参考資料2030 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ラプチャーこそがYHWHからの最終回答 その18
変貌を遂げた”超人類”が誕生する2

「もしあなたがこの超人類に関心をおもちなら、同じくクラークの『幼年期の終り』という作品をお勧めします。宗教SFの金字塔とまで激賞する人もいる傑作で、とくにその”20章”は泣けてきます。実際、この人はSF作家の枠を大いに超えた人で、五島勉氏も『1999年以降』(ノンブック)で、この本にふれております。
 ところで従来、この”超人類”に関しては、DNAの変換とか、脳の機能の拡大とか、それによる超能力の開発とか、要するに、物理的レベルでのみ論議されてきました。しかし、現代人が思いつく程度のものを”超”と呼べるのでしょうか。いえ、それではせいぜいが”巨人(ジャイアント)”といったところでしょう。私どもの理解をはるかに超えるレベルだからこそ”超”がつくのではないでしょうか。
 問題はここでも”肉体中心”の考え方にあって器(肉体)があるから中身(心)が生じるという思考なのです。たとえていえば、ビン(器)が変わったからブドウ酒(中身)がウイスキーに変質したというようなもので、完全に”逆立ちした思考”といえましょう。
 いうまでもなく超人類とは人間なので、サイボーグではありません。その人間が精神的存在である以上、超人類も”心”の世界からアプローチするのが本筋なのではないでしょうか。されば、「来たるべき理解のための最善の準備は、心のうちにある」(ソロモン395)」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>実際、この人はSF作家の枠を大いに超えた人で、五島勉氏も『1999年以降』(ノンブック)で、この本にふれております。

これは私も知っていた。ただし、「1999年以後」五島勉著(1988年)である。

「『地球幼年期の終わり』は、『2001年宇宙の旅』の鬼才作家アーサー・C・クラークが書いた、SFファンなら誰でも知っている、世界SFのベストテンに文句なく入る傑作だ。
 このアーリア系イギリス人の小説の内容をかいつまんで言えば、米ソが元ナチスの協力で宇宙競争にシノギを削っている近未来、別の銀河系から、突然、神そのもののような超知能生物たちがUFOで地球にやって来る。
 ところが彼らの姿は、なんと人類が昔から想像してきた、長い耳に長いシッポ、口が耳まで裂けた「悪魔」そっくり。
 この怪異な超高等生物が、なぜか地球人類にたいへん好意を持ってくれる。災害や汚染や自然破壊など危機を切り抜ける道を教え、科学や社会の進歩を手伝ってくれる。
 すると人類は、そうされているうち、次の世代あたりから急に恐ろしい変身をはじめる。体だけはいまの人類のまま。しかし意識の中身というか心の本質が変わる。体はいぜん、一人ずつ分かれて独立しているのに、心の働きの上で、「個人」というものがなくなってしまう。
 一人ひとりが一個ずつの細胞のようになり、ついには人類の若い世代ぜんぶが、数億人の個体に分かれた一つの心の巨大生物になっていく。
 一匹ずつでは自分が何者かわからないアリやハチが、全体としては「種を繁栄させよう、進化させよう」という共通目的に向かって進むように。
 しかも、この新人類の場合、最終目的はついに明かされない。ただ全員で宇宙の果てをじっと見つめ、一つの巨大生物として何かをはじめようとするだけだ。
 それを見て、「悪魔」そっくりの姿の宇宙から来た神々は、これで地球人類もやっと新しい成長期に入った。われわれ宇宙生命の進化を受けつぐ準備がはじまった、いままでの地球人類は、そのほんとの使命がわからない幼年期だったのだ、と思いながら、援助を終えて宇宙の彼方へ帰って行くのである。」
「1999年以後」五島勉著より

シンクロニシティーで考えると、「真理の御霊」(契約の使者)が現われて、この「悪魔」の役目を果たすのだろう。胡散臭い情報だが、その根拠の一つは、

「さて今度は人間の未来とはどのようなものかを考えることにしよう。この問題に関してユミットの語るところは、とりわけ興味深い。地球ほど進化を遂げた惑星には、いずれ新しい突然変異体が出現するだろうというのである。ユミットたちはキリストもこの種の突然変異体であることを、調査のうえで突きとめた。これを人間=神、超人、突然変異体、人間+1など、なんと呼んでも構わない。この種の被造物は先駆者であり、言わば新しいアダムなのである。」
「宇宙人ユミットからの手紙」ジャン=ピエール・プチ著より

ただし、「真理の御霊」(契約の使者)はあくまでも準備をする者である。本命は、イエス・キリストの再臨である。

>ところで従来、この”超人類”に関しては、DNAの変換とか、脳の機能の拡大とか、それによる超能力の開発とか、要するに、物理的レベルでのみ論議されてきました。

確かに、麻原彰晃も超能力も持った超人類というような事を述べていたと思ったが、

「先程も言ったように、この解読には自分の予言を客観的に見るという目的もあったわけだね。まあ、私は「トワイライトゾーン」や「ムー」で登場したわけだけども、あの時代から一貫して言い切っていることは、超人類が誕生するんだと。しかもそれは、今言われているような、エゴを背景とした超人類ではなくて、この煩悩を超えた超人類であると。それは光の軍団であると考えているわけだけど、その考えは今でも全く変わらない。それどころか、確信が出てきているね。そして、その兆候が既に出だしていると。だから、これまでの予言を訂正するというよりも、確信を持ってきている。むしろ、急がなきゃならないと感じているね。」
「マハーヤーナ」1989年2月号より

「煩悩を超えた超人類」という考えは、上の「地球幼年期の終わり」に通じるものがある。(当然、そういう話も知っていたと思うが。)

>しかし、現代人が思いつく程度のものを”超”と呼べるのでしょうか。いえ、それではせいぜいが”巨人(ジャイアント)”といったところでしょう。私どもの理解をはるかに超えるレベルだからこそ”超”がつくのではないでしょうか。

霊的な体になって携挙されるという事か。

「なんのことはない。私どもの物理的肉体が空へ”持ち上がる”わけではなかったのです。すでに霊的BODY(超電磁波的存在)に変身した以上、空中どころか月でも火星でも、どこへでも一瞬にしてたどり着けるわけで、ならば、一足先に自らラプチャーを成し遂げていたキリスト存在(その他のボランティア)とも上位次元世界で出会える道理です。
                          (中略)
そうです、ラプチャーとは物理的に空中に浮かび上がるのではありません。天(神)の空間に次元飛翔するのです。そう”大いなる飛翔”を!」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

念のため、以前にも述べたが、私は物理的に携挙(ラプチャー)されると考えている。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12431007967.html

>されば、「来たるべき理解のための最善の準備は、心のうちにある」(ソロモン395)

準備は簡単で単純な事である。「イエスの再臨」を信じ、誰とでも仲良くする事である。ただし、無理にする必要はない。二極分化が目的なのだから。

「25.するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26.彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27.彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28.彼に言われた、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 」
「ルカによる福音書」第10章25節~28節

永遠の生命は肉体で起こるだろう。何故なら、イエスの時代に現われた御使いは肉体を持った若者だからである。

「そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人(びと)イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
今から弟子(でし)たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。」
「マルコによる福音書」第16章3節~8節

おまけ