧倒してきましたが、
ただ幕府側で、新選組だけは奇妙な国民的人気を博してきてい
ます。
本日はこの新選組についてなぜそんなに人気があるのか、その
秘密といったところからお話いただこうというわけです。
池波 その人気はね、昭和三年の七月に子母沢寛(しもざわかん)先生が
『新選組始末記』 をお出しになって、従来の新選組とはまるで
違ったイメージのものを盛りこまれたからで、それまでの新選組と
いうものは、じつに ヒドイ あつかいをうけていたようですね。
綱淵 昭和三年はちょうど戊申の年で、御一新から六十年目にあたり、
昭和四十三年の <明治百年> と同じように、幕末維新史に
たいする関心がたいへん昂揚した年だったようです。
しかし、当時の新選組のイメージは荒唐無稽なものが多くて、
いわゆる悪役、仇役だったわけで、私たちが少年雑誌を読むよう
になった昭和十年前後でも大佛(次郎)さんの <鞍馬天狗>
なんかにバッタバッタとやられちゃう、かわいそうな役廻りだったと
言ってよい。
そういう意味では子母沢先生の新選組に賭けた情熱が正統に
評価され、新選組が国民的人気を博するようになったのは戦後と
いってよいのじゃないでしょうか。
池波 子母沢さんが、新選組を書こうと思いたたれたのは、昭和のはじ
めごろだがまだ近藤とか土方の顔を見ている人がいた。
それを探りに行くのが遅かったら、もう間にあわない、ギリギリの
ときだったわけです。
新聞社の仕事のかたわら、しきりに京都通いをして、夜行列車の
往復をなさった・・・・。
あれではじめて血のかよった人間としての近藤、土方および新選
組が書かれた。
しかし、子母沢さんの仕事は、後世の作家の土台になっていて、
ずいぶん映画などにカッパラわれてますよ(笑)。
新選組の原典ですからね。
綱淵 いわゆる倒幕派から見れば、戦慄すべき人斬り集団だったわけで
すが、現在これだけの人気、共感をよぶのは、一つにはその終り
が非常に悲劇的だった、ということもあると思いますね。
池波 もう慶喜が大政奉還してから、幕府側は敗色が濃厚になったでし
ょう。
それにもかかわらず、最後まで迷いながらも自分の信念、男の意
地、そういうものを立て通していった。
その純粋さに好感をもたれるんでしょうな。
( 「文藝春秋臨時増刊」 昭和四十八年一月号)
2019年10月10日に 「大名になる気だった新選組」 と題して会田雄次の文章を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12505824654.html
2018年4月21日に 「近藤勇の愛刀・虎徹はニセ物」 と題して海音寺潮五郎の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12367565351.html?frm=theme
2019年10月18日に 「坂本龍馬は何もしていない」 と題して吉村昭と半藤一利の対談を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12525585424.html
12月23日 奈良公園にて撮影
奈良・東大寺の南大門
東大寺大仏殿から二月堂へ行く坂道