毛沢東のコンプレックス | 人差し指のブログ

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「 逆検定 中国国定教科書       中国人に教えてあげたい本当の中国史 

井沢元彦(いざわ・もとひこ) / 金文学(きん・ぶんがく)

祥伝社 平成17年9月発行・より

 

 

 

    確かに、毛沢東はインテリに対して非常に強いコンプレックスを持

      っていますね。

 

 

      最初彼は、湖南省の師範学校を卒業して、大学に進み、外国に

     留学するという夢を持っていました。

 

 

     しかし、成績か何かの問題で、結局北京大学に入れなかったんで

     す。

 

 

      そこで、もともと読書が好きだった彼は、北京大学に勤めていた

     自分の妻のお父さんを訪ねて、北京大学の図書を管理する管理

     人になったんです。

 

 

      そこで彼は常に、魯迅や胡適といった有名な知識人リーダーた

     ちの姿を目にしていたのです。

 

 

     彼が羨望のまなざしで見つめた知識人たちというのは、魯迅や胡

     適はもちろん、共産党の李大釗や陳独秀にしても、みんな日本か

     欧米の留学生でした。

 

 

     彼らに対して自分は、大学にも行けなかった。

 

 

     そんな知識人じゃない自分は、彼らがやっている新文化運動を横

     目で見ているしかなかい。

 

 

     結局、これが彼のコンプレックスを育てたんです。

 

 

      そして毛沢東は結局、彼らとは違う道、つまり農民路線をとった

     んです。

 

 

     そして自分が政権を握ると、知識人に対するコンプレックスと恨み

     から、彼らを大弾圧するんです。

 

 

     だから毛沢東主義の中には、明らかに知識人に対する怨嗟、恨み

     が含まれています。

 

     (略)

 

     ですから毛沢東は、実は文化大革命以前からも 「愚民政策」 を

     とっているんです。

 

 

     知識人たちは頭が良いですから、いろいろなことを言います。

     だからそういう連中が嫌いなんです。

 

 

     そのため彼は、ごく普通の知識人でさえも全部、農村に行って労

     働するようにさせたんです。

 

 

     農村へ行って労働させれば、本も読めなくなるし、馬鹿になってう

     るさいことも言わなくなるというわけですね。

 

 

     だから彼は、下放(かほう)政策をとったんですよ。

 

 

      それ以来若い知識人たち、いわゆる 「知識青年」 は全部農村

     に下放させています。

 

 

     そうやって、自分の言うことを聞かせるようにしていったんです。

 

 

     これが毛沢東の20世紀の大発明なんですよ、とんでもない発明

     ですけどね。

 

      スターリンも彼には及ばないですよ。

 

 

井沢   なるほど、下放政策というのも、インテリに対する妬みという視点

      で見れば、非常にわかりやすい話ですね。

 

 

                                       

 

 

2015年12月26日に 「毛沢東と知識人」 と題して高島俊男の文章を紹介しました。コチラです。  

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12107278504.html

 

 

 

2015年12月20日に 「毛沢東はマルクスを読んだか?」 と題して高島俊男の文章を紹介しました。コチラです。  

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12107259293.html

 

 

 

 

 

 

10月12日  朝霞中央公園(埼玉)にて撮影