「松本セイチョー」か「キヨハル」か? | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 お言葉ですが・・・❼ 漢字語源の筋ちがい 」

高島俊男 (たかしま・としお 1937~)

株式会社 文藝春秋 2006年6月発行・より

 

 

 

 

 さきほど言ったように、名乗はしばしば音(おん)で称される。

 

 

 これは、まず第一に、どうよむか わからないばあいが多いからである。

 

 

 それに、どうよむか わかっていても、特に当人がまだ生きているあいだは、名を直称するのは はばかられる。

 

 

音で言うのは、その人を直接さすのではなく、名の文字をさして言っている、つまり間接にさしているという意識がある。

 

 

音で言うほうがずっと口調がいい、ということも無視できない。

 

 

 

 それになんと言っても、音には敬意がふくまれる。

ひろく名を知られた人ほど、その名を音で言われることが多い。

 

 

逆に言えば、名を音で呼ばれることは、著名人であること、多くの人から敬愛されていることの証拠である。

 

 

 松本清張さんは、ほんとうの名前は清張(きよはる)である。

作家として登場した時も、もちろんそうであった。

 

 

ところが 『点と線』 などの作で有名になると、だれもが松本清張(せいちょう)、松本清張(せいちょう)と言う。

 

とうとう御本人も、作家としては松本清張(せいちょう)、ということになさった。

一種のペンネーム、あるいは 「著名人ネーム」 である。

 

 

 

 安部公房さんも同じである。

ほんとうの名前は安倍公房(きみふさ)

 

しかし有名になるとだれもが 「アベコウボウ」 と言うので、作家としては安部公房(こうぼう)になった。

 

 

 政治家原敬が有名になると、だれもが原敬(はらけい)と呼ぶ。

総理大臣になると 「原敬内閣(はらけいないかく)」 である。

 

 

これを原敬内閣(はらたかしないかく)と言ったのではまちがい     とまでは言えぬにしても、すくなくとも慣行に反する。

 

『原敬日記』 も、ふつうには 『原敬日記(はらけいにっき)』 である。

 

 

菊池寛もそうである。

ほんとうの名前は菊池寛(ひろし)であるが、菊池寛(きくちかん)と言ってこそ著名人菊池寛である。

 

 

 菊池寛の親友芥川龍之介の句に 「ヒロシとは俺のことかと菊池寛」 というのがある。

 

だれかが 「菊池ヒロシさん」 と呼んだ。

 

菊池寛ジロリとそちたを見て、「そりゃわたしのことですかい」    という句である。

 

無論不機嫌である。

「なれなれしく呼ぶな」 というところだろう。

 

 

 晩年の松本清張さんも、もしだれかが 「松本キヨハルさん」 なんて呼んだら、あの大きな目でギョロリと にらんだんじゃないかしら。

 

 

 

                                                  

 

 

 

徳川慶喜は 「ヨシノブ」 なのか 「ケイキ」 なのかについて2018年11月9日に高島俊男が書いていましたので 「徳川慶喜の読み方・その2」 と題して紹介しました。コチラです。  ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12416866236.html

 

 

 

 

 

                      和光市内(埼玉)にて12月4日撮影