参考資料3141 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

666×3=セザールの出現?
「では次に、ノストラダムスが『諸世紀』の序文として書いた”息子セザールへの手紙”に隠された謎の解明に挑んでみたい。
 ミッシェル・ド・ノストラダムスの最初の予言の出版は、フランス中南部のリヨンで1555年5月4日に完成された。これは序文と第四巻目が未完成の四つの100詩篇、すなわち353の四行詩から成るものである。
 ノストラダムスがこの序文を書いたのは1555年の3月1日だが、このとき、息子セザールは生後15ヵ月にも満たない赤ん坊だった。この事実はいったいなにを意味するのだろうか? さまざまな解釈がなされているなかで、いちばん信憑性があり、納得のいく解釈は、この序文はノストラダムスの実際の息子セザールに宛てられたものではなく、予言から500年後の滅亡の時代に生きる人びとに宛てられたものだという解釈である。
 つまりノストラダムスは自分の息子の名を借りて、のちの世の人びとに予言と警告を発しようとしたのである。
 ではセザールという名前の男は、ノストラダムスの息子以外に存在しないのだろうか。いや、そんなことはない。セザールという名前の男はいるのだ。しかしそれは1555年当時のことではない。もっとずっとあとのことである。

500年後
時の英雄が現われる
大いなる光明をもたらし
この時、全き満足が与えられるであろう (『諸世紀』Ⅲ94)

 ノストラダムスはそう予言している。この「時の英雄」こそセザールなのである。この予言詩に出てくる「500年後」ということばは、ノストラダムスの生誕から数えるとちょうど西暦2000年前後にあたり、それはまた彼が予言した「土星の支配がふたたび始まろうとする時代」(魚座が終わり、水瓶座が始まる2016年)とピッタリと符合する。そしてまたノストラダムスを一躍有名にした予言詩で、もっとも知られているのが次にあげる予言だが、この詩の年号1999年ともセザールの出現の時期はピッタリと一致している。

1999年、7の月
空から恐ろしい大王がやってくる
アンゴルモアの大王を生き返らせ
その前後に、火星(マルス)は幸福の名のもとに支配するだろう(『諸世紀』Ⅹ72)

 1999年に地球上で滅亡のときが始まるのだ。この1999という数字は、黙示録のなかに出てくる不吉な数字「666」をさかさにしたという解釈がなされているが、実際はこの「666」に例のノストラダムスの遺言書などに出てくる特別の意味のある数字「3」を掛け合わせることによって得た数字なのである。
 しかし666×3=1998になる。あと1年を足さないことには1999年にならない。だがここでノストラダムスはあと1年足すことによって、数字を1999とし、その数字を「3」で割ったときに「666.666・・・」と永遠にこの不吉な数字が並ぶようにして滅亡の終わりのないことを暗示しようと意図したのである。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
>ノストラダムスの生誕から数えるとちょうど西暦2000年前後にあたり、

私も高校3年の時にこれを読み、うっかり信じて込んでしまったのだが、多分五島勉氏など有名な研究者もそうだと思われる。(この詩には全く触れていないからである。)
どういう事かというと、上にもあるように、

「ミッシェル・ド・ノストラダムスの最初の予言の出版は、フランス中南部のリヨンで1555年5月4日に完成された。これは序文と第四巻目が未完成の四つの100詩篇、すなわち353の四行詩から成るものである。」

4巻53番までは1555年5月に出版されたのであり、1555+500=2055年である。また、いつ書いたか分からないだろうという人も、ノストラダムスが生まれたのが1503年という事から1503+500=2003年で1999年を越えているのである。つまり、ノストラダムスは1999年に人類滅亡なんて予言していないという事である。
因みに、これは1997年末にレポートにして雑誌のオピニオンコーナーに送った事がある。

>ノストラダムスがこの序文を書いたのは1555年の3月1日だが、このとき、息子セザールは生後15ヵ月にも満たない赤ん坊だった。この事実はいったいなにを意味するのだろうか? さまざまな解釈がなされているなかで、いちばん信憑性があり、納得のいく解釈は、この序文はノストラダムスの実際の息子セザールに宛てられたものではなく、予言から500年後の滅亡の時代に生きる人びとに宛てられたものだという解釈である。

個人的には、未来に現れる「セザール」を名乗る者への手紙だと解釈している。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12842774003.html

上の「4巻53番までは1555年5月に出版されたのであり」から聖書の「詩篇」の53番を見てみよう。

「1 愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行う者はない。
2 神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。
3 彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行う者はない、ひとりもない。」
「詩篇」第53篇1節~3節(口語訳)

「53:01【指揮者によって。マハラトに合わせて。マスキール。ダビデの詩。】
53:02神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。
53:03神は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
53:04だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」
「詩篇」第53篇1節~3節(新共同訳)

まぁ、そんなもんだろう。だから「義の教師」が現れるのだろう。

>500年後
時の英雄が現われる
大いなる光明をもたらし
この時、全き満足が与えられるであろう (『諸世紀』Ⅲ94)

ノストラダムスはそう予言している。この「時の英雄」こそセザールなのである。

思考が短絡である。何故、出版を2回に分けたのか考えると、同じ序文の「アンリ二世への手紙」の「新たなるアンリ」こそがその人物だろう。

A L'INVICTISSIME, TRES PUISSANT et Tres Chrestien Henry roy de France second Michel Nostradamus son tres-humble, et tres-obeissant serviteur et subiect, victoire et felicité.
最も無敵でとても力強くそしてとても寛容な新たなフランスのアンリ王へ、そのとても取るに足りないそしてとても従順な奉仕者で王国の臣民であるミシェル・ノストラダムス、勝利と至福を。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12783239953.html

Mais tant seulement ie vous requiers,ô Roy tré-clement,par icelle vostre singuliere et prudente humanité,d'entendre plutôt le desir de mon courage,et le souverain estude que i'ay d'obeyr à vostre serenissime Maiesté,depuis que mes yeux furent si proches de vostre splendeur solaire,que la grandeur de mon labeur n'attainct ne requiert.De Salon,ce 27 Iuin,Mil cinq cens cinquante huict.
おお、とても寛大な王よ、しかしただ一つだけ私はあなたに懇願します。あなたの特異で慎重な人間性(古典研究)によって、ある程度私の心からの願望を理解する事です。そして君主は、私があなたの高貴な威厳に従順であるという事、その後私の観察眼(見解)は、傷つかない私の労作の栄華が必要としないあなたの東からの風の栄光にとても近かった(似ていた)という事を研究します。サロンから1558年6月27日
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12783428083.html

>1999年、7の月
空から恐ろしい大王がやってくる
アンゴルモアの大王を生き返らせ
その前後に、火星(マルス)は幸福の名のもとに支配するだろう(『諸世紀』Ⅹ72)

1999年に地球上で滅亡のときが始まるのだ。

相変わらず、思考が短絡である。人類滅亡の警告だったら間違いなく「7月」(juillet)か「7番目の月」(le septièm mois)を使っただろう(「7の月」は「sept mois」)。それに3巻94番の詩から1999年に人類は滅亡しないしね。
そこで、1999年で「終わりの時」を表したとすると、「イエスの再臨」の予言と考えるのが自然だろう。
旧約聖書を読んだ事がある人なら「主」が「恐怖の大王」である事に納得する事だろう。

「3 その時、主は出てきて、いくさの日にみずから戦われる時のように、それらの国びとと戦われる。
4 その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、
5 わが山の谷はふさがれる。裂けた山の谷が、そのかたわらに接触するからである。そして、あなたがたはユダの王ウジヤの世に、地震を避けて逃げたように逃げる。こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる。
6 その日には、寒さも霜もない。
7 そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。
8 その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬もやむことがない。
9 主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。
                      (中略)
12 エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
13 その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める。」
「ゼカリヤ書」第14章3節~9節,12節~13節(口語訳)

まさに「恐怖の大王」である。因みに、「アンゴルモアの大王を生き返らせ」の所は「アンゴルモアの大王が復活する」とも訳せる。また、「Angolmois」を「An」(年)+「gol」(golgothaの略)+「mois」(月)の合成語と解釈すると、「年月に挟まれたゴルゴタの偉大な王」の復活で「イエスの再臨」とぴったりと符合するだろう。

「32 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。
33 そして、ゴルゴダ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、
34 彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。
35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、
36 そこにすわってイエスの番をしていた。
37 そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。」
「マタイによる福音書」第27章32節~37節(口語訳)

>しかし666×3=1998になる。あと1年を足さないことには1999年にならない。だがここでノストラダムスはあと1年足すことによって、数字を1999とし、その数字を「3」で割ったときに「666.666・・・」と永遠にこの不吉な数字が並ぶようにして滅亡の終わりのないことを暗示しようと意図したのである。

しかし、「滅亡の終わりのない」ってどういう事? 生き地獄が続くっていう事かな。
反キリスト側はそうなるのかもしれない。https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/20.htm#0
しかし、キリスト側は千年王国に入るだろう。https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/21.htm#0
ノストラダムスはクリスチャンなので「最後の審判」にしか興味がなかったと思うよ。(予言に関しては。)

おまけ