宮中の歌会始と元公家の怒り | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

~話に出てくる坊城俊民という人は学習院で三島由紀夫の先輩にあたる人で、三島とは文学的交流もあったようです(人差し指)~

 

 

 

「半日の客 一夜の友 丸谷才一・山崎正和対談11選

丸谷才一(まるや さいいち) / 山崎正和 (やまざき まさかず)

株式会社 文藝春秋 平成7年12月発行・より

 

 

 

<丸谷>   今年(昭和六十二年)の正月の歌会始は、山崎さんと私とが陪聴する機会を得て、二人ともたいへんめずらしい体験をしました。

 

(略)

 

<山崎>   私たちの席からは、真ん中にいる講師たちの仕種は見えないわけですけれども、そこのところを坊城俊民さんがたいへんうまく書いていますので、ちょっと読んでみましょうか。

 

 

 「読師がたちあがる。読師は披講師の所定の位置につき、おもむろに両腕をのばして浅硯蓋をひき寄せ、文鎮のつまみをとり、一本は手もとに、一本は反対側の、発声のとどくところに押しやる。次ぎに懐紙の束を、

折目を右にして左手前におく。さうして両手に浅硯蓋の両端を持ち、

近い一辺を静かに持ちあげる。遠い一辺は緞子の上を滑って近づき、

浅硯蓋は直立する。次ぎに両手をおもむろにおろしながら裏返しに蓋を倒す。倒しをはると卓の中央に押しもどし、両手を膝にかへす。云々・・・・」

 

 

 これは、まさにお茶のお点前ですね。

もちろん、これはお茶のお点前よりは古いはずでありまして・・・・・・。

 

 

<丸谷>   お茶のお点前は、こういうのを真似たわけ。

 

(略)

 

<山崎>   で、独特の発声で、「としのはじめに    イッ」 と、ここのところは表記のしようがありませんが、ぐっと引っ張って。

 

坊城さんの記述によると。最後のところでもう一息吐くんです。

ずっと母音を引き伸ばして、伸ばし終わったところで一息その息を吐く。

 

そうすると、そこにひとつの強調点がくるわけですね。

 

(略)

 

<丸谷>    明治の頃に公家が朗誦するのをやめて、

          宮内庁の楽部の人が朗誦することになった。

 

そうしたら、明治天皇が 「やはり公家声(くげごえ)を聞きたい」 といって、

公家が朗誦することになった、というのがありましたね。

 

坊城さんは、わが意を得たりと、非常に喜んでいるわけなんです。

 

(略)

  

 

<山崎>    ところで、公家の心とは、どんな心であるか、多分、後水尾朝以後、公家個人でいえば烏丸光弘以後、わが国の公家というのはどういう心情で暮らしていたかということを、坊城さんは見事に書いているので、ここに読ませてください。

 

 

 彼は、披講する時に、あがりそうになる。あがるのをおさえるために、秘訣がある。腹の底に蔵している憤りを想起する。全日本人に対する怒りである。具体的にいうと、そこにいるわれわれ陪聴者を睨んで、怒るんですね。

 

 

 「大臣あり、国会議員あり、大学教授あり、一応世間を代表する人物、

もしくは将来を約束されてゐる人びとである。頭のいい、役に立つ、これら優秀といはれる人たちは、多く維新後文明開化の波に乗て擡頭してきた機敏な成功者の子弟である。 何といふ猪口才ども! 内心怒号する。

 

 一方、披講者にゐる我われは頭が悪く、役に立たぬ、懶惰な敗残者であるかも知れぬ。とりえといへば披講ができるだけかもしれぬ。否、それすら満足にできるとは私自身思うてもゐない。かういふ我われが遂にその家柄を自慢する時、聡明な世界は嘲笑する。けれどもそれは私にとつて、存在するための唯一の支えへだ。自慢しなければならない場合は悉皆(しっかい)の人間的矜持を喪失してゐる時だ」

 

 

私には非常によくわかる。見事な公家の心のあり方だと思うんですね。

 

 ~あけぼのすぎの歌会始~「中央公論文芸特集」昭和六十二年春季号

 

 

 

                                                  

 

 

 

北の丸公園付近(東京・千代田区)にて3月26日撮影・塀の向こうが皇居です。桜が咲いている頃はこの道も人が多くなりますが、こちらのほう   (私が撮影している所)が良い景色が見えます。それに気がついて向こうから道路を渡ろうとする人がいますが、この辺は横断歩道が無いし、桜の時期は車が多いので中々渡れません。