「呆れた哀れな隣人・韓国」
呉善花(お そんふぁ) / 加瀬英明(かせ ひであき)
ワック株式会社 2017年1月発行・より
<呉> 韓国では芸術的な焼き物への情熱があったのは高麗(こうらい)時代までで、一般に焼き物を作る人は地位が低いと思われましたから。
<加瀬> 芸術があったのは高麗までですね。
1392年に李成桂がクーデターを起こして高麗を倒し、
その後の李氏朝鮮五百で芸術は滅びました。
<呉> 高麗までは仏教社会で、寺院も仏教美術もありました。
李朝で仏教が弾圧されて儒教国家になってから、五百年の間、文化は育っていません。
<加瀬> 韓国では平地には仏教寺院はありません。
李朝に弾圧されて山の奥に逃げこんだのです。
お坊さんは賎民(せんみん)扱いをされました。
<呉> 仏教美術や高麗青磁も李朝の弾圧でなくなりました。
先祖祭祀のことを 「茶礼」 というのですけれど、李朝では茶を飲む習慣がなくなり、残った言葉から高麗時代には仏様に捧げたのだろうと推測するのみです。
ですから、日本人の間に、茶道が半島から日本に伝わったという説を言う人がいますが、それは間違いです。
<加瀬> 李朝では茶の栽培が禁止されましたけれど、
一カ所だけ茶を栽培するところがあったのですね。
それは中国皇帝の勅使が来たときに出すためのものでした。
<呉> どういうふうに飲まれていたかという記録もありません。
<加瀬> 韓国の骨董屋には五体満足な仏像がありません。
李朝時代の弾圧で頸(くび)を切られたり、手足をもがれたりしたものばかりです。
仏教を復活させたのは日本です。日韓併合後に復活し、それで今日の韓国に仏教があるわけです。
<呉> 今回の旅行では日本の仏教美術に詳しい人たちと、
慶州仏国寺に行きました。
これは新羅(しらぎ)時代の寺で、燃えてしまって土台と石塔だけ残っているものです。
世界遺産なのですが、土台の上に再建された建物は李氏朝鮮末期のものです。
日本の美術に詳しい人が見て、土台と石塔は素晴らしいと言うのです。
これより一センチ大きくても小さくても駄目だという精密な建築になっている。
ところが再建された建物は美術品になっていない。
絵にも品がない。1970年代(朴正熙大統領時代)に作られた仏像は、韓国で一番の寺にあるのにまるで子どものおもちゃみたいなもので、これを代えないと韓国の恥だと言われました。
<加瀬> 高麗朝では職人は大切にされたのですね。
お坊さんや絵描きは社会のいい地位を占めていました。
それが李朝から最下層になったのです。
<呉> 李朝五百年のブランクは恐ろしいものです。
韓国の技術が絶えてしまいました。
<加瀬> いまもそれが続いているわけですね。
日韓併合後の韓国仏教については 2月1日に 「韓国仏教界の分列は日本のせい?」 と題して 小室直樹の文章を紹介しました。
コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12336794669.html
3月26日 北の丸公園付近(東京・千代田区)にて撮影・白い塀の向こうが皇居です。