参考資料1934 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

地球の空に二番目の太陽が現われるとき・・・・ その2
再来するイエスのイメージがなぜこうも違うのか2

「▼第⑥のラッパ(ここがもっとも重要な”裁きの座”であることは前述しました)「わたしは、もう一人の強い御使いが雲に包まれて天から降りてくるのをみた。その頭に虹をいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった」
 まさに「イエス預言」と同じ内容を述べています。ところが、こちらは「人の子」ではなく「強い御使い」なのです。しかも「太陽のような顔」「火の柱のような足」。率直にいってこれが”イエス様”の姿でしょうか。ここに出てくる”御使い”とは、天使のことで、もちろん、イエス(キリスト)は天使ではありません。
 黙示録にはこの”御使い”がやたら出てくるのですが、”強い御使い”はこの天使(?)だけなのです。サタンの手下はただの”使い”で、それぞれ言葉をはっきりと書き分けているのがよくわかります。とにかく(強い)スーパーパワーのお出ましといった感じです。
 なお、ラッパの預言の③に、「この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が『苦よもぎ』のように苦しくなった」(8/11)という箇所がありますが、この『苦よもぎ』をロシア語で”チェルノブイリ”というため、研究者の多くは例の1986年の原発事故に比定しているようです。しかし、これはあくまで「星の名」なのであって、もしかしたら”恐怖の代名詞”としてこの燃える星をそう呼ぶことだってあり得るわけです。
 なんにしても、全体の構成(文脈)から単語のみを切り離して恣意に解釈する方法論はやはり危険なのではないでしょうか。
 肝心な点なので、別の箇所からも検討してみましょう。ルカ伝をみると、「ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄が降ってきて彼らをことごとく滅ぼした。人の子の現われる日もちょうどそれと同じであろう」(17/29~30)とあります。ソドムとは「天地創造」の映画をご覧になった方はご存じでしょうが、”原爆”のような炎で焼き滅ぼされた町のことで、このため多くの解説書では”ハルマゲドン”の描写であろうと説明されています。
 しかし、ここでは「人の子の現われる日」、つまり”選民を救う日”がその日に似ているといっているのであって原爆が落ちてしまった後では”救い”にはならないのではないでしょうか。
 また、すぐ前のところで「稲妻が天の端から光出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう」(17/24)と記しています。ラプチャーを期待する人々によれば、人の子(イエス)は、雲に乗って人々の前に”降臨”して下さることになっていますが、「稲妻のように天の端から端へひらめき渡る」のでは、どのようにして人々の前に”降りて”これるのでしょう。
 以上をまとめれば、「空から隕石のごときものが降ってくるとき・・・・雷光のごとくイエス様が・・・・雲に乗ってひらめき渡る・・・・」。どうもいまいちピンとこないイメージだとは思いませんか。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>▼第⑥のラッパ(ここがもっとも重要な”裁きの座”であることは前述しました)

ここかな。

「具体的にいえば、先の三預言は”7項目(七人の御使い)”に分かれていました(以下では簡略化して”⑦の座”と記します)。この場合、⑦が神の座(完全)であるとするなら、⑥はその⑦へ達する(合格)か、それとも⑥のまま止まって(不合格に)終わるのか、それが裁かれる重大な「審判の座」となるわけです。」
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12403456843.html

>ここに出てくる”御使い”とは、天使のことで、もちろん、イエス(キリスト)は天使ではありません。

以前はうっかり「エホバの証人(ものみの塔)」と同じ解釈で、「ダニエル書」第12章に出て来る「ミカエル」は「再臨するイエス」と解釈していたが、ミカエルは天使なので、再臨するイエスではない。つまり、このミカエルは「真理の御霊」(契約の使者)の事だろう。

「1 その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
3 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。
4 ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。」
「ダニエル書」第12章1節~4節

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12406710616.html

補足2:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320522823

補足3:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11960031189.html

>なお、ラッパの預言の③に、「この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が『苦よもぎ』のように苦しくなった」(8/11)という箇所がありますが、この『苦よもぎ』をロシア語で”チェルノブイリ”というため、研究者の多くは例の1986年の原発事故に比定しているようです。
なんにしても、全体の構成(文脈)から単語のみを切り離して恣意に解釈する方法論はやはり危険なのではないでしょうか。

たしか、MMRはその解釈だったが、麻原彰晃はその解釈にはこだわらなかったと思った。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11640453111.html

おまけ