昔はライバルのカメラマンに・・・ | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 まなこつむれば・・・ 」

吉田直哉 (よしだ なおや 1931~2008)

筑摩書房 2000年1月発行・より

 

 

 

 金さんこと本間金資さんは、学徒出陣の壮行式や日本軍落下傘部隊の降下作戦など、歴史にのこる映像を撮影したカメラマンである。

 

 

 しかし、呼び捨てにしやすい名前なので、若いときはキンスケ! と三下か使い走りのようにこき使われたらしい。

 

 

じっさい金さんは丁稚にしかなれない年ごろに、徒弟制度のニュースカメラマンの世界にはいったのだった。

 

 

 力仕事や汚れた仕事はもちろんだが、信じられない修業を最初にさせられた。

 

 

重要な式典やスポーツの撮影のときに、ライバルのニュース映画社のカメラの前に忍びこんで、じっと待つのである。

 

 

そして 「 来た! ここだ!」 と思うところで、パッと立ちあがる。

 

 

 金さんはいくつかの例をあげたが、最近の話におきかえて、マグワイア選手が七十号ホームランを打った瞬間、としてみたい。

 

 

その瞬間、カメラの下から変な小僧が立ちあがるのである。

レンズ前を背中でふさがれ、いちばん大事な瞬間がまっ黒になる。

 

「この野郎!なにしやがる!」 とボコボコになぐられる。

 

 

その数が多いほど帰ってからほめられた。

ライバル社の受けた痛手が大きい証拠だからだ。

 

 

「決定的瞬間は体でおぼえろ、って理屈だね」

と金さんは、しょっぱい顔で言った。

 

 

 それにしてもひどい修業だと言うと、こんなのは序の口で、テキのレンズにそっと唾をぬってくるよう命ぜられたこともあるという。

 

 

当時のカメラは、一眼レフでなくファインダーが別だから、現像してみてはじめてピンボケに気づく、悲惨な事態となる。

 

 

「にんげん、腕がわるいと卑劣になるって教訓だねえ」

と金さんはしみじみ言った。

 

 

金さんの師匠は二流だったから、ライバルのことばかり気にしてたのである。

 

その下で、何でも栄養にする弟子は、体で決定的瞬間をおぼえた。

 

                   ~初出 「チャイム銀座」 1999年6月号

 

 

 

 

                                          中央公園(埼玉・朝霞)  10月17日撮影