参考資料3144 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

もうひとりのセザールに宛てた遺書
「さて、そこでひとつの疑問がわいてくる。それは、これだけ偉大な予言者が、自分の家族、とりわけ『諸世紀』の序文を捧げた息子セザールの行末を占えなかったのだろうか? 期待を寄せた息子の凋落ぶりを予知できなかったのだろうか? という疑問である。わたしにはそうは思えない。自分の死の日付まで予知できていたほどの人物に、自分の息子の運命が予知できないはずはない。彼はすべてを知っていたのだ。すべてを知っていたうえで、なおかつ序文の手紙の宛て先を”セザール”に選んだのである。
 では、なぜあえて不肖の息子の名前を用いて書いたのか。それは序文の宛て名”息子セザール”とは、わずか15ヵ月(当時)にも満たない実際の赤ん坊のことではなく、後世にこの『諸世紀』にとってなくてはならない人物を”息子セザール”と呼んでメッセージを伝えようとしたと考えるのが自然であろう。

財宝によって、父の遺産はみつかる

 これは1566年4月の『占星暦(アルマナック)』の献辞に、ノストラダムス自身が書いたものである。この文章こそ、子供たちへ分け与えたわずかな金貨が彼のほんとうの遺産ではなく、彼が真に遺したかった遺産は『諸世紀』であったことを物語っていることにほかならない。「財宝」とはもちろん、金貨の分配率を示した遺言書と遺言書添え書きのことである。そしてそれは、自分の息子セザールに宛てたのではなく、もうひとりの”セザール”に宛てて書かれたことを証明している。
 ノストラダムスの予言を待たなくとも、現在の地球上に起きているさまざまなできごとを見れば、遠からず滅亡の日がやってくることを想像するのはむずかしくない。滅亡の日はすぐそこまで来ているのだ。その日人類は・・・。
 しかし、ノストラダムスはけっして”セザール”が人類を救ってくれるとは予言していない。彼はセザールの”出現”だけを予言しているのである。「彼は大いなる光明をもたらし、この時、全き満足が与えられるだろう」と。そのときセザールはわれわれ人類にいったいなにをしてくれるのだろう?」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
>これは1566年4月の『占星暦(アルマナック)』の献辞に、ノストラダムス自身が書いたものである。

「献辞」は、月ごとには付けないような気がするが。どういう事かというと、

「まず、守護聖人などが書かれたカレンダーが掲載されており、各月の冒頭には予兆詩が掲げられている。
 そのあと、扉と全く同じ中扉を挟んで、移動祝日の一覧などと1566年全般向けの予兆詩が収録されている。
 続いて「タンド伯オノラ・ド・サヴォワ閣下」(Monseigneur Messire Honorat de Sauoye Comte de Tande)にあてた献辞が収録されているが、手書きのような独特の書体で綴られている。
 次に各日ごとの簡潔な予言が記されたカレンダーが掲載され、そこでも各月の冒頭には予兆詩が収録されている。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1161.html

これは1566年(全体)の暦書(アルマナック)であるが、「献辞」は月ごとではないだろう。

献辞
「ほとんどの「暦書」類において、ノストラダムスは有力者や著名人への献辞を収録した。この点は、弟ジャン・ド・ノートルダムへの献辞を添えた『化粧品とジャム論』、生まれたばかりの息子セザール・ド・ノートルダムに宛てた序文を添えた『予言集』初版などとは異なっている。
 献辞を捧げた相手には、フランス王アンリ2世、同シャルル9世(未作成)、カトリーヌ・ド・メディシス、ナヴァル国王アントワーヌ・ド・ブルボン、ローマ教皇ピウス4世、文人ジャン・ド・ヴォゼル、サヴォワ公妃マルグリット・ド・フランスなどがいた。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/149.html

どう考えても、献辞は月ごとではないだろう。因みに、1566年4月の予兆詩はこちら。https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1182.html

>しかし、ノストラダムスはけっして”セザール”が人類を救ってくれるとは予言していない。彼はセザールの”出現”だけを予言しているのである。「彼は大いなる光明をもたらし、この時、全き満足が与えられるだろう」と。そのときセザールはわれわれ人類にいったいなにをしてくれるのだろう?

簡単な話である。自分の暗号化した予言の解読だろう。(ノストラダムスがわざと文法的におかしくしたり、造語を使っている事は明らか。)

「フランス語で書いてある彼の詩を、フランス人の学者が「解読」できないのであるから、日本で理解されるわけがない。」
「【真説】ノストラダムスの大予言」加治木義博著

それは彼の詩からも分かる。

1巻48番の詩
月の君臨の20年が過ぎ去った
七千年、別の者がその王政を保つだろう
太陽がうんざりさせられる日々を受け入れる(理解する)だろう時
その時(彼は)私の予言を実現させ終わらせる。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12781914265.html

昨日の記事の2032年の20年前は2012年だが、こちらのサイトの考察では2037年までの可能性もあるようだ。2037年の20年前は2017年。
ところで、私が聖書に関心を持ったのは2013年8月で実際に聖書を読み始めたのは2016年6月である。
念のため、だからどうしたという話である。(ただ、「滅亡の日」は1989年頃から家にあったが全く読んでいなく、聖書は「イエスの再臨」が槍で刺された時の格好で空中再臨すると聞いていた(オカルト雑誌の見出し)ので、全く興味がなく読んだ事もなかった。)
因みに、ノストラダムスの大予言は中2ぐらいの時に電車の中刷り広告で「1999年7月、人類は滅亡する」というような文章を読み、バカバカしい、どうせなら1999年9月にすればいいのにと思った記憶がある。(その後、高1でオカルトにはまる。)

「7.そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
8.このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。
9.ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
10.だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」
「コリント人への第二の手紙」第12章7節~10節(口語訳)

「12:07また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。 12:08この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。 12:09すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 12:10それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」
「コリント人への第二の手紙」第12章7節~10節(新共同訳)

パウロには同情するよ。イエスに選ばれてしまったばっかりに地獄の苦労だと思うよ。
また、神に選ばれても選ばれし者のままでいる事は非常に難しいと思われる。

「24 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。
25 どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。
26 サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。」
「サムエル記上」第15章24節~26節(口語訳)

「15:24サウルはサムエルに言った。「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。 15:25どうぞ今、わたしの罪を赦し、わたしと一緒に帰ってください。わたしは、主を礼拝します。」 15:26サムエルはサウルに言った。「あなたと一緒に帰ることはできない。あなたが主の言葉を退けたから、主はあなたをイスラエルの王位から退けられたのだ。」 」
「サムエル記上」第15章24節~26節(新共同訳)

「民を恐れて」とあるが、現代で言えば民主主義的な事を優先しただけである。いわゆる独裁をしなかっただけである。しかし、神の目から見れば傲慢極まりないという事である。(神の命令に従わなかった訳であるから。)
因みに、その後、代わりにダビデが選ばれるという訳である。(サムエルはダビデを殺そうと執拗に狙うが最後は自分が死んでしまう。神に捨てられて精神病みたいになっていたようである。麻原彰晃みたいである。)

>財宝によって、父の遺産はみつかる

契約の使者によってノストラダムスの遺産(真の意味)が見つかるという事か、または、選民によって天の父の遺産(契約の使者)が見つかるという意味だろう。

「16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」
「ヨハネによる福音書」第14章16節~17節(口語訳)

「14:16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」
「ヨハネによる福音書」第14章16節~17節(新共同訳)

おまけ