参考資料2029 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ラプチャーこそがYHWHからの最終回答 その17
変貌を遂げた”超人類”が誕生する
「話を戻して、私どもはこの新しい変貌を遂げた人類をなんと呼べばいいのでしょうか。かのニーチェは述べています。「われ、汝に超人を教う」(ツァラトゥストラかく語りき)と。
「みよ、われこそは紫電の告知者である。密雲より落ち来たる重き滴である。しかして、この紫電こそ超人である」(上同)
 そう、これぞまさしく”超人類”の誕生なのです(”超人<類>”という言葉自体、ニーチェにその端を発してます)。「人類はいつかその進化の頂点であるオメガ点めざして”超人間化”し、この空間と時間から出ていく」(シャルダン)
 ところで皆さんは、映画史上の最高傑作とも激賞される(アーサー・C・クラーク原作)スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」をご覧になったでしょうか。あのなかでラストの十数分が抽象的で難解であるとかなりの論議を呼びました。しかしそれは日本人の感性だからで、聖書に親しんでいる人にとってはあそこはまことに明快なテーマなのです。
 では何を意味するというのか―――。
 映画はまず猿人たちの登場ではじまりました。そして彼らのなかで道具の使用を覚えたグループが勝ち残り、これが現代人の祖となったわけです。やがて彼らの子孫はコンピュータ(ハル)に支配される究極の現代人(宇宙飛行士)にまで進化しますが、その彼もついには(ラストシーンで)飲み、食べ、眠り、そして老い、死んでいきます。ここで現代人(ホモサピエンス)の”終焉”が暗示されているのです。「そして人々が考えている歴史も終わりを告げるのだ」(「2001年宇宙の旅」より)
 その後、モノリスと呼ばれる石板が画面中央に映りますが、敬虔なクリスチャンなら、これが”モーゼの十戒の石板”を意味していることは誰でも思い当たるはずで、これこそが「契約の成就→神の国の到来」の暗喩なのです。
 さらに、エンディングタイトルが出終わった後、文字どおりのオーラスに妙な人形めいた子供が現われたシーンを覚えているでしょうか。そうです。あれがまさに”超人類”出現の予告だったのです。なぜなら、この映画の冒頭に流れていたテーマ音楽こそ、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」だったからです。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>「みよ、われこそは紫電の告知者である。密雲より落ち来たる重き滴である。しかして、この紫電こそ超人である」(上同)

昔、大学の「西洋哲学史」の授業で、ニーチェの言う「超人」はいわゆるスーパーマンではないという話を聞いた事を覚えているが、

「ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/超人

だそうである。ところで、『ツァラトゥストラはかく語りき』は、

「ゾロアスター預言に”アンカー”はいないのか、実はいるのです。それもとびきりの大物が。誰か、あの『ツァラトゥストラはかく語りき』のニーチェがその人です。
 なぜならば、ツァラトゥストラとは、ゾロアスターのドイツ語読みだからです。でも、あれは文学作品だろう。それはニーチェの力量の大きさで、結果的にそうなってしまっただけの話で、ニーチェの妹の証言によれば「かく語りき」はゾロアスターの夢告に従って書いたとニーチェ自身が述べていたということです(その後まもなく彼は発狂してしまうのですが)。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

という代物で、シンクロニシティーを起こす可能性があると考えている。つまり、この「紫電」は、イエス(または天の父)が送り込む「真理の御霊」(契約の使者)ではないだろうか。「永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する」ような人物と推測される。

>ここで現代人(ホモサピエンス)の”終焉”が暗示されているのです。「そして人々が考えている歴史も終わりを告げるのだ」(「2001年宇宙の旅」より)

因みに、ノストラダムスの2巻13番の詩は、

感情のない身体はもはや犠牲とはならない
(キリストの)降誕において置かれる滅亡の日
崇高な精神は心を至福にするだろう
予言者、彼の永遠への言語表現    

と訳しているが、「滅亡」の原語は「mort」(死)で「終焉」の意味もある。
補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12247640468.html

>さらに、エンディングタイトルが出終わった後、文字どおりのオーラスに妙な人形めいた子供が現われたシーンを覚えているでしょうか。そうです。あれがまさに”超人類”出現の予告だったのです。

イエスは天国で一番偉いのは子供のような人だと述べたが、本当の子供ではないだろう。

「18:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
18:2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
18:4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」
「マタイによる福音書」第18章1節~4節

つまり、へりくだった人である。http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E8%AC%99%E9%81%9C%E3%81%A8%E9%AB%98%E6%8C%99
「ヨブ」じゃ「真理の御霊」(契約の使者)にはなれないなぁ。(´・ω・`)ショボーン
「永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動した」者が、「イエスの再臨」(ユダヤの神)を信じる事が大事なのだろう。

おまけ