参考資料3154 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

週の曜日に隠された真実
「フランス古典天文学者、ジャン・シルヴァン・バイイ(1736~1793)によれば、天文学者は、星の名を週の曜日の名に与えたぐらいだから、おそらく古代からそれら七つの惑星の知識をもっていたにちがいないという。これら週の曜日を支配する惑星は、存続している順列にしたがって、太陽、月、火星、水星、木星、金星と並べられているのだ。
 さらにバイイは次のような註釈をつけ加えている。

 エジプトでは週は土星、土曜日から始まっている。インドでは金曜日からで、ヨーロッパやアメリカでは日曜からである。このように、週の第一日目の曜日は各国においてさまざまであるが、これらの曜日を支配する惑星の順序はいずれの場合も同じである。驚くべきことに、こうした順序は古代エジプトでも、インドや中国でも変わらない。それは惑星の距離や大きさの順序でもなければ、光の輝かしさの順でもない。とすれば、まったく違った国の人びとが、偶然にも、同じように週の曜日に惑星の名を与え、それらをあるひとつの順序に並べていったとしか思えないのである。こうした意味からも、天文学というものの根源は、太古の昔からあったといえるだろう。

 バイイは週の曜日の順序が”偶然”に一致したと述べているが、そうではないはずだ。そこには共通の神秘年代学というものがあるのだ。
 こうした神秘年代学は、ごく限られた一部の人間にだけ知られており、彼らこそが人類の最終的世紀を支配する一種のエリート階級となるはずだ。ノストラダムスやトリテームに代表されるようなこのエリート階級の人間たちによって秘密の知識は継承され、やがて、地球に大異変が訪れる日に、いくつかの人類のグループを救済し、また生き残った人びとを指導するためのたいせつな方法として役立てられることになるのだろう。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
昨日の記事から、

「また、ノストラダムスが『諸世紀』のなかでフランス王アンリ二世へ宛てた手紙に、次のような”予言を解く惑星の鍵”を示していることに注目してほしい。

 いくらか時を経て、土星が4月7日から8月25日まで回るときから、木星は6月14日から10月7日まで、火星は4月27日から6月22日まで、金星は4月9日から5月22日まで、水星は2月3日から24日まで、そして6月1日から24日までと9月25日から10月16日までそれぞれ回る。

 ここでは惑星は、①土星 ②木星 ③火星 ④金星 ⑤水星 の順に並んでいて、太陽と月が欠けている。この配列に太陽と月を加えてみよう。次のようになるはずだ。
 ①土星 ②木星 ③火星 ④太陽 ⑤金星 ⑥水星 ⑦月
 ごらんのように、これは各惑星を地球から遠い順に並べた配列と一致する。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

一応、裏を取ると、

「104. 現在よりもしばらく後に、次のような時が(来るのが)分かります。土星は4月7日に方向を転じ始め、8月25日まで続くでしょう。(同様の期間はそれぞれ)木星は6月14日から10月7日まで、火星は4月17日から6月22日まで、金星は4月9日から5月22日まで、水星は2月3日から同27日〔24日の誤り〕までです。
105.(水星の逆行は)その後6月1日から同24日までと9月25日から10月16日までにもあります。土星は磨羯宮に、木星は宝瓶宮に、火星は天蠍宮に、金星は双魚宮にあり、水星は1か月の内に磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮をめぐり、月は宝瓶宮に、昇交点は天秤宮にあります。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html

①土星 ②木星 ③火星 ④金星 ⑤水星の順番は合っているようだ。

>この配列に太陽と月を加えてみよう。次のようになるはずだ。
 ①土星 ②木星 ③火星 ④太陽 ⑤金星 ⑥水星 ⑦月
 ごらんのように、これは各惑星を地球から遠い順に並べた配列と一致する。

これは言っている事がおかしいね。地球と月の距離が一番近い事は確かだが、水星より金星の方が近い事は子供でも知っている。要は、④の所に「月」(地球)を入れて、⑦の所に「太陽」を入れれば、「各惑星を太陽から遠い順に並べた配列と一致する」と言いたいのだろう。ところで、ノストラダムスは1503年~1566年の人物で、コペルニクスは1473年~ 1543年の人物なので、これぐらいの事は知っていたのかもしれない。

「晩年に『天球の回転について』を著し、当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる(ただし、太陽中心説をはじめて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスである)。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9

また、

「107. その年が始まると、かつてアフリカで行われたものよりも大きな迫害がキリスト教会に加えられ、それは1792年まで続くでしょう。その年は人々から時代の刷新と思われることになります。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html

「近世になって、ヨーロッパ人は西岸や南端に寄港地を造っていたが、奥地の方のことは知らなかった。そこでヨーロッパ人は、アフリカを”暗黒大陸”と言っていた。19世紀に入って、ヨーロッパ人のアフリカ探検が盛んになった。」
「玉川児童百科大辞典 世界歴史」より

「暗黒といわれたアフリカ大陸に探検は、はじめは北アフリカに限られ、8世紀のころからアラビア人の冒険家たちが、インド洋岸を南下しはじめたが、せいぜいザンジバルどまりであった。14世紀には、大旅行家のイブン=バターツがサハラ砂漠をこえて、トンブクツーまでいっている。
 1488年に、ポルトガル人バーソロミュー=ジアスが、大西洋岸を航海して、アフリカ南端の喜望峰に達し、ついで1497年に、バスコ=ダ=ガマが、喜望峰をまわってインドにたどりついた。こうして、アフリカの輪郭がしだいに明らかになった。
 18世紀になって、ヨーロッパ人によるアフリカ内部の探検が活発になってきた。そして、1840年以来、イギリス人リビングストンによっておこなわれたアフリカ南部の横断と、そのあとをついだアメリカ人スタンリーの調査によって、アフリカ内部の事情がはじめて明らかになった。」
「玉川児童百科大辞典 世界地理」より

しかし、こんな文章を見つけた。

「アフリカで信者数が一番多いのはキリスト教で、歴史的には、1世紀に北アフリカに、4世紀にスーダンとエチオピアに広まりました。エチオピアではコプト教会を通じてキリスト教が生きのびましたが、他の地域はイスラム教に変わりました。15世紀にヨーロッパによる植民地支配が始まり、それとともにキリスト教が再び広まりました。今日、プロテスタントとカトリックはほぼ半々となっています。イスラム教はアフリカで2番目に信者の多い宗教です。7世紀に北アフリカで布教され、その後、東アフリカ海岸と西アフリカの内陸部に広がり、20世紀になって植民地支配が終わり独立が進むと、さらに残りの地域に拡大しました。」
引用元:https://seseragi-sc.jp/sasage/1604-3.htm

怪しい。こちらの宗教分布図では全然違っている。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/statistics/public_facilities/graph_01.html
アフリカの大半はイスラム教徒とその他である。こんな事は常識だろう。因みに、上の文章は「霊性センターせせらぎ」という所のものらしい。(普通に「アフリカ キリスト教 歴史」などで検索すると上のものが一番上に出るので間違って洗脳される者も出て来るだろう。)

とにかく、ノストラダムスが「アンリ二世への手紙」を書いたのは1558年頃で「かつてアフリカで行われたキリスト教会への迫害」などなかった可能性が高い。つまり、ノストラダムスは当時の人なら誰でも分かるような嘘も入れて話をしているのである。

「39.陛下よ、私はこのように語ることによって予言を混乱させています。ここに述べるような出来事がいつ起こるか、その時をいちいち明記したなら不都合も生じましょう。これは天文学的手段その他、けっして誤ることなき聖書の記述にまで基づくものですから、各四行詩において時を明記しようと思えばそれも可能です。しかし多くの人はそれを快く思わないでしょうから、陛下が私に全き権限を授けて下さるまでは、中傷者たちの攻撃を避けるためにも解釈さえもしようとは思わないのです。」
引用元:https://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Epistre.htm

そこで、自分で訳してみると、

& commençant icelle annee sera faicte plus grande persecution à l'eglise Chrestienne que n'a esté faicte en Afrique, & durera ceste icy iusques l'an mil sept cens nonante deux que l'on cuydera estre vne renouation de siecle:
この年の初めには、かつてアフリカで成された以上に大規模なキリスト教会に対する迫害があり、1792年まで続きますが、その時、時代を一新するようなことが起こるはずです。
引用元:https://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Epistre.htm(42)

「(始まりが続くだろうと理解されているだろう。)そして始まりのその年は、アフリカで創られなかったキリスト教の教団に、より大きな迫害がなされるだろう。そしてそれはここで、時代の革新があるとその人々がキュイデーするだろう1792年まで続くだろう」

訳の解説
「commençant」(初めの、始まりの、初期の、初心者、初学者)「icelle」(古語辞典にあり、「cette,celle-ci,elle」と同一視して良いが、今回は文章形態から「cette」(この、その、あの)を選択。)「faicte」(古語の法則で「c」を抜いて考えると、「faite」。これは「faire」の過去分詞の女性形。因みに、古語辞典の「fait」の項に「faicts」の文字が見られるのでまず間違いない。)「sera」は、「être」(英語で言う所のBE動詞)の三人称単数の未来形。よって、「sera faicte」で受動態で英語で言う所の「will be make(do)」。因みに、「annee」(年)の現代語は「année」だが、1606年の辞書でも「année」。また、「persecution」(迫害)の現代語は「persécution」。「eglise」(教会)の現代語は「église」。「chrestienne」(キリスト教の)の現代語は「chrétienne」。「que」は、関係代名詞(ここは、関係代名詞ではなく「plus~que」(英語で言う所の「more~than」という人もいると思うが、「ne」を無視出来ない)。「n'a」は、「ne a」の短縮形で「ne」は否定。「a」は、「avoir」の三人称単数の現在形で英語で言う所の「have」。「esté」は、「été (「être」の過去分詞)」の古い形。「faicte」は、先程も述べたように「faire」の過去分詞。よって、「n'a esté faicte」で英語で言う所の受動態の現在完了形(フランス語では複合過去と言う)で「haven't been made(done)」。「affrique」(アフリカ)の現代語は「afrique」。「durera」は、「durer」(続く)の三人称単数の未来形。「ceste」は、古語辞典にあり「ce(これ、それ),cette(この、その、あの)」と同一視して良い(「ceste」は「cest」の女性形)。「cuidera」は、「cuider」の三人称単数の未来形で「cuider」は古語辞典に「croire,penser,s'imaginer」(信じる、思う、考える、想像する)とある。「estre」は「être」の古い形。不定法(英語で言う所のto+不定詞)で「あること」とする。「renovation」(革新)の現代語は「rénovation」。「siecle」(時代)の現代語は「siécle」。「l'an mil sept cens nonante deux」(1792年)(「cens」は、古い辞書の横断検索のグーグルの自動翻訳で「100」と出るが、古語辞典では「Redevance que le possersseur d'une terre payait à son seigneur」(土地の所有者がその領主に支払った納付金)しかないので、「cent」の言葉遊びらしい。)

アフリカにもキリスト教会はあるので、真のキリスト教会(復活する原始キリスト教)はアフリカでは活動しないのかもしれない。

補足
「しかし、世界中のノストラダムス研究家の研究に精通している五島勉氏の訳の、
「やがてフランスには、かつてアフリカで起こったよりも大きな迫害が、キリスト教に対して起こるでありましょう。それはそれだけにとどまらず、その世紀を引っくり返す大改革に発展するものと思われます。それは1792年まで続く大乱となっていくのです」という解釈には大きな意味があると思います。つまり、1700年代のノストラダムス研究家達もこのように解釈していたと思われます。何が言いたいのかと言えば、フリーメーソン(特に1776年に設立されたイルミナティ)によって、この予言が成就させられた可能性があるということです。
参考までに、
「事実、革命指導者たちのラファエットやオレルアン(ルイ十四世の弟)はフリーメーソンだった。それはダランベールやヴォルテールのような急進的な哲学者がやはりそうであったように。革命的なジャコバンクラブの祖クラブブレトンはフリーメーソン達が創ったものだった。革命的ジャーナル誌の版元セルクル・ソシアルはヴァイスハウプトの影響を受けていた。その創設者ニコラス・ボネヴィルはフリーメーソンだった。フランス革命の原因を検証する歴史家達の共通の見方によれば、フリーメーソン団員達は革命で活動的な役割を果たした」
とあるので、丸っきりナンセンスな意見という訳ではありません。そこで、フリーメーソンによってフランス革命自体が引き起こされたとは考えませんが、1792年をフランス革命のピークの年にする事は可能だったと思われます。
よって、「アンリ二世への手紙」の中のこのフランス革命を述べたと言われている予言は、フリーメーソンによって成就させられたと考えます。すると1999年7月の予言も成就させられてしまう可能性があるのではないか(「神の計画」実行の為に)。残念ながらそれは誰にも否定できないと思います。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10364616010.html

「別のもの」でも現れたのかな?https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11932834832.html
麻原彰晃のサリンばらまき計画(11月戦争)も「別のもの」にやられちまったのか?笑

おまけ