参考資料2016 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ラプチャーこそがYHWHからの最終回答 その14
新しく生まれなければ神の国をみることはできない2

「「よくよくあなた方にいっておく。誰でも新しく生まれなければ神の国をみることはできない」(ヨハネ福音書3/3)。この一大事を、またソロモンのソースに語ってもらいましょう。
「あなた方は、このように理解するとよい。この世界が高められた段階に変えられることが必要なだけなのである。人がそのとき、瞬時にして次元を変化させるならば、教会の”ラプチャー”として述べられているのと同じありさまで、彼(皆さんのこと)は空中で主にまみえるために取り上げられる」(241)
 そう、これこそが問題のラプチャーだったのです。
 つまりは、「わたしのおるところに、あなた方もおらせるためである」(ヨハネ福音書14/3)。
 これは聖書のみではありません。国産の日月神示にも、「いざというときには、神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民あるのざぞ」とあるとおりです。
 なんのことはない。私どもの物理的肉体が空へ”持ち上がる”わけではなかったのです。すでに霊的BODY(超電磁波的存在)に変身した以上、空中どころか月でも火星でも、どこへでも一瞬にしてたどり着けるわけで、ならば、一足先に自らラプチャーを成し遂げていたキリスト存在(その他のボランティア)とも上位次元世界で出会える道理です。なぜなら、
「物質は不死をまとい清められ、流された主の血によって聖別されたものをまとうからである」(ケーシー、281/7)
 これを敬虔なクリスチャン側の実感からいえば、「人の子(イエス)が雲に乗って」お出迎えにきて下さると感じることかもしれません。その意味では、聖書の記述も間違ってはいなかったといえましょう。いずれにしても、「変動が起こるとき、多くの者が移動するであろう。しかし、物質的にどこそこということにとらわれるな」(ソロモン806)。そうです、ラプチャーとは物理的に空中に浮かび上がるのではありません。天(神)の空間に次元飛翔するのです。そう”大いなる飛翔”を!」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>「よくよくあなた方にいっておく。誰でも新しく生まれなければ神の国をみることはできない」(ヨハネ福音書3/3)。

原文の前後も抜き書きしよう。

「パリサイ人(びと)のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
イエスは答えられた。「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。」
「ヨハネによる福音書」第3章1節~8節

「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない」から、洗礼を受けなければ「神の国」に入る事は出来ないと述べているだけだろう。

「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」
「マタイによる福音書」第3章11節

また、「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である」とは、肉欲に対して精神性を述べているだけではないだろうか。霊の体について述べているとは思えない。

補足
「7 見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、一つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう』」。」
「列王紀下」第19章1節~7節

7節の「霊」とは人間の事だろうか。例えば、「真理の御霊」も「契約の使者」の可能性が高いから。因みに、フランス語や英語は「霊」と「精神」は同じ単語である。(espritspirit
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12430555316.html

>つまりは、「わたしのおるところに、あなた方もおらせるためである」(ヨハネ福音書14/3)。

これも前後を含めて抜き書きしよう。

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。」
「ヨハネによる福音書」第14章1節~7節

イエスは「天の父」から知らされていなかったと思うが、未来に、つまり「終わりの時」にタイムワープしたのだろう。「わたしのおる所にあなたがたもおらせる」は千年王国(地上天国)と考えている。

「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
それは真理の御霊(みたま)である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」
「ヨハネによる福音書」第14章16節~17節

念のため、「真理の御霊」は「契約の使者」と考えている。

「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。 3:2その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。」
「マラキ書」第3章1節~2節

>そうです、ラプチャーとは物理的に空中に浮かび上がるのではありません。天(神)の空間に次元飛翔するのです。そう”大いなる飛翔”を!

私は実際に浮かび上がると考えている。それは、「イエスの再臨」を信じなかった者に後悔させるためかもしれない。その根拠の一つは、

「1 見よ、主の日が来る。その時あなたの奪われた物は、あなたの中で分かたれる。
2 わたしは万国の民を集めて、エルサレムを攻め撃たせる。町は取られ、家はかすめられ、女は犯され、町の半ばは捕えられて行く。しかし残りの民は町から断たれることはない。
3 その時、主は出てきて、いくさの日にみずから戦われる時のように、それらの国びとと戦われる。

12 エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
13 その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める。

9 主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。」
「ゼカリヤ書」第14章1~3節,12節~13節,9節https://www.wordproject.org/bibles/jp/38/14.htm

わざとエルサレムを攻撃させ、超兵器で後悔させながら殺すのである。核兵器を使えば一瞬なのに、立ったまま体が腐る(異臭もするだろう)兵器や体が勝手に動いて仲間同士で殺し合いをさせる兵器を使うのである。念のため、どんなに慌てたって、訓練された兵士が仲間を攻撃する事は絶対にないだろう。http://shindenforest.blog.jp/archives/22071161.html
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12411357122.html

補足
「空中浮揚の例をあげてみよう。
 実際に目撃した人の話によると、春充はまず、磁石を腹の上に置いて横になった。そして静かに呼吸を整えたかと思うと、いきなり体がふわりと浮き上がった。そして次に、そのまま体を回転させた。北といえば北、南といえば南、といった具合に、体の向きを自在に変えることができたが、その向きは磁石の示す方角にピタリと一致していたという。
 また春充は、条件さえ整えば、他人を自身と同時に浮かせることもできたようだ。体験者の話によると―――、
「部屋の天井には南北の方向に糸が張ってあり、それに沿って仰臥すると、先生は空中に浮き上がりました。そして驚いて見つめている私に向かって、下をくぐってみろとおっしゃるので、そのとおりにしましたが、確かに浮いているのです。
 やがて先生は、『君なら一緒に浮かせられるかもしれない』というではありませんか。半信半疑の私は、それでも先生のいうとおりに横たわると、『首はもうちょっと右、肩を下げて・・・・』などと指示されました。そして姿勢を決めた瞬間、私の体はスーッと空中に浮いたのです・・・・!」
『旧約聖書』ばりに海を真っぷたつに割ったとか、春充の力を示す話は数限りなく残っている。しかし彼は、繰り返し、これらはすべて取るに足らぬものであり、宇宙真理の科学的実証の一片にすぎないと強調している。身体の力学的、物理的姿勢の修練からなる必然であるとし、奇跡を否定しながら、奇跡以上の奇跡を、白昼堂々と公開したのである。」
「鉄人を創る肥田式強健術」髙木一行著より
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11286437943.html

ラプチャー(携挙)は自分の信念で浮かび上がると考えている。

おまけ