参考資料3079 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

《すべてのジュネーブから逃げ出せ》 その2
「さらに、これに関連している話がある。
 イスラエル人のカナン征服の後、ネゲブの地はユダ族とシメオン族に割りあてられた。
 そして、イスラエル十二部族の祖、ヤコブが臨終に際して各部族に預言した言葉に次の一節がある。

 シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。(創世記 四九の5~7)

 ヤコブは息子達の子孫を祝福してその未来を予言したのだが、シメオンとレビに対する言葉は祝福ではない。それどころか呪いである。
 聖書の真の作者である天使達は、ジュネーブ→ネゲブ→獣→反キリスト→シメオンとレビ→呪い、と連動させていってこういう言葉を考え出していったのではないだろうか。
 なお、元史の地球脱出の主謀者の雛形であるモーセはレビ族の出身である。
 このように、ジュネーブ、Geneveを、ネゲブNegevのアナグラムと考えると謎はとけてくる。
 反キリストであるネゲブの獣は、反対者を皆殺しにして悪魔帝国を地上に建設する。だから、「逃げよ、逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ」と警告しているのである。
 殺されたくなかったなら、奴隷にされたくないのなら、獣の刻印を押される前に地球から脱出しなければならないからである。
 また、migresを、migrateur(移住する)ととると、この行は「すべてのものを超えてジュネーブから、移住せよ」とも訳せる。獣の支配から逃れたければ、地上のすべてのものを捨てて天使達の本拠地へと移住するしかない。家に物を取りにいってはいけないのである。
 二行めの「黄金のサチュルヌ(サタン)は鉄に変わるだろう」とは、初めは素晴らしいと思われていた反キリスト、サタンの統治も、やがてはメッキがはがれてひどいものになっていく」という意味だろう。
 金は神を、鉄は戦争を象徴する。反キリストは、初めはキリストのふりをして登場するが、支配体制を固めると本性をあらわすのである。
 あるいは、金は錆びない金属であるから永遠の命を象徴し、鉄は錆びて土に還るから朽ち果てていく肉体を象徴しているものと考えられる。サタンの支配の下では永遠の命は得られないのである。このようにこの詩は「悪魔、反キリストの支配する悪魔帝国ができるから、その前に逃げ出せ」というような意味である。
 だが、”逃げろ”といわれても、我々ただの人間一人で宇宙へ逃げるわけにはいかない。天使的宇宙人が迎えにきてくれて、そのUFOに乗せていってもらうしかないのである。
 この詩の四行めは、「その前に大いなる空は前兆を示すだろうけれども」だった。
 この”空”と訳されているCielには、天、星、気候、神などの意味がある。
 天、星、と考えるとその前兆(signes)サインは一九九九年のグランド・クロスだと考えられる。占星術においては、サインとは星座宮をあらわすからだ。
 また、気候を考えると、現在、頻発している異常気象だとも考えられる。
 あるいは、天帝、神を考えると、イエスの「世の終わりには偽キリストや戦争、地震、飢饉が起こり、信者は迫害される」という言葉が思い起こされる。また、いちじくの譬えから、イスラエル建国がその徴(しるし)だとも考えられる。
 また、Avantを、adventiste(キリスト再臨論者)と考えると「携挙の前に、神はキリストの再臨を信じる人達にサインを送る」とも解釈できる。
 携挙が行われる直前に、天使は引き上げるべき信者達に、彼らだけにわかる特別な信号を送るのだろうか。それはテレパシーで送るのだろう。そうだとしたら、天使のテレパシーをキャッチできるような体質にしておかなければならない。」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(下)」浅利幸彦著より

感想
>二行めの「黄金のサチュルヌ(サタン)は鉄に変わるだろう」とは、初めは素晴らしいと思われていた反キリスト、サタンの統治も、やがてはメッキがはがれてひどいものになっていく」という意味だろう。
 金は神を、鉄は戦争を象徴する。反キリストは、初めはキリストのふりをして登場するが、支配体制を固めると本性をあらわすのである。

「黙示録の獣」について書かれている「ヨハネの黙示録」第13章を調べてみよう。

「1 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
9 耳のある者は、聞くがよい。
10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。」
「ヨハネの黙示録」第13章1節~10節(口語訳)

別に善人として現れるとは書かれていない。ただ、異常に強く、ほふられた小羊にも勝つので、選民以外は魅了されてしまうのである。ただし、露骨に悪人でもないのだろう。
そこで、6巻70番の詩を紹介しよう。

百詩篇第6巻70番
偉大なシランが世界の首領になるだろう、
プルス・ウルトラが愛され、恐れ慄かれた後に。
彼の名声と称賛は天を越え行くだろう。
そして勝利者という唯一の称号に強く満足する。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/163.html

シラン=プルス・ウルトラ=「黙示録の獣」と解釈すると、善人として現れるのだろう。ただし、シラン=プルス・ウルトラとは限らない。もっとも、「≠」でも「プルス・ウルトラ」が「愛され、恐れ慄かれる」ので、これが「黙示録の獣」か。
私の訳も紹介しよう。

6巻70番の詩
世界の指導者に偉大なシランがなるだろう
より極端な愛された後畏怖されひどく恐れられる(愛された後彼岸を越えて畏怖されひどく恐れられる)
彼の名声と称賛(彼は)神々を越えるだろう
そして勝利者(征服者)の称号のみに大いに満足させられる
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11304719405.html

関係ないけど、ジャニーさんを連想しちゃったよ。笑
因みに、4行目から傲慢な奴と思う人が多いと思うが、物欲や色欲には興味がない人物なのだろう。個人的には、「真理の御霊」(契約の使者)とのダブルミーニングと考えている。その根拠の一つは、

Chyren
「古典学者や仏文学者たちはプロヴァンス語人名ヘンリク (Henric) のアナグラムと見なしており、フランス語ではアンリ (Henri) に対応する。ノストラダムスはしばしばアンリ2世を念頭に置いてこの語を用いたようである。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/164.html

とあり、「アンリ二世への手紙」の冒頭部分に、

「最も無敵でとても力強くそしてとても寛容な新たなフランスのアンリ王へ、そのとても取るに足りないそしてとても従順な奉仕者で王国の臣民であるミシェル・ノストラダムス、勝利と至福を。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12783239953.html

とあり、「真理の御霊」(契約の使者)への手紙の可能性が高いからである。(五島勉氏によるとアンリ二世はそういう人物ではなかったらしい。)また、「勝利と至福を」から「勝利者の称号のみに大いに満足させられる」に合うだろう。ついでに、末尾部分も紹介しておこう。

「おお、とても寛大な王よ、しかしただ一つだけ私はあなたに懇願します。あなたの特異で慎重な人間性(古典研究)によって、ある程度私の心からの願望を理解する事です。そして君主は、私があなたの高貴な威厳に従順であるという事、その後私の観察眼(見解)は、傷つかない私の労作の栄華が必要としないあなたの東からの風の栄光にとても近かった(似ていた)という事を研究します。サロンから1558年6月27日」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12783428083.html

>また、Avantを、adventiste(キリスト再臨論者)と考えると「携挙の前に、神はキリストの再臨を信じる人達にサインを送る」とも解釈できる。

「真理の御霊」(契約の使者)の事だろう。

「7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。」
「ヨハネによる福音書」第16章7節(口語訳)

「16:07しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」
「ヨハネによる福音書」第16章7節(新共同訳)

「5 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
6 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。」
「マラキ書」第4章5節~6節(口語訳)

「03:23見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
03:24彼は父の心を子に
子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって
この地を撃つことがないように。」
「マラキ書」第3章23節~24節(新共同訳)

「1 見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
「マラキ書」第3章1節(口語訳)

「1見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。」
「マラキ書」第3章1節(新共同訳)

実際に、そういう人物が来なかったら誰も信じないだろう。無理もない話である。従来のクリスチャンのような中途半端な事では二極分化は出来ないのである。良い悪いの話ではない。多分、清濁併せ呑むような人物だろう。

補足
「16:8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」
「ルカによる福音書」第16章8節~9節(口語訳)

「16:08主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 16:09そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」
「ルカによる福音書」第16章8節~9節(新共同訳)

おまけ