“アンチキリスト”“偽預言者”“獣”の正体とは?
「ソロビヨフの『アンチキリスト』の物語はここで終わる。が、この物語は、『新約聖書』の、いや『聖書』の終幕を飾る「ヨハネ黙示録」をきわめてわかりやすい形で我々に提示してくれている。
しかも、何度も強調するが、この物語を書いたソロビヨフは1900年に死んでいる。それなのに、書かれた内容は1900年以降のことである。それをソロビヨフは、あたかもすでに起こったことのように過去形で記述している。ソロビヨフは死ぬ前に未来を詳細に「見て」しまったのだ。しかもそれは、人類の終末を表すものだった。だからこそ、ソロビヨフは、世の人々に警告を発するため、病をおして渾身の力をふりしぼって一冊の書物にまとめあげたのだ。
ソロビヨフが『アンチキリスト』という物語を通じて解説した『新約聖書』の「ヨハネ黙示録」のキーポイントは、次の三点につきる。
①アンチキリストは、いつ現れ、その正体は何か?
②アンチキリストを補佐する偽預言者は、いつ現れ、その正体は何か?
③終わりの時はいつくるのか?
この三つのポイントは、それぞれに関連しあっている。つまり、①、②の問題が解決すれば、③はおのずからわかる。そこで、①と②の問題から探っていくことにする。
まず、アンチキリストと偽預言者が「ヨハネ黙示録」でいかに表現されているかを見てみる。
「私はまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。
これには十本の角と七つの頭があった。
それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒瀆するさまざまな名が記されていた。
私が見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。
龍はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた」(第13章1~2節)
まず、不気味な「獣」のイメージが展開される。「獣」はその外見が不気味なだけではない。なにかとてつもない権威とパワーを「龍」から与えられている。
「龍」とは何か? その答えは第12章にある。
「この巨大な龍、年を経た蛇、悪魔とかサタンと呼ばれるもの、全人類を惑わす者」(第9節)
「龍」=悪魔なのである。悪魔が、「獣」を出現させ、それに超自然的で邪悪なパワーを与えたのである。ゆえに、「獣」は悪魔の化身なのだ。
「悪魔」、それがいかなる正体の者であるかは、すでに検証ずみだ。そう、神に匹敵するパワーを有し、それゆえに慢心し、みずからが神になろうと反乱を起こした天使ルシフェル=堕天使ルシファーである。
だとしたら、堕天使ルシファーが獣に与えたパワーの凄さが想像できる。堕天使ルシファーのそれは、イエス・キリストのパワーに匹敵すると考えられている。ゆえに、次のような神秘的奇蹟を演じることもできるのだ。
「この獣の頭の一つが傷をつけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。
そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。(中略)
人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。
『だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか』」(3~4節)
獣は、頭部に致命的な傷を負いながら奇蹟的な回復をみせた。イエス・キリストが磔刑に処せられ、その後復活した姿と同じではないか。
超自然的で邪悪なパワーを発揮する「獣」、それこそが、「ヨハネ黙示録」が描くところのアンチキリストなのである。
だが、アンチキリストは、その邪悪なパワーを、一人の謎の人物の力を借りて断行する。その人物こそ、第二の「獣」、別名、偽預言者である。
「ヨハネ黙示録」は、第二の「獣」をこう表現する。
「私は、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。
この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、龍のようにものを言っていた」(第13章11節)
この獣もまた龍に送り出され、その役割は、第一の獣(アンチキリスト)の登場を準備し、彼に協力して悪魔的帝国の基礎を磐石なものとし、魔術的奇蹟をはじめ、むきだしの暴力に至るあらゆる手段を使って、人々にアンチキリストに対する服従心を作り出すことにある。
では、「ヨハネ黙示録」に描かれたアンチキリストと、大魔術師・偽預言者の真の正体とは何か。
これについては、多数の先人が数多くの研究を成しているが、今のところ、二匹の「獣」の具体的な個人名は解明されていない。
しかし、ある超人的予言者がヒントらしき言葉を残してくれている。その超人とは、偉大な予言者、ミッシェル・ド・ノストラダムスである。」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より
感想
>ソロビヨフは死ぬ前に未来を詳細に「見て」しまったのだ。
因みに、イエス・キリストでさえ未来は「見て」はいない。その根拠は、明らかに弟子達が生きているうちに「終わりの時」が来ると述べているが、2000年後が見えていればそんな説法をするはずがないからである。また、その時は天の父しか知らないとも述べている。
ただし、明らかに肉体を持った御使いや霊的な何かと接触を持っているので、未来を教えられていた事は間違いないと思う。
「ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。」
「マタイによる福音書」第17章2節~3節
個人的には、これは本物のモーセではなく御使い(未来人)の一人だと考えている。(イエス復活の時にマリアたちが会った若者も同様。「マタイによる福音書」第28章,「マルコによる福音書」第16章など。)
「1.六日(むいか)ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2.ところが、彼らの目の前で、イエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3.すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4.ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5.彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6.弟子(でし)たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7.イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8.彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
9.一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
10.弟子(でし)たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
11.答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
12.しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
13.そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。」
「マタイによる福音書」第17章1節~13節
>いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか
旧約聖書「マラキ書」第3章1節からだろうね。
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
>しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ
イエスに未来が見えていない決定的な証拠だね。「マラキ書」第3章2節には「その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう」とあり、まだ来ていない事は明らか。
念のため、天の父はあえて教えなかったのだろう。2000年後の事と分かったら誰も「終わりの日」(神の国)や「永遠の生命」に興味を持たなくなるからね。
ただし、イエスが巻き起こした一連の事件とキリスト教が全世界的になった事は最も大事な「神の計画」の一部だろう。
>まず、不気味な「獣」のイメージが展開される。「獣」はその外見が不気味なだけではない。
全て比喩だろう。
「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
「ヨハネの黙示録」第13章18節
「7.すると、御使はわたしに言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。
8.あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。
9.ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
10.そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
11.昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
12.あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
13.彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
14.彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。」
「ヨハネの黙示録」第17章7節~14節
因みに、ノストラダムスも全ては神から来ると述べているが、テレパシーのようなものでシレンと聞いたから「Chyren」と名付けたのではないだろうか。つまり、「試練」と解釈すると「獣」は日本人の可能性が高いかもしれない。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10637020959.html
「Chyrenをアンリと見なす読み方は、仏文学者や古典学者の間では定説化しているといってよいものであるが、ジャン=ポール・クレベールは Chrien とアナグラムして Chrestien (キリスト教徒) の語中音消失と解釈した。ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの『散文予兆集成』の題名では、実際にキリスト教徒の意味で Chrien が使われていることが、傍証として指摘されている。当「大事典」では支持しないが、面白い仮説ではあるので紹介しておく。」
引用元:http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/164.html
補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11277965790.html
おまけ