「 史伝閑歩 」
森銑三 (もり せんぞう 1895~1985)
中央公論社 昭和60年9月発行・より
明治二十五年七月四日、明治天皇は、後藤象二郎邸に行幸あらせられた。
(略)
右の叙述には、おおいに努めた点が認められ、当日の状況が、視るがごとくに感ぜられる。
しかしただ一つだけ不足をいいたいのは、象二郎が銘刀一振りと、茶壺と、陶製の狸の置物を献上したとあることで、それでは象二郎は、前々から右の三点を献上することに予定していたように受取られるが、他の品はとにかく、狸の置物などという、ややふざけた感じのする物までが、献上の品の内に加えられていたように取られる。
しかし実際はそうではなくて、その置物は、天皇の方からお望みになったのだ。
そのことを精しく書いては、紙数は少しは増そうが、それを明らかにすることによって、叙述には いっそうの精彩が加わるのに、それをしないで、文を無表情なものにしてしまっているのがはなはだ惜しい。
大町桂月著 『伯爵後藤象二郎』 は、右の行幸の記事の文献七種の内にも加えられているもので、『明治天皇紀』 の編集委員の人々も、それを見ていることが知られるが、その象二郎伝には、とくに 「高輪邸の光栄」 の一章を設けて、行幸当日の模様をいっそう詳述しているのであり、右の置物の狸については、次のように記述せられている。
「この日、伯は種々の器具を照覧に供しけるに、一つ御感に入りたる
ものあり、即ち狸化けて法衣を著け、頸に数珠を懸けたる陶製の置物
の、高さ二尺ばかりのもの也。『之を持ち還るぞ』 と仰せられて、伯、
面目を施し、謹んで献上しけるに、親(みづか)ら御輦の中に入れて持ち
還らせ給ひ、其御、年久しく御卓の上に置かせ給へり。
一日、帝室博物館へ行幸あらせられしに、同じ形のものあり。
天皇、之を熱覧あらせられ、『此品よりは、後藤より持ち還りしものゝ方
が勝れり』 と仰せられたりと聞く」
すなわちこの記述があって、狸の置物献上の顛末が明らかにせられるのである。
明治天皇には、動物好きにましました。
その第一に挙ぐべきものには馬があろうが、珍しいことには、猿がお好きで、御製の中には、猿を詠ぜさせられたものの特別に多いよしをも承っている。
狸については、何も聞くところがないが、後藤邸で御覧になった種々の器物の内で、特にその狸の置物が欲しいと仰せられたのが、ほほえましい。
しかしそれ以上に、後藤象二郎そのものが、一箇の古狸であった。
大臣として内閣に列しながら、ただそれだけを以て満足せず、さらに総理大臣として朝に立ち、おおいに為すところあろうとしていた。
その後藤の面影を、坊主に化けた置物の狸にもお認めになって、天皇にはいっそうの興味を持たせられた のではあるまいかとも思われる。
さように考える時、天皇が特に狸の置物を望まれたという一事に、さらに複雑な面白さが加わることになる。
残念なことには、『明治天皇紀』 は、叙述をただ要約して書くことに努めて、何の感興もないものにして しまっているのである。
なお些事ではあるが、行幸の当日、象二郎夫妻以下への御下賜になった品々に就いても、『天皇紀』 の方は、ただその品目を挙げているのに過ぎないが、象二郎伝には、それに附記して、これらは畏くも、天皇が御自身にお選びになったのだというとしてあるので、そこにまた特別の感興が湧く。
明治天皇には、御趣味に富ませられ、よく物の良否を御鑑別遊ばされた。
天皇自ら御選択になった品々を賜ったよしを拝承して、象二郎夫妻以下は、ひとしお忝さに感激したことであろうと思われる。
2018年6月7日に 『明治天皇は「花見も風呂も嫌い」』 と題して
ドナルド・キーンの文章を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12360159214.html
2018年5月22日に 『明治天皇の「好きな人・嫌いな人」』 と題して
ドナルド・キーンの文章を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12361218915.html
7月31日 奈良市内にて撮影