「学生との対話」
講義 小林秀雄 (こばやし ひでお 1902~1983)
編者 国民文化研究所会・新潮社
株式会社新潮社 2014年3月発行・より
ある桜の大家が神戸にいる。もう大変な御老年で隠居暮らしをされているが、私はこの人から桜のいろいろ面白い話を伺った事がある。
(略)
失敗談はいくらでもあったが、その一つ、奈良から橿原(かしはら)神宮まで、道にずっと山桜を植えるという運動を、知事が発起人になって起こしたことがある。
そのための非常に優秀な桜をこの人は全部無償で提供した。
ところが田圃が日陰になるというので、
県からその補償金をとれという反対運動を或る政党が主宰して起こした。
その人は毎日弁当を持って、百姓を説得して歩いた。
何十年か後のこの参道の桜の満開を想像してみよ、
諸君はみな酒をたずさえて花見に行くだろう、 日陰の事なんか、
そうなったら諸君は許してくれるに決まっている。
とうとう説得が成功して、桜は全部植えられたのです。
すべてがこの人の献身的努力だったのです。
ところが、それからすぐ戦争になった。 桜はみんな切られて了った。
たき木になってしまったのです。
「いまでは一本も残って居りません。本当にくやしいことでした」 と言っていました。
財産として最後に残ったのは、桜の苗園でした。
ところが、その土地の横を新幹線が通ることになって、盛り土の泥が必要になり、買上げの問題が起こりました。
その土地の泥は、桜に最もよく適した泥で、何十年もかかって、
やっと見つけたのだそうです。
竹やぶだった所を買って、竹を全部抜いて苗園にしたのだそうです。
だから政府の指定の換地の泥では駄目なのです。
その人は 「あれと同じような泥があったら、私は喜んで換えます。それでなければいやだ」 と言った。
「そんな土地に桜を植えて、あなたは何をしていらっしゃるのか」 と訊かれたので、「わたしは桜の欲しい人にやっているのです」 と言った。
しかし、誰もそんなことを信じる人はいないのです。
そこへNHKが来て、テレビで貴方の言い分を国民に訴えたらどうかというので、喜んで訴えたのだそうです。
ところが後でテレビを見ると、いろいろな同じような事件の一つにそれが組みこまれていて、ごね得する男の例の一つになっていた。
「これも非常にくやしかった一例です」 と言ってました。
3月26日 北の丸公園付近(東京・千代田区)にて撮影