参考資料1935 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

地球の空に二番目の太陽が現われるとき・・・・ その3
雲に乗ってやってくるという”人の子”とは何者か
「マタイ伝には「そのとき、人の子のしるしが天に現われるであろう」(24/30)という記述もあります。”人の子(イエス)のしるし”なら”十字架”のことだから、これは今世紀末(1999年8月)に起こることが予期されている”グランドクロス(宇宙十字架)”のことであろうと占星術家の間では、いまや見解が一致しているようです。
 おそらくそれはそれで正解でしょう。ただしこれは”イエス生前”の言葉ですから十字架にかかる前の話なのです。しかも、初期キリスト教会のシンボルは”魚(魚座のことか)”が主で、十字架になったのはやや後であると聖書学者により立証されています。
 どうもみな”イエス様”にこだわり過ぎているのではないでしょうか。
 ちなみに、同じ”しるし”を述べていると思われる黙示録のほうでは「また大いなるしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て足の下に月を踏み、その頭には星の冠をかぶっていた」(12/1)となっており、こちらは「人の子のしるし」ではなく「大いなるしるし」なのです。しかも、やってくるのはなんと「女」ではありませんか(さすがに”イエス様は女だった”と主張する人はいまだかつておりません)。
 では「人の子」の正体とは何か。実はこれも原典は「ダニエル書」にあります。「みよ、人の子のような方が、天の雲に乗ってやってこられ、年を経た方の元に進み、その前に導かれた」(7/13)。ささいな差のようですが、こちらでは「人の子のような方」になっています。
”~のような”という場合、大まかにいえば、二つの意味があるでしょう。①同じような姿形、②同じような実質(力・性質)、この場合、私どもはすぐ①のほうを頭に浮かべがちです(私どもの頭脳が具象的実体がなくては思考しにくいシステムだからです)。
 しかし、それならゴリラやチンパンジーだって「人の子のような」ものに変わりありません。やはり②のほうでしょう。
 では「人の子とは何者なのでしょう・・・・あなたは人を神よりいくらか劣るものとして、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました」(詩篇8/4)。神を例のローブをまとった白ヒゲのお爺さんだと主張する人は別として、これも当然②の意味です。
 なおかつ、これは「・・・・のような方」なのです。実はこの「人の子のような者」は、黙示録の冒頭にも出てくるのです。その描写をみると、「その頭と髪の毛とは雪のように白い羊毛に似て真っ白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬され光り輝く真鍮のようであり、声は大水の轟きのようであった。その右手に七つの星をもち、口からは鋭いもろ刃の剣が出ており、顔は照り輝く太陽のようであった」(1/14~16)
 これが果たしてイエス様でしょうか。私はいまだかつて口から牙の生えた(鋭いもろ刃の剣)イエス様は(宗教画でも彫像でも)みたことがありません。
 この”顔”をみたヨハネでさえ、「わたしは彼をみたとき、その足元に倒れて死人のようになった」(1/17)と、卒倒してしまうのですが、本物のイエスをみて、ヨハネが卒倒するでしょうか。
「すると彼は右手をわたしの上に置いていった『恐れるな、わたしははじめであり、終りであり、また生きている者である」(上同)。これは同章に出てくる「いまいまし、昔いまし、やがて来るべき者、全能にして主なる神が仰せになる。『わたしはアルパであり、オメガである』」(1/8)と宣言している者と同じとみていいでしょう。
 なぜなら、はじめ→アルパ(α)、終わり→オメガ(Ω)だからです。
 この”全能にして主なる神”は、「みよ、彼は雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに彼を刺し通した者たちは彼を仰ぎみるであろう」(1/7)という方、つまり”雲に乗ってこられる””やがて来るべき者”なのです。この方こそイエス預言の㉖に出てくる「大いなる力と栄光をもった」方に違いありません。
 それが”人の子のような者”だというのです。
 もし、これがイエスなら、自らの預言で㉗「そのとき、彼は御使いたちをつかわせて」と、自分を”彼”と三人称で呼ぶでしょうか。
 第一”御使いをつかわ”せるのは、聖書のなかでは”主なる神”だけなのです。そして何よりまず、もし黙示録のヨハネがイエス本人のことをいいたいのなら、はっきりと”イエス・キリスト”と記したでしょう。冒頭で「イエス・キリストの黙示」と述べているぐらいです。
 少なくとも”人の子のような者”とは、間違ってもいわないでしょう。これは「新約聖書」のなかなのですから。
 さあ、どうやら「雲に乗ってくる」のは、イエス様かどうか怪しくなってきました。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>マタイ伝には「そのとき、人の子のしるしが天に現われるであろう」(24/30)という記述もあります。”人の子(イエス)のしるし”なら”十字架”のことだから、これは今世紀末(1999年8月)に起こることが予期されている”グランドクロス(宇宙十字架)”のことであろうと占星術家の間では、いまや見解が一致しているようです。
 おそらくそれはそれで正解でしょう。

大不正解でしたね。笑 グランドクロスを知らない人は、こちらを参考にして下さい。
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11160071154.html
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11161009218.html

>しかも、初期キリスト教会のシンボルは”魚(魚座のことか)”が主で、十字架になったのはやや後であると聖書学者により立証されています。

第三章 初期キリスト教のシンボル
Ⅰ魚
「イエス・キリスト、神の子、救い主」のギリシア語(Iesous Christos Theou Hyios Soter)の各語の最初の文字を並び替えると「Ichthys(魚)」を意味することに由来する。初期のキリスト教でイエスを象徴するものとして用いられた。それというのも、パレスチナ北部地方にガリラヤ湖という湖があり、その湖付近はイエスが好んで教えを述べた場所でもある。ペテロをはじめ、最初にイエスに従った4人の弟子はガリラヤの漁師であった。ガリラヤ湖の周辺に建てられた古代の教会跡からも魚のモザイクが発見されている。」
京都産業大学文化学部国際文化学科 河野りえ氏の卒論「キリスト教のシンボリズム」より

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12230276075.html

>ちなみに、同じ”しるし”を述べていると思われる黙示録のほうでは「また大いなるしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て足の下に月を踏み、その頭には星の冠をかぶっていた」(12/1)となっており、こちらは「人の子のしるし」ではなく「大いなるしるし」なのです。しかも、やってくるのはなんと「女」ではありませんか(さすがに”イエス様は女だった”と主張する人はいまだかつておりません)。

この著者と私は目の付け所が違っているね。私はこの女が産んだ子供の方に関心があるが。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12247640468.html

>神を例のローブをまとった白ヒゲのお爺さんだと主張する人は別として、

これはサイババの事だろう。

「一方、サイババ自身は、キリストのこの言葉を知っていたのだろうか、それに対して次のように答えている。「イエスの言ったことは、単純である。「わたしをあなた方に遣わされた方が、今度はお出でになる」と彼は言った。「(わたしを遣わされた方、降臨される方は)その名を真理という」サティアとは、真理を意味する。「彼は赤いローブを、血のように赤いローブをまとうだろう。彼は背が低く、王冠(のような髪)をしている」イエスは、彼自身が再び来るとは言わなかった。彼は、「私を遣わした方が来られる」と言った。それが、わたしのことである。このババ、このサイ、背が低く、縮れた髪の王冠をし、赤いローブをまとったババが来たのだ。わたしは単にこの形をしたものではなく、あなた方一人ひとりの中にいる。あなた方のハートを占める、あなたがたのハートに脈打つ血の色をしたローブをまとって、あなた方のハートに、私は住んでいるのだ」」
「真実のサイババ」青山圭秀著より

サイババに未来が見えていなかった事は確実だが、聖書の内容もいい加減だね。「私を遣わした方が来られる」は「ヨハネによる福音書」第14章~16章に出て来る「真理の御霊」の事だと思われるが、天の父(またはイエス)が派遣するのが「真理の御霊」である。また、「赤いローブ」はイスラームの伝承からだと思うが、「黄色いローブ」である。

「イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリスト(al-Masīh ad-Dajjāl。偽メシア)とその支持者に対抗する者である。イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。イーサーは、イスラームではムスリムであり、イスラームの教えを遵守する者と思われている。最終的にイーサーは偽メシアを圧倒し、すべての啓典の民(ahl al-kitāb、ユダヤ教徒とキリスト教徒をいう)が彼に従ってイスラームの教団ひとつにまとまるという。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラームにおけるイーサー#再臨

所詮、自分が尊敬(崇拝)されたいだけだろう。笑

>第一”御使いをつかわ”せるのは、聖書のなかでは”主なる神”だけなのです。そして何よりまず、もし黙示録のヨハネがイエス本人のことをいいたいのなら、はっきりと”イエス・キリスト”と記したでしょう。冒頭で「イエス・キリストの黙示」と述べているぐらいです。
 少なくとも”人の子のような者”とは、間違ってもいわないでしょう。これは「新約聖書」のなかなのですから。
 さあ、どうやら「雲に乗ってくる」のは、イエス様かどうか怪しくなってきました。

この著者は、イエスの再臨を否定しているようだが、私は、「人の子」は生前のイエスで「人の子のような者」は「再臨するイエス」と考えている。因みに、再臨するイエスは「恐怖の大王」でもはや「人」ではない。

>この”顔”をみたヨハネでさえ、「わたしは彼をみたとき、その足元に倒れて死人のようになった」(1/17)と、卒倒してしまうのですが、本物のイエスをみて、ヨハネが卒倒するでしょうか。

因みに、「イザヤ書」にはこんな文章がある。

「13 見よ、わがしもべは栄える。彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。
14 多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである――
15 彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつむぐ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。」
「イザヤ書」第52章13節~15節

ただし、イエスと真理の御霊(契約の使者)のダブルミーニングかもしれない。

おまけ