「日本人のためのイスラム原論」
小室直樹(こむろ なおき 1932~2010)
集英社インターナショナル 2002年3月発行・より
1910年(明治43)、朝鮮半島は日本の領土になった。日韓併合である。
このとき日本政府の立場は、朝鮮半島の住民もまた日本人として同格に扱(あつか)うというのが建前(たてまえ)であったから、当然のことながら、この僧侶妻帯(さいたい)の件も朝鮮半島に適用されることになったのである。
日本とは違って、本来の仏教を保持していた朝鮮の人々にとってみれば、僧侶が結婚してもいい、しかもそれを政府が許可するというのはおよそ
常軌(じょうき)を逸(いっ)したことである。
当然のことながら、朝鮮人の中から大変な抵抗が起きた。
ところが日本の側は、すでに仏教から戒律がなくなって久(ひさ)しいものだから、これがそんな大問題であるとはピンと来ない。
むしろ、いいことをしてやったぐらいにしか思っていない。
そうこうするうちに、朝鮮の僧侶の中にも日本人を見習って、妻帯する者が表れたから話がややこしくなってしまった。
本来の戒律を守っている僧(これを比丘僧びくそうと呼ぶ)と、
妻帯した僧(妻帯僧)との間に対立が生まれ、
韓国仏教界を二つに分裂させかねない事態になったのである。
しかし、この対立は日本統治時代はまだ表面化しなかった。
ことが深刻になったのは、日本が引き上げてのちのことである。
というのも韓国が独立するや否(いな)や、
比丘僧が妻帯僧(さいたいそう)の追いだしにかかったからである。
これを当時の大統領だった李承晩(りしょうばん)も後押しして、
とうとう妻帯僧は寺院から追放されることになった。
しかたがないので、妻帯僧は寄り集まって新しい寺院を作ったのだが、
いまだに韓国では妻帯した僧を破戒僧(はかいそう)として
許そうとはしない。
日本の韓国統治については、いろいろな議論がある。
先ほども述べたとおり、日本政府はイギリスなどの植民地経営とは違って、あくまでも本国人と同じ待遇で接しようと努力した。
一段下の 「植民地人」 扱いはしなかった。
その点においては、ヨーロッパよりずっと文明的であったと見ることもできる。
だが、その 「同格」 というところが問題で、日本人と同じように扱われて朝鮮の人々が喜ぶかといえば、かならずしもそうではない。
ここがやっかいなところだ。
それが象徴的に現れたのが、僧侶の妻帯問題であったというわけだ。
昨年11月27日 平林寺(埼玉・新座)にて撮影