参考資料1 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読



11年前に書いた参考資料


1999年7月、人類は滅亡するのか。それとも何も起こらないのか。そこの所をはっきりさせたいと思います。そこで、ノストラダムスの大予言で、年号を的中させた例として「フランス革命」がよく挙げられますので、それを考察して、1999年7月がどうなるのかを推定してみたいと思います。そこでまず五島勉氏の訳から、


「やがてフランスには、かつてアフリカで起こったよりも大きな迫害が、キリスト教に対して起こるでありましょう。それはそれだけにとどまらず、その世紀を引っくり返す大改革に発展するものと思われます。それは1792年まで続く大乱となっていくのです」


とあり、さらに解説を抜き書きすると、


「1792年とは、ルイ十六世とマリー・アントワネットが逮捕された年、パリに人民政府ができた年、国中のキリスト教会や神父たちが殺されたり追放された年、つまりフランス革命がピークにのぼりつめた年だった」


とあり、ずばり的中させているように思われますが、参考までに他の人の訳を抜き書きしてみます。まず川尻徹氏訳から、


「この年の初めには、かつてアフリカで成された以上に大規模なキリスト教会に対する迫害があり、1792年まで続きますが、その時、時代を一新するようなことが起こるはずです」


次に大乗和子氏の訳から、


「ある年の初めに、かつてアフリカで行われた以上のキリスト教に対する大迫害があります。それは1792年で、その時誰もが時の改革について考えるようになるでありましょう」


とあります。フランス革命の始まりの日とは、1789年の7月14日の「バスチーユ牢獄の襲撃」とされていて、その後1794,5年位までを言うようです。そして確かに1792年は、内容的に言って、そのピークの年のようです。よって一見、フランス革命を的中させたように思われますが、断定するその前に、3人の訳に共通な「かつてアフリカで起こったキリスト教の迫害」について考察してみようと思います。そこで、


「近世になって、ヨーロッパ人は西岸や南端に寄港地を造っていたが、奥地の方のことは知らなかった。そこでヨーロッパ人は、アフリカを”暗黒大陸”と言っていた。十九世紀に入って、ヨーロッパ人のアフリカ探検が盛んになった」


とあるので、1792年以前にアフリカでキリスト教が迫害されることはあり得ません。(キリスト教自体が存在していなかったから。)そこで、自分で可能な限度で、訳し直してみると、


「(始まりが続くだろうと理解されているだろう。)そして始まりのその年は、アフリカで創られなかったキリスト教の教団に、より大きな迫害がなされるだろう。そしてそれはここで、時代の革新があるとその人々がキュイデーするだろう1792年まで続くだろう」


となり、どうもフランス革命の事ではないように思われます。またノストラダムスの詩の年号には、カムフラージュが施されているものがあります(例えば、6巻2番の詩には、580年とか703年という1500年代のノストラダムスが予言しないはずの年号が書かれている)ので、この場合の1792年はさらに未来のある年と考えた方が辻褄が合うと思います。しかし、世界中のノストラダムス研究家の研究に精通している五島勉氏の訳の、


「やがてフランスには、かつてアフリカで起こったよりも大きな迫害が、キリスト教に対して起こるでありましょう。それはそれだけにとどまらず、その世紀を引っくり返す大改革に発展するものと思われます。それは1792年まで続く大乱となっていくのです」


という解釈には大きな意味があると思います。つまり、1700年代のノストラダムス研究家達もこのように解釈していたと思われます。何が言いたいのかと言えば、フリーメーソン(特に1776年に設立されたイルミナティ)によって、この予言が成就させられた可能性があるということです。参考までに、


「事実、革命指導者たちのラファエットやオレルアン(ルイ十四世の弟)はフリーメーソンだった。それはダランベールやヴォルテールのような急進的な哲学者がやはりそうであったように。革命的なジャコバンクラブの祖クラブブレトンはフリーメーソン達が創ったものだった。革命的ジャーナル誌の版元セルクル・ソシアルはヴァイスハウプトの影響を受けていた。その創設者ニコラス・ボネヴィルはフリーメーソンだった。フランス革命の原因を検証する歴史家達の共通の見方によれば、フリーメーソン団員達は革命で活動的な役割を果たした」


とあるので、丸っきりナンセンスな意見という訳ではありません。そこで、フリーメーソンによってフランス革命自体が引き起こされたとは考えませんが、1792年をフランス革命のピークの年にする事は可能だったと思われます。よって、「アンリ二世への手紙」の中のこのフランス革命を述べたと言われている予言は、フリーメーソンによって成就させられたと考えます。すると1999年7月の予言も成就させられてしまう可能性があるのではないか(「神の計画」実行の為に)。残念ながらそれは誰にも否定できないと思います。そしてノストラダムスの言葉によると、


「わたくし共の遠い子孫たち――未来の人類のほとんど全ては、恐らくこのミレネールが終わる頃・・・・左様、1999年頃に、ある恐ろしい原因で急に滅んでしまうのですから。その時、この世の生き地獄のような惨禍が襲って参ります」(?)


だそうです。


補足
「et commençant icelle annee sera faicte plus grande persecution à l'Eglise Chrestienne,que n'a esté
faicte en Affrique,et durera ceste ici jusques à l'an mil sept cens nonante deux que l'on cuidera estre une renovation du siecle:」

                                         (ラメジャラー本の原文)            

「そしてその年の初めに、アフリカで創られなかったキリスト教の教会に、より大きな迫害がなされるだろう。そしてそれはここで、時代の革新があるとその人々が考えるだろう1792年まで続くだろう」

訳の解説

「commençant」(初めの、始まりの、初期の、初心者、初学者)「icelle」(古語辞典にあり、「cette,celle-ci,elle」と同一視して良いが、今回は文章形態から「cette」(この、その、あの)を選択。)「faicte」(古語の法則で「c」を抜いて考えると、「faite」。これは「faire」の過去分詞の女性形。因みに、古語辞典の「fait」の項に「faicts」の文字が見られるのでまず間違いない。)「sera」は、「être」(英語で言う所のBE動詞)の三人称単数の未来形。よって、「sera faicte」で受動態で英語で言う所の「will be make(do)」。因みに、「annee」(年)の現代語は「année」だが、1606年の辞書でも「année」。また、「persecution」(迫害)の現代語は「persécution」。「eglise」(教会)の現代語は「église」。「chrestienne」(キリスト教の)の現代語は「chrétienne」。「que」は、関係代名詞(ここは、関係代名詞ではなく「plus~que」(英語で言う所の「more~than」という人もいると思うが、「ne」を無視出来ない)。「n'a」は、「ne a」の短縮形で「ne」は否定。「a」は、「avoir」の三人称単数の現在形で英語で言う所の「have」。「esté」は、「été (「être」の過去分詞)」の古い形。「faicte」は、先程も述べたように「faire」の過去分詞。よって、「n'a esté faicte」で英語で言う所の受動態の現在完了形(フランス語では複合過去と言う)で「haven't been made(done)」。「affrique」(アフリカ)の現代語は「afrique」。「durera」は、「durer」(続く)の三人称単数の未来形。「ceste」は、古語辞典にあり「ce(これ、それ),cette(この、その、あの)」と同一視して良い(「ceste」は「cest」の女性形)。「cuidera」は、「cuider」の三人称単数の未来形で「cuider」は古語辞典に「croire,penser,s'imaginer」(信じる、思う、考える、想像する)とある。「estre」は「être」の古い形。不定法(英語で言う所のto+不定詞)で「あること」とする。「renovation」(革新)の現代語は「rénovation」。「siecle」(時代)の現代語は「siécle」。「l'an mil sept cens nonante deux」(1792年)(「cens」は、古い辞書の横断検索のグーグルの自動翻訳で「100」と出るが、古語辞典では「Redevance que le possersseur d'une terre payait à son seigneur」(土地の所有者がその領主に支払った納付金)しかないので、「cent」の言葉遊びらしい。)


感想

「1792年」は1章48番の詩の「7000年」と同じ意味と考えられる。また、ここで述べられている「キリスト教会」は従来のキリスト教会とは「別のもの」と思われる。何故なら、新約聖書「マタイによる福音書」第7章13節に「狭い門から入れ。」とあり、現在のキリスト教の入り口は巨大だからである。

参考資料
http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/epistre/epistre.html (107を参照)