「 お言葉ですが・・・❼ 漢字語源の筋ちがい 」
高島俊男 (たかしま・としお 1937~)
株式会社 文藝春秋 2006年6月発行より
電車に乗ったら、中年の男が二人、話をしている。何か歴史の話らしい。
「 それで徳川慶喜(けいき)がね・・・・」
一人がそう言いかけると相手が、
「そりゃ徳川ヨシノブだろ?」
と口をはさんだ。言われたほうは、まわりに人のいるところで訂正を加えられてちょっと顔を赤らめ、
「 うん徳川ヨシノブが・・・」 と言いなおした。
でもほんとは、「徳川慶喜(けいき)」 でちっともまちがいではないんですよね。
この人は、大政を奉還して将軍でなくなってからも、大正の初めまで
ずっと生きていた。
おそばにつかえる人たちや親戚筋の人たちがこの人のことを話題にのぼせる時には、「慶喜様(けいきさま)」 あるいは 「慶喜公(けいきこう)」 と言った。
一般の人たちも 「徳川慶喜(とくがわけいき)」 と言うのがふつうであった。
慶喜のお孫さんである榊原喜佐子さんの 『徳川慶喜家の子ども部屋』(草思社)にこうある。
< 邸では祖父を、「慶喜(けいき)様」、お位が従一位なので 「一位さま」
と お呼びしていた >
(略)
つまり 「徳川慶喜(けいき)」 というのは、この人のことを言う時の最も
一般的な呼称なのだ。
それに、「徳川ヨシノブ」 と むきつけに名を言うより、「徳川慶喜(けいき)」と音で呼ぶほうが、敬意をこめた呼びかたである。
森銑三先生が若いころ、山田孝雄博士から、
「人の名前を音読するのは、寧ろ敬意を表することになるので、定家をテイカと音読するのはいい。定家自身は、私はサダイヘです、といふのが当然で、私はテイカですとはいはない」
と教えられたことを書きとめていらっしゃる(『思い出すことども』)。
加藤清正だって神と祀られれば、「清正公(せいしょうこう)」 ですものね。
(略)
それともう一つ。いまの人はこの 「慶喜」 という名前を 「よしのぶ」 と言っているが、明治時代の節用集に附してある よみがなには、「のりよし」 ともあり、また 「よしひさ」 ともあることを山田俊雄先生が報告していらっしゃる(『ことば散策』岩波新書、『詞苑間歩』三省堂)。
「徳川慶喜の読み方・その1」 は 2018年8月11日に
『 「徳川慶喜」の読み方・徳川義宣 』 と題して徳川義宣の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12393012945.html
2017年9月28日に 「徳川慶喜の墓に線香は駄目」 と題して徳川慶朝の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12314389500.html
ネズミモチの実 朝霞市内(埼玉)にて 10月17日撮影