参考資料3147 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

セザール出現の目的はなにか?
「このように各サイクルで地球にふりかかる大災害は、四大元素、すなわち火・水・風・地という順につづく。ノアの大洪水以前のこの年譜の数値データはたくさんあるが、天文学的問題は依然として理解されずに謎のままである。
 ノストラダムスの予言によれば、われわれ人類の”最後の日”つまり滅亡の日までに、それまでの謎はすべて解明され、予言が告げる恐ろしい試練に対する準備ができるようになるという。彼はさらに、21世紀に自分の遺産を受け継ぐことになる人物の出現をも予言したのである。その人物は、予言書に隠された暗号メッセージを確実に解読、説明するようになるだろうともいっている。
 ノストラダムスがセザールと呼ぶその人物は、どんなことをわれわれ人類にしてくれるのだろうか。そしてその人物はどのような活動をするのだろうか。それについては第五章でくわしく述べるつもりである。しかし、この人物が世界を支配し、地球に物質的幸福をもたらすために現われるとは、もはや考えられない。人口の爆発的増加や水・空気の汚染にブレーキをかけて、自然資源が無尽蔵だと信じている愚か者たちのムダ使いによる資源払底を防ぐなどということが、たったひとりの救世主の力で可能になるとはとうてい思えない。
 この救世主にふさわしい行為、それはただ、いくつかの人間グループを大災害から救うことだけであろう。彼の出現が、この黙示録のようなメッセージのなかで予言されているのもそのためなのである。
 いろいろなことがわかってきた。遺言書と遺言書添え書きが『諸世紀』と密接な関係にあること。その『諸世紀』が、じつは、ノストラダムスの膨大な天文学的知識を用いて書かれていること。その裏には滅亡の日を迎える21世紀の人類へ宛てたメッセージが隠されていること。そしてセザールという名前の人物が現われ、人類のために『諸世紀』のすべてを解読し、説明してくれるだろうということ、などなどである。
 これらのことが判明したいま、もういちど『諸世紀』の序文として書かれた”わが息子セザールへ―――生命そしてよろこび”という手紙を読んでみるのも興味深いことだと思う。そこに隠された謎が少しずつ解けてくるはずである。
 ノストラダムスは序文の書き出しで次のようにいっている。

 わが息子セザール・ノストラダムスよ、おまえのおくればせながらのこの世への出現は、わたしにとって肉体の滅び去ったのちもおまえに覚え書きを残すという目的でペンを取る気にさせてくれた。それはまた<崇高な本質の未来>がわたしに、天文学的な啓示という方法で知らせてくれたものでもある。だからこの覚え書きをおまえに献げるということは、人類の利益とも共通するものなのである。

 まず最初の行にある「おまえのおくればせながらのこの世への出現」という表現だが、これは救世主セザールの遅い出現を意味している。つまり1999年の滅亡が始まる年の前後に、セザールがこの世に誕生すると予言しているのだ。だから当然、滅亡の始まる年にはまだセザールは幼い子供であり、そのことが世界の人びとに「遅い誕生」と思わせるのである。しかし人類と地球が迎える”最後の日”には充分にまにあうことをノストラダムスは確信している。そのときセザールが何歳になっているかは、第五章のなかでくわしく述べたい。
 この滅亡の始まる年の前後に「おくればせながら」誕生してくるセザールに、ノストラダムスは「神の啓示を集めた覚え書き」を遺すことにした。そしてこの覚え書きは、セザールへ贈るものであると同時に、その時代に生きる人びとの「利益と共通するもの」になるだろうと予言しているのである。
 これは『諸世紀』に秘められた謎を解き明かすことが、人類を救う唯一の方法であることを暗示している。その中心的人物がセザールなのだ。
 そのセザールの生い立ちについてノストラダムスは次のように述べている。

 おまえはひとりで、火星(マルス)の目じるし(サイン)の下を、子供時代の第一期を回転するのだ

 彼が「子供時代の第一期」を「火星(マルス)の目じるし(サイン)の下」で回転するとは、セザールは幼年時代に火星つまり牡羊座のもつ特徴を強く受けてすごすだろうという予言である。牡羊座の特徴は、積極的でかつ進歩的、パイオニア精神が旺盛な行動派で、正義感の持ち主、冒険心も人一倍というのである。少年セザールはこういった性格を、子供時代に身につけることになるのであろう。
 したがってセザールは「火星(マルス)」の強い影響のもとで育つ人物で、火星を守護星とする牡羊座が彼のホロスコープ(出生天宮図)上で重要な役割を果たしているということができる。これはいみじくもノストラダムスの予言したことと符合している。彼は『諸世紀』10巻の72番目の有名な詩の最後の行で、

 その前後に、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう

 と予言している。マルスとは火星のことで、セザール自身のことを示している。つまり1999年の前後に、牡羊座=火星の特徴をもったセザールが頭角を現わすことを意味している。しかし、これは救世主としての活動の第一歩を踏みだすだけの意味で、この年に人類を救う大事業を行なう意味ではない。あくまでも活動の始まりなのである。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
>この救世主にふさわしい行為、それはただ、いくつかの人間グループを大災害から救うことだけであろう。彼の出現が、この黙示録のようなメッセージのなかで予言されているのもそのためなのである。

それは間違いだろう。イエスの時代にイエスに前もって現れた「洗礼者ヨハネ」と同じ役目だろう。つまり、「最期の審判」の準備のために二極分化である。(念のため、当時は「終わりの時」だと信じられていた。)

「18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。」
「ヨハネの第一の手紙」第2章18節~19節(口語訳)

「02:18子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。 02:19彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。」
「ヨハネの第一の手紙」第2章18節~19節(新共同訳)

>そしてセザールという名前の人物が現われ、人類のために『諸世紀』のすべてを解読し、説明してくれるだろうということ、などなどである。

これがどこに書かれているかは知らないが(多分、こじつけ)、1巻48番の詩を従来の解読者の勝手な校訂をしないで読めば、そういう人物が出現する事は述べられている。

1巻48番の詩
月の君臨の20年が過ぎ去った
七千年、別の者がその王政を保つだろう
太陽がうんざりさせられる日々を受け入れる(理解する)だろう時
その時(彼は)私の予言を実現させ終わらせる。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12781914265.html

「4行目 accomplir & mine についても、そのままでは少々不自然なため、ブランダムールはs’accomplir & miner とし、エヴリット・ブライラーはaccompli termine と校訂している。ブランダムールの読みの方が自然だろう。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/446.html

つまり、「予言を実現させる」人物が現われるなんておかしいから、勝手に「se」を付けて代名動詞として「実現する」と訳しているのである。しかし、こんな文章もある。

「「義の教師」こそが聖なる預言を成就させる」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11248447742.html

だから、私のように訳すのが正しいのである。

「杖(立法者)とは律法の探究者である。背神の時代のあいだ・・・・時の終わりに義の教師が到来するまで、彼らが終始その道を歩むよう、立法者は掟を公布した。その掟をたよりに井戸を掘るために来る者が、民のうちの貴人である。」(『ダマスコ文書』写本A第6章7-11節)
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11115651590.html

そして、「義の教師」は「終わりの時」に現れるのである。(「井戸を掘る」のが二極分化という事か。井戸水が選民。)

>まず最初の行にある「おまえのおくればせながらのこの世への出現」という表現だが、これは救世主セザールの遅い出現を意味している。

シンクロニシティーとしては、1999年から四半世紀も経った現代頃に現れるという事か。念のため、四半世紀には何の意味もない。

人類の滅亡は2032年か?
「マラキの最後の予言をめぐり、これまで多くの人がいろいろな方法を使って、「恐ろしい審判が人びとにくだる・・・・」日がいつであるかをさぐりだそうとしてきた。多くの予言によれば、人類に最後の審判がくだり、世の終わりが到来するのは西暦2000年ころだという。
 マラキのいう「恐ろしい審判が人びとにくだる・・・・」のは、はたしていつなのか、そのカギを握る中心的存在が『法王の予言』のなかにみごとに配置されているのである。
 まず、マラキの予言第73番『徴の中軸』を見ていただきたい。これに相当する法王はシクストゥス5世で、即位したのは1585年、没したのは1590年である。
 また、マラキの予言はケレスティヌス2世(1143~1144)から始まっている。
 シクストゥス5世『徴の中軸』がひとつのカギとなっていて、『中軸』を「中心」「まんなか」と解釈すると、ケレスティヌス2世が即位した1143年から、シクストゥス5世が即位した1585年までを計算すると、1585-1143=442となり、この442をシクストゥス5世が死んだ年1590年にたすと、つぎのようになる。
 1590+442=2032
 したがって、ローマ法王座が終わりを告げ、最後の審判がくだるのは西暦2032年ということになる。」
「聖マラキ 悪魔の予言書」ダニエル・レジュ著・佐藤智樹訳(1982年)

補足:https://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_154.html

おまけ