「 天使の出現 野口悠紀雄の時間をめぐる冒険 」
野口悠紀雄 (のぐち・ゆきお 1940~)
日本経済新聞社 2004年11月発行より
1880年代のある日、質素な身なりの夫妻がハーバード大学を訪れ、
チャールズ・エリオット総長に面会を申し入れた。
彼は、訪問者を長く待たせたあげく、しぶしぶ面会した。
「ハーバードの一年生で病死した息子を記念するために寄付をしたい」
という申し出を聞いて、エリオットは 「またか」 とうんざりした。
「そんな要請をいちいち聞いていたら、キャンパスは記念碑だらけになってしまう」。
そこで、彼は
「寄付していただくなら、建物にしていただきたいものですな。ただし、大学の建物は高価でして」
と言って、具体的な数字を述べた。
これを聞いた夫妻は、驚愕(きょうがく)の表情を浮かべて退出した。
この会見は、多忙なエリオットの仕事のほんのひとこまに過ぎなかった。
ハーバードの長い歴史では一瞬でしかない。
しかし、この数十分間は米国の大学史を変えたのである。
なぜなら、夫妻はハーバードへの寄付をやめてカリフォルニアに戻り、
そこに息子の名 リーランド・ジュニア を冠した大学を作ることにしたからだ。
彼らは、大学の建物がそんなに 「安く」 できると知って、驚いたのである。
この寄付者は、大陸横断鉄道で成功した鉄道王リーランド・スタンフォードである。
そしてこの挿話は、スタンフォード大学 正式には 「リーランド・スタンフォード・ジュニア大学」 のではなく、ハーバード大学のホームページに紹介されている。
「近ごろよく語られるこの話は、創作であって事実ではない。しかし、傲慢(ごうまん)に対する戒めではある」
という注記とともに。
日本の大学のホームページをいくら探しても、こういう面白い話は見つからない。
いまでは、こんの話はハーバード大学のホームページだけでなく、スタンフォード大学のホームページにも紹介されている。
そして、どちらも、これは urban legend (都市伝説)だとしている。
中央公園(朝霞・埼玉) 10月17日撮影