「 アメリカの正義病・イスラムの原理病 一神教の病理を読み解く 」
岸田秀(きしだ・しゅう) / 小滝透(こたき・とおる)
株式会社春秋社 2002年3月発行・より
岸田 ▶ 大東亜戦争における日本軍の作戦をいろいろ見てみると、戦う
ためには、部隊というか、集団の和がやっぱり必要なんです
ね。
ところが、集団の和を優先し、日本兵が一致団結して戦意に燃
えるような作戦は、現実的、合理的に考えればあまり効果的な
作戦ではないのです。
それでよく失敗するんです。
しかし、現実的、合理的作戦を立てると、それでは兵隊たちの
戦意が高揚しないという矛盾というか、二律背反に日本軍は引
き裂かれていたようです。
例えば、A参謀がある作戦を提案し、それを遂行するために
は二万の兵隊が要ると主張する。
その規模の作戦に二万の兵隊が必要だという判断は、実に合
理的で正しいわけです。
B参謀はそのような作戦は無用であり、やるべきでないと主張
する。
じゃあ、中を取って一万(笑い)。
現実的に判断すれば、その作戦は、二万なら勝てるけれども
一万では勝てないことは明らかなのです。
しかし、一万の兵で作戦は遂行され、当然、負け戦さとなって、
多くの兵が無駄死にする。
馬鹿みたいな話ですが、上海上陸作戦やガダルカナル作戦な
どで、実際にそういうことがあったそうです。
しかし、A参謀とB参謀のどちらかの主張を採択し、他を全面的
に拒絶すれば、今後、A参謀とB参謀との仲がまずくなり、兵隊
の士気に影響し、今後の部隊の運営に支障を来すというわけ
です。
小滝 ▶ 戦いというものは、どうしても当該国の文化(世界観)が反映し
ますからね。
(略)
ですから、今の文脈で言えば、日本軍の弱点はその根底に
権威と権力の分離があり、それ故に下位組織の乱立が必須と
なり、それを一本化するために和というものを強調しなければ
ならなかったことにあろうかと思います。
おそらく、それは日米戦の至る所に見受けられ、節目節目の戦
いでは特にそれが目立っているのではないでしょうか。
10月12日 朝霞中央公園(埼玉)にて撮影