「辞書作りのアルバイト」と「中国のスパイ」  | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

「 お言葉ですが・・・別巻❸ 漢字検定のアホらしさ 」

高島俊男 (たかしま としお 1937~)

有限会社 連合出版 2015年6月発行・より

 

 

 

 

 

 中国人の姓の一つに 「馮」 というのがある。

中国語の発音は feng (フォン)。

 

 

 ありふれた姓だから、昔から今日(こんにち)まで、名の知られた人も多い。

 

 

小生が四十年来 常に手もとに置いて愛用している小型の漢和辞典 『新字源』 (角川書店) は馮異(ふうい)(後漢の建国の功臣)、馮諼(ふうかん)(戦国時代の斉(せい)の政治家)、馮玉祥(ふうぎょくしょう)(中華民国の軍人)、馮道(ふうどう)(四朝に仕えたことで有名な五代の政治家)、馮夢龍(ふうぼうりょう)(明代の文人)、馮友蘭(ふうゆうらん)(民国の哲学者)、の六人をあげている。

 

(略)

 

 ところがこの 「馮」 という姓を 「ひょう」 とよむ人が日本には いる。

無論まちがいです。

 

 

しかし、一人や二人が偶然まちがえた、というのではなくて、たくさんいる。

 

 

群をなして一大勢力を形成しているらしい。

 

 

 さすがに漢和辞典は、これが専門の辞書ですから、『諸橋大漢和』 を

はじめとして、小生が調べたかぎり、まちがえているのはない。

 

 

 しかし それ以外の辞書にはある。

 

 

 一つは平凡社の 『アジア歴史事典』(1961)です。

 

 

これは全十一冊の大きな辞典だから史上の馮姓人物も多くて、二十五人立項してある。

 

 

これが、馮異(『角川新字源』 にも出てましたね)から はじまって おしまいの馮友蘭(これも上に出てきました)に至るまで、全部 「ひょう」 としてある。

 

(略)

 

 もう一つは、三省堂の三省堂の 『コンサイス外国人名辞典』、これは現在もそのまま出ているはず。

 

 

馮雲山から馮友蘭まで十四人立項してあって、全部 「ひょう」 です。

(略)

 

 この辞典は 「三省堂編集所編」 である。

実際には学生アルバイトが作ったものでしょう。

 

 

    いや別に、出来の悪い辞書だから学生アルバイトだろう、と悪口を言うわけではありません。

 

 

辞書というものは、みなアルバイトが書くものです。

 

 

小生は若いころ、かれこれ十年近く、あちこちの辞書の項目を書いて

食っていたから辞書作りの内幕はよく知っている。

 

 

多分何十という辞書を書いたが、何という辞書だったか今では題名も忘れてしまった。

 

 

巻末に編集参加者として名前をあげてくれているのは小学館の  『日本国語大辞典』 だけです。

 

 

ここは出来高払いではなく月給一万円だった。

 

 

(略)

 

 

 

 

 

 ところが1978年に中国へ行った時、北京の書店に はいったら、

『日本中国研究家辞典』 という本があった。

 

 

開いてみると小生の項目があって、そこに学生のころにアルバイトで関係した日本の辞典類の名がズラーッと全部 (多分全部だと思う) 列挙してある。

 

ゾーッとした。

 

 

昭和三十年代四十年代の中国研究界には、中国共産党のスパイが潜入していて、こんなことまで全部調べあげていたのですね。

 

 

 あのころ、「中国研究をやっているというだけでブラックリストに のせられているんだよ」 とか、「あとをつけられて いるんだよ」 とよく言われたものだが ウソではなかったのだ。

 

 

 あの辞典にあげられていた各種辞典、いまではその筆頭にたしか小学館の 『万有百科大事典』 というのが あがっていたと記憶するだけで あとは忘れてしまったが、いまになってみると、中国共産党の所業の動かぬ証拠として一冊買って帰ればよかったと思う。

 

 

その時はひたすら気味が悪くて、呪いの書にふれたような気持ちで急いで書棚に返してしまったものだ。

 

 

(略)

 

 

 

 

 なぜ 「馮」 が 「ひょう」 と よまれることになったのか。

 

 

 話をややこしく しないために ここまでわざと言わなかったのですが、「馮」 の字は、人の姓以外にも普通語彙にも もちいられ、その際のよみは 「ひょう」 なのです。

 

 

中国語では ping(ピン。 これを日本よみになおせば ヒョウ )です。

 

(略)

 

 こんな風に、中国語には、同じ字でも一般語辞と人の姓では発音がちがう、ということが時々ある。

 

 

                                   

 

 

この続きのような文章を 2019年10月14日 「日本の辞書と中国の作家」 と題して紹介しました。コチラです。↓

 https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12501318730.html

 

 

 

 

                 奈良公園の浮見堂にて10月17日撮影