参考資料3143 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

セザールとはいったい何者なのか?
「ノストラダムスは『諸世紀』の9巻32番の予言詩のなかで、自分の遺産は墓石の下にあると書いている。さらに、その遺産は「発見される」だろうと予言している。つまり現在こうして遺言書と『諸世紀』の謎のつながりを解読しようという行為がそれなのである。またこのことは、予言詩8巻56のなかにも「文書は墓のなかで発見されるだろう」とくりかえされていることからもたしかめられる。墓と文書、まさにこれこそ遺言書がすべての予言詩の謎を解く”鍵”であることの証明にほかならない。
 また予言詩8巻66では「D・Mという書が見出されるとき」という表現がある。DOM(至高善なる神に)は墓碑銘の初めに使われる決まり文句で、DMとちぢめて書くこともある。これは遺言書がただの遺言書ではなく、至高善なる神の書であることを明言しているのだ。
 これらのことからも、遺言書にどれだけの”価値”があるかわかるだろう。
 さて次にこの遺言書類と『諸世紀』の結びつきに疑問を抱かれている読者のために、たとえばこの遺言書がごくふつうの遺産分配のための遺言書だったらと仮定してみるとどうなるか考えてみたい。
 稀代の予言者ミッシェル・ド・ノストラダムスの生涯と彼の死後、家族がたどった運命のくわしい物語は、世の常のとおり、人間の身体や思い出までも風化させてしまう時間という流れのなかに埋没してしまった。しかし記録書類の風化はそれほど急速には進まなかった。記録の伝えるところでは、ノストラダムスの子供たちは売り食い生活をつづけて、金貨もしだいに減っていき、家も人手に渡ってしまった。子宝にも恵まれず、最後にセザールが死ぬと後継ぎも絶えてしまった。セザールの書簡と遺言によれば、彼は1630年、貧困のうちに76歳の生涯を閉じている。
 ノストラダムスの死後わずか64年にして、彼が営々と築き上げたものはすべて無残にも崩れ去ってしまったのである。後世に残ったものは、結局、1,080篇の予言詩だけになってしまった。しかし、これこそほんとうのノストラダムスの遺産なのである。そしてそれは四世紀半もの時間の流れを生きぬいて、現在でも遺言書類とともに解読されるのを待っている。風化はこの範囲にはおよばなかったのだ。なぜか? ノストラダムスの知恵が時間の流れに勝ったからである。彼は500年後の世界を先見し、その時間の長さに耐えられるだけの”方法”で予言詩や遺言書を書いたのだ。それも秘密の暗号法を用いて。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
>ノストラダムスは『諸世紀』の9巻32番の予言詩のなかで、自分の遺産は墓石の下にあると書いている。

9巻32番の詩を挙げてみよう。

詩百篇第9巻32番
深くから良質の斑岩の柱が発見される
土台の下にカピトリウムの碑文が。
ローマの力は歪んだ毛に示される。
艦隊はミティリーニの港で煽り立てる。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/37.html

良質の斑岩の円柱が発見される
基底部にカピトルの銘刻あり
骨 ねじれた髪 残されたローマ人の力
ミティリーニの港にて艦隊が動揺す
(山根和郎 訳)
引用元:https://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Centurie_09.htm

こじつけも甚だしいね。因みに、「カピトリウム」や「カピトル」と訳されている原語は「capitolin」で古い辞書の横断検索では、「Fastes capitolins, Tables de marbre qui furent trouvées à Rome en 1547, et qui contenaient la suite des consuls, depuis l' an 250 de Rome jusqu' à l' an 765.」とあり、これを自動翻訳すると、

「1547年にローマで発見された大理石のテーブルで、ローマ250年から765年までの領事の従者が記されている。」
引用元:https://www.deepl.com/ja/translator#fr/ja/Fastes%20capitolins%2C%20Tables%20de%20marbre%20qui%20furent%20trouv%C3%A9es%20%C3%A0%20Rome%20en%201547%2C%20et%20qui%20contenaient%20la%20suite%20des%20consuls%2C%20depuis%20l'%20an%20250%20de%20Rome%20jusqu'%20%C3%A0%20l'%20an%20765.

因みに、「テーブル」と訳されている所の原語は「Tables」で「表,一覧表,目録,書板,銘板」の意味もある。これなら後の「記されている」に合うだろう。
また、「カピトリウム」で検索すると「カンピドリオ」が出て、

「カンピドリオ (Campidoglio) は、ローマの七丘の一つである。カピトリーノ (Capitolino) ともいい、古代ローマ時代にはラテン語でカピトリヌス (Capitolinus) と呼ばれた。
 この丘は、ローマの七丘でも最も高い丘で、ローマ神の最高神であったユーピテルやユーノーの神殿(ユピテル・オプティムス・マキシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿)があり、ローマの中心であり、現在もローマ市庁舎が位置する。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AA

とある。スペルが「Capitolin」と合うので、この意味もあるだろう。そう考えると、「ユーピテル」(フランス語では「Jupiter」)が先の古い辞書の横断検索の「capitolin」の項に窺えるのも自然である。
ところで、私はこんなものを連想した。

ローマの人ペテロとはなにものか?
「『オリーブの栄光』のあとを継ぐのは「ローマの人ペテロ」である。

 ローマ聖庁が最後の迫害を受けるあいだ、ローマの人ペテロが法王の座につく。ローマの人ペテロは多くの苦難のさなか、子羊を司牧する。苦難が去ると、七つの丘の町は崩壊し、恐るべき最後の審判が人びとにくだされる―――。          終わり

 これがマラキの予言第112番の全文である。」
「聖マラキ 悪魔の予言書」ダニエル・レジュ著・佐藤智樹訳(1982年)より

「マラキ」つながりで「マラキ書」の一節を挙げよう。

「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
「マラキ書」第3章1節(口語訳)

「1見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。」
「マラキ書」第3章1節(新共同訳)

「ローマの人ペテロ」は「契約の使者」なのだろう。

人類の滅亡は2032年か?
「マラキの最後の予言をめぐり、これまで多くの人がいろいろな方法を使って、「恐ろしい審判が人びとにくだる・・・・」日がいつであるかをさぐりだそうとしてきた。多くの予言によれば、人類に最後の審判がくだり、世の終わりが到来するのは西暦2000年ころだという。
 マラキのいう「恐ろしい審判が人びとにくだる・・・・」のは、はたしていつなのか、そのカギを握る中心的存在が『法王の予言』のなかにみごとに配置されているのである。
 まず、マラキの予言第73番『徴の中軸』を見ていただきたい。これに相当する法王はシクストゥス5世で、即位したのは1585年、没したのは1590年である。
 また、マラキの予言はケレスティヌス2世(1143~1144)から始まっている。
 シクストゥス5世『徴の中軸』がひとつのカギとなっていて、『中軸』を「中心」「まんなか」と解釈すると、ケレスティヌス2世が即位した1143年から、シクストゥス5世が即位した1585年までを計算すると、1585-1143=442となり、この442をシクストゥス5世が死んだ年1590年にたすと、つぎのようになる。
 1590+442=2032
 したがって、ローマ法王座が終わりを告げ、最後の審判がくだるのは西暦2032年ということになる。」
「聖マラキ 悪魔の予言書」ダニエル・レジュ著・佐藤智樹訳(1982年)

関係ないけど、グランドクロスは1999年8月18日で私の誕生日は1966年2月17日だった。(当時は考えた事もなかったが。ノアの大洪水の始まった日でもある。)

「そして、彼は、33歳6ヶ月の年齢の時に、磔刑で亡くなっています。」
引用元:http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_154.html

念のため、自分が救世主などと思っている訳ではない。イエスの時代は、皆で聖書預言が実現するように動いていた事は事実であるが。(今回は省略しよう。)

詩百篇第10巻73番
今の時代は過去とともに、
偉大なユピテル主義者に裁かれるだろう。
世界は後に彼に疲弊させられ、
そして教会の法曹家により不誠実とされるだろう。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1124.html

「4 わが神、主はこう仰せられた、「ほふらるべき羊の群れの牧者となれ。
5 これを買う者は、これをほふっても罰せられない。これを売る者は言う、『主はほむべきかな、わたしは富んだ』と。そしてその牧者は、これをあわれまない。
6 わたしは、もはやこの地の住民をあわれまないと、主は言われる。見よ、わたしは人をおのおのその牧者の手に渡し、おのおのその王の手に渡す。彼らは地を荒す。わたしは彼らの手からこれを救い出さない」。
7 わたしは羊の商人のために、ほふらるべき羊の群れの牧者となった。わたしは二本のつえを取り、その一本を恵みと名づけ、一本を結びと名づけて、その羊を牧した。
8 わたしは一か月に牧者三人を滅ぼした。わたしは彼らに、がまんしきれなくなったが、彼らもまた、わたしを忌みきらった。
9 それでわたしは言った、「わたしはあなたがたの牧者とならない。死ぬ者は死に、滅びる者は滅び、残った者はたがいにその肉を食いあうがよい」。
10 わたしは恵みというつえを取って、これを折った。これはわたしがもろもろの民と結んだ契約を、廃するためであった。
11 そしてこれは、その日に廃された。そこで、わたしに目を注いでいた羊の商人らは、これが主の言葉であったことを知った。

「ゼカリヤ書」第11章4節~11節(口語訳)

「11:04わが神なる主はこう言われた。屠るための羊を飼え。
11:05それを買い取る者は、罪を帰せられずにそれを屠り、売るときは、「主はほめたたえられよ。わたしは金持ちになった」と言うが、羊飼いたちはそれを憐れまない。 11:06わたしはこの地の住民を再び憐れみはしない、と主は言われる。見よ、わたしはどの人もその隣人の手とその王の手に任せる。彼らがこの地を打とうとしても、わたしは彼らの手から救いはしない。
11:07わたしは屠るための羊を、羊の商人のために飼った。わたしは二本の杖を手にして、ひとつを「好意」と名付け、もうひとつを「一致」と名付けて羊を飼った。
11:08わたしは一月のうちに三人の羊飼いを退けた。わたしは彼らに我慢できなくなり、彼らもわたしを嫌った。
11:09そして、わたしは言った。「わたしはお前たちを飼わない。死ぬべき者は死ね。消え去るべき者は消え去れ。残った者は互いに肉を食い合うがよい。」
11:10わたしは「好意」というわたしの杖を取って折り、諸国の民すべてと結んだわが契約を無効にした。
11:11その日に、それは無効にされた。わたしを見守ってきた羊の商人たちは、それが主の言葉であることを知った。

「ゼカリヤ書」第11章4節~11節(新共同訳)

おまけ